よく行っていた店なのに、それが閉まってしまうと、その店があった正確な場所を思い出すことができない。先年、閉店した香椎参道の「寿司処あり吉」もそうである。香椎参道に何軒か並んでいる店のうち、どこにあり吉があったのかを忘れてしまった。
前任校に赴任して香椎に住むことになり、家人と一緒に美味しい店はないものかと思って香椎界隈を探索した。今のように食べログなどが普及していないころである。一軒一軒、実際に行ってみるのが一番の早道であった。ただし、毎晩食べ歩きをしていたのでは、懐にこたえる。外から店の中の様子を窺ってみて、おそるおそるという感じで店の扉を開けたものだった。香椎参道の「寿司処あり吉」は、イタリア料理の「ア・ドマーニ」や洋食の「ビストロ」と並んで、そうやって見つけた店である。
あり吉の思い出はいろいろとあるが、あるとき壁に洋画が新しくかけられていたので店のご主人に聞いて見たところ、Hさんというお客さんの亡くなったご母堂が描いたもので、先日遺品を整理したときにHさんが持ってこられたとのこと。「Hさん、この間、テレビになんかのデモに参加しているところが映っとったね、あいかわらずライオンみたいな頭で。」
それを聞いて、Hという名字とライオンのような頭というところから、それはもしかして高名な法学者で日本学術会議会長を歴任されたH先生のことなのではないか、とひらめいた。まさかと思いつつも聞いてみたら、まさしくHさんというのはH先生のことなのであった。ご実家が、近くにあるのだという。
さらに驚いたことに、そのH先生に、あり吉でお目にかかったこともあった。ご実家にお越しになったときに立ち寄られたとのことであった。
家人もここで煮魚を上手に炊く方法を教えてもらったそうだ。弱火で煮るのではなく強火で一気に炊いてしまうのが、生臭くないようにするコツらしい。
「あり吉」、「隠れ家」は閉店してしまい、「寿司の次郎長」は移転した。「アドマーニ」、「nob」、「ビストロ」が以前のところで盛業なのは嬉しい。
前任校に赴任して香椎に住むことになり、家人と一緒に美味しい店はないものかと思って香椎界隈を探索した。今のように食べログなどが普及していないころである。一軒一軒、実際に行ってみるのが一番の早道であった。ただし、毎晩食べ歩きをしていたのでは、懐にこたえる。外から店の中の様子を窺ってみて、おそるおそるという感じで店の扉を開けたものだった。香椎参道の「寿司処あり吉」は、イタリア料理の「ア・ドマーニ」や洋食の「ビストロ」と並んで、そうやって見つけた店である。
あり吉の思い出はいろいろとあるが、あるとき壁に洋画が新しくかけられていたので店のご主人に聞いて見たところ、Hさんというお客さんの亡くなったご母堂が描いたもので、先日遺品を整理したときにHさんが持ってこられたとのこと。「Hさん、この間、テレビになんかのデモに参加しているところが映っとったね、あいかわらずライオンみたいな頭で。」
それを聞いて、Hという名字とライオンのような頭というところから、それはもしかして高名な法学者で日本学術会議会長を歴任されたH先生のことなのではないか、とひらめいた。まさかと思いつつも聞いてみたら、まさしくHさんというのはH先生のことなのであった。ご実家が、近くにあるのだという。
さらに驚いたことに、そのH先生に、あり吉でお目にかかったこともあった。ご実家にお越しになったときに立ち寄られたとのことであった。
家人もここで煮魚を上手に炊く方法を教えてもらったそうだ。弱火で煮るのではなく強火で一気に炊いてしまうのが、生臭くないようにするコツらしい。
「あり吉」、「隠れ家」は閉店してしまい、「寿司の次郎長」は移転した。「アドマーニ」、「nob」、「ビストロ」が以前のところで盛業なのは嬉しい。