ゆーぱの部屋 ~幸福の科学の教えから~
幸福の科学の教え(大川隆法先生の書籍)で、みなさまの人生の悩みや疑問などを解決するお手伝いをします。
 



「三国志」の魏志倭人伝(ぎじわじんでん)に、2世紀後半から3世紀前半の頃の日本には、女王・卑弥呼(ひみこ)の邪馬台国(やまたいこく)という国があったって、学校で習ったよ。でも、日本のどこにあったのかについては、九州地方と畿内地方と二つの説があって、いまだに学問的に決着がついてないんですって。ほんとはどっちにあったのかな。霊界情報で分からないのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『黄金の法』(幸福の科学出版)で、霊的世界からみた真相を、明快に教えておられます。

 初めての女王として、天照大神(あまてらすおおみかみ)のように霊格の高い女性が出て来たことは、我が国の国民性に少なからず影響を与えたようです。とくに天照大神の女性らしいおおらかさ、繊細さ、穏やかさ、優雅さ、美しさなどの特質は、後々まで、大和心として伝わってゆきます。
 女性で男性の如来と同一視される女神界には、ギリシャの女神アフロディーテ、アテナ、天照大神、豊玉姫、仏教的には、文殊、弥勒、マーヤー夫人、キリスト教的には、聖母マリア、ナイチンゲール、へレン・ケラーなどがいます。
 そして、こうした女神たちに続くグループのなかに、我が国の卑弥呼がおります。卑弥呼が九州に生まれた頃は、西洋では、イエスが亡くなり、弟子たちも亡くなり、その後、原始キリスト教会がようやく盛んになってきた時代です。すなわち、紀元二〇〇年を少し過ぎた頃です。
 卑弥呼の時代には、天照大神の高千穂国(たかちほのくに)は弱小国になっておりました。そして、九州の阿蘇が見える有明海に臨む地域に、中国の歴史では邪馬台国と呼ばれている国、当時、我が国では大和国(やまとのくに)と言われていた一大勢力があって、九州三十余国を制圧していたのです。この大和国は、後に、大和朝廷へと発展してゆきます。
 卑弥呼(ひみこ)は当て字で、ほんとうは日向(ひむか)と呼ぱれていました。
 卑弥呼は、やはり優れた霊能者であり、天上界の天照大神から神示を受けて政(祭)を執り行なっておりました。ですから、当時の大和国の主宰神だったのは、実際には、七、八百年前に出ていた天照大神なのです。
 卑弥呼の政治の特徴は三点ありました。一番目は、毎週一回、神降ろしをして、国政の判断をしたこと、二番目は、女性を数多く政治にも登用したこと、三番目には、春と秋には祭をやり始めたことです。
 当時は、血統ということが重んじられていたので、血族結婚も多く、卑弥呼の事実上の夫は、彼女の弟でした。やがてこの系統から大帯日子淤斯呂和気命(景行天皇、けいこうてんのう)が出、その皇子が日本武尊(やまとたけるのみこと)であり、妻が弟橘媛(おとたちばなひめ)です。だいたい三世紀の終わり頃から四世紀の初めにかけてのことで、この頃、九州の朝廷が東征して、現在の奈良地域を中心として、大和朝廷を築きました。
(206~208ページ)

邪馬台国が畿内にあったと考えれば、邪馬台国はそのまま大和朝廷へと移行発展していったと考えやすいでしょう。

そして、九州説では、奈良とは距離が大きく離れてるだけに、議論百出なんですね。

だけれども、幸福の科学の最初期の経典である『黄金の法』に説かれているところでは、霊的世界からみた真相は、九州にあった邪馬台国が東遷して大和朝廷となったということであるわけです。

つまり、日本古代史上、最大の謎の一つも、幸福の科学では大川隆法先生の霊査(れいさ)によってすでに1980年代から決着がついている、ということであったのであります。

 

『黄金の法』

大川隆法著

 

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