お彼岸で、老親を連れて藤沢市にある荘厳寺にお墓参りに行きました。
このお寺は真言宗ですが、もともとは白旗神社の別当寺であり、江戸時代までは寺も神社の境内にあったそうです。明治の神仏分離で、寺は神社から離れなければならなくなり、もともと墓地のあった現在地に移転し、本堂を建てたとのこと。しかし、その本堂は関東大震災で倒壊してしまい、現在の本堂はその後の建て直したものだそうです。
Wikipediaにも載っていますが、この寺の寺宝というべきものは、江戸時代のものといわれている源義経の位牌です。ときどき、歴史愛好家などから「見せてください」という依頼があるそうです。
真言宗の寺ですから本堂の中には曼荼羅などが掲げられているわけですが、源義経の位牌は、本堂正面右に祀られています。
文治5年(1189年)6月13日、鎌倉の腰越で義経の首実検が行われた後、白旗神社の付近に義経と弁慶の首級が葬られたという伝承があります。このため白旗神社の付近には、源義経首洗井戸や弁慶塚が残されており、別当寺であった荘厳寺では、源義経のために位牌も拵えたのでしょう。
もともとこの荘厳寺にある墓所は、尾澤家という祖母の実家のものですが、男子がいなかったので尾澤家は途絶えてしまいました。祖母が死去したとき、祖父がそれを受け継ぎ、墓所の敷地内に祖母のために新しく湯淺家という墓石を建てました。したがって、江戸時代のものから何基か建っている墓石は、尾澤家のもので、湯淺の墓所は別の場所にあります。
父にとっての母方の祖父、つまり尾澤家の最後の当主は、横浜大空襲で焼け出され、藤沢に疎開しました。
そのまま藤沢で終戦直前に死去し、今はここに眠っています。
このお寺は真言宗ですが、もともとは白旗神社の別当寺であり、江戸時代までは寺も神社の境内にあったそうです。明治の神仏分離で、寺は神社から離れなければならなくなり、もともと墓地のあった現在地に移転し、本堂を建てたとのこと。しかし、その本堂は関東大震災で倒壊してしまい、現在の本堂はその後の建て直したものだそうです。
Wikipediaにも載っていますが、この寺の寺宝というべきものは、江戸時代のものといわれている源義経の位牌です。ときどき、歴史愛好家などから「見せてください」という依頼があるそうです。
真言宗の寺ですから本堂の中には曼荼羅などが掲げられているわけですが、源義経の位牌は、本堂正面右に祀られています。
文治5年(1189年)6月13日、鎌倉の腰越で義経の首実検が行われた後、白旗神社の付近に義経と弁慶の首級が葬られたという伝承があります。このため白旗神社の付近には、源義経首洗井戸や弁慶塚が残されており、別当寺であった荘厳寺では、源義経のために位牌も拵えたのでしょう。
もともとこの荘厳寺にある墓所は、尾澤家という祖母の実家のものですが、男子がいなかったので尾澤家は途絶えてしまいました。祖母が死去したとき、祖父がそれを受け継ぎ、墓所の敷地内に祖母のために新しく湯淺家という墓石を建てました。したがって、江戸時代のものから何基か建っている墓石は、尾澤家のもので、湯淺の墓所は別の場所にあります。
父にとっての母方の祖父、つまり尾澤家の最後の当主は、横浜大空襲で焼け出され、藤沢に疎開しました。
そのまま藤沢で終戦直前に死去し、今はここに眠っています。