ボヤキのノムさんこと楽天Eの野村監督が監督通算1500勝を達成した。日本球界では5人目の快挙である。「晩年になっておれも運が向いてきたのかな。ま、今年で終りだけど」。と、お得意のボヤキともおとぼけとも取れる発言で喜んだ。
小生は昭和30年代に、贔屓の毎日オリオンズ(現在の千葉ロッテM)と南海ホークス(現福岡ソフトBKH)の試合を、何度も「なんば球場」に見に行っている。その時の南海Hの捕手が野村選手でであった。(当時の19番の背番号を覚えている)当時は杉浦、皆川の好投手を擁し、伝説にもなりつつある鶴岡監督が指揮官であり、とにかくチームは強かった。
その後プレーイングマネジャーとして野村監督はチームの指揮を取ったが、フロントとのトラブルから、南海Hと大阪を離れて、東京に出てくる。その時に同伴したのが現在のサッチー夫人である。何ヶ月号か前の文藝春秋に、私に転機をもたらしたことのコラムに、同監督は夫人との出会いが、今の自分を支えて呉れていると書いていた。
野村監督は現役としては27年間プレーしている。この記録は長嶋巨人軍名誉監督の17年、王元ソフトBKHの22年に比しても抜群の記録である。監督としては同時に1506敗の新記録を更新中でもある。ヤクルト、阪神、楽天と弱小チームの育成に心血を注いできたことが分る。同時に再生工場と呼ばれるように、力の衰えた選手をうまく甦らす名人でもある。
1500勝のウイニングボールを、孫のような20歳の田中マー君から受け取り、長い野球人生を、しみじみと幸せだったと感じているに違いがない。
今年の楽天Eの戦いぶりは見逃せない。頑張れ野村監督。
小生は昭和30年代に、贔屓の毎日オリオンズ(現在の千葉ロッテM)と南海ホークス(現福岡ソフトBKH)の試合を、何度も「なんば球場」に見に行っている。その時の南海Hの捕手が野村選手でであった。(当時の19番の背番号を覚えている)当時は杉浦、皆川の好投手を擁し、伝説にもなりつつある鶴岡監督が指揮官であり、とにかくチームは強かった。
その後プレーイングマネジャーとして野村監督はチームの指揮を取ったが、フロントとのトラブルから、南海Hと大阪を離れて、東京に出てくる。その時に同伴したのが現在のサッチー夫人である。何ヶ月号か前の文藝春秋に、私に転機をもたらしたことのコラムに、同監督は夫人との出会いが、今の自分を支えて呉れていると書いていた。
野村監督は現役としては27年間プレーしている。この記録は長嶋巨人軍名誉監督の17年、王元ソフトBKHの22年に比しても抜群の記録である。監督としては同時に1506敗の新記録を更新中でもある。ヤクルト、阪神、楽天と弱小チームの育成に心血を注いできたことが分る。同時に再生工場と呼ばれるように、力の衰えた選手をうまく甦らす名人でもある。
1500勝のウイニングボールを、孫のような20歳の田中マー君から受け取り、長い野球人生を、しみじみと幸せだったと感じているに違いがない。
今年の楽天Eの戦いぶりは見逃せない。頑張れ野村監督。
野村さんの現役時代を知る範囲は,西武ライオンズ時代の野村さん…当時弱小だった西武を常勝軍団にしたのも野村さんの貢献があったものと聞いております。
来季はぜひ^^横浜にて指揮をとってほしい。。。
小生の僻みだろうか?パ・育ちの野村監督や落合監督の評判がもうひとつですよね。マスコミの取上げ方が偏っていたのでしょうか?
野村監督の大阪での南海H時代の現役時代を知っている方は少なくなっているでしょう。
横浜の監督に就任して、セ・リーグで一暴れも面白いかも^^^。