インド神話におけるヤクシャ(夜叉)は人を喰らう鬼神である反面、人間に恩恵をもたらす存在でもある。仏教に取り入れられてからは天界に住む八部族に分けられたというから、順当に考えれば、仏教成立時の相対する部族が後に仏教に帰依し、信仰する側に立ったというところだろうか…。夜叉神「毘沙門天」の部下(武将)パンチーカの妻であり、一説では1,000人の子どもの母であったという。子育ての一方で、人間の子どもをさらっては食べてしまうため、お釈迦様は彼女の末っ子を隠してしまうのであります。愛児を見失った彼女は、嘆き悲しみお釈迦様に相談するのでありますが、
「千人の内の一子を失うもかくの如し。いわんや人の一子を喰らう時、その父母の嘆きや如何。」と戒め、仏教に帰依させたというのですが…。一説では、石榴は人肉の味がして、鬼子母神は、これを食べて人肉の味を思い出したとか、石榴の種子が子宝を象徴するとか言われているようです。鬼子母神を象徴する絵柄・持ち物は「石榴」であります。
以前、このブログにも書きましたが、我が家では神棚に鬼子母神を祀っております。この辺が、インド神話と仏教と日本神道が混在している所以でありますが、節分の豆まきでは、決して「鬼は外!」と言ってはいけないと教えられて来ました^^;
庭に石榴の木を植えているのですが、昨年の雪で新梢がことごとく折れてしまい、さらに不成り年と重なってしまったのか、今年は実を付けませんでした。毎年、鬼子母神に熟した石榴の実をお供えしてきたのですが、今年は、友人Tに「青菜漬け」を届け、換わりに石榴の実を枝ごと頂いてきました。亡くなった私の祖母は、子ども二人(娘)を幼くして病気と事故で亡くしており、男児二人を死産等で亡くしているので、我が家の子の成長を願って、曽祖父か祖父がどこからか鬼子母神の木像を求めてきたのかも知れません。それ以来、少々頭が悪くても、子どもたちに大きな事故や病気がありませんので、ご利益はあると信じましょう^^;
6月にヨモギの葉先に止まっているヒメギスの幼虫(♀)であります。全身タイツをまとったように、全身真っ黒でありますが、このバッタも長翅型はいるものの、全体的には翅が短く異動距離が少ない種であります。黒と言えば、我が家の菩提寺に「黒地蔵様」が祀られておりまして、子どもの頃良くお参りさせられました。お地蔵様は、子どもの護り神である…街道筋のお地蔵様にも手を合わせさせられたものです。「鬼子母神」を「子は鬼に近く、母は神に近い。」などと教え諭す方もいらっしゃいますが、古今東西、母親は子を護るためには鬼にも成る…そう考えたい『夢屋国王』であります。
近頃、我が性欲のために「子殺し」や虐待をする母親の記事を目にする度に、そう信じたいと切に願うのでありますが…。