仙洞御所を見学してまいりました。桂離宮も修学院離宮も行ったので「残るはここ!」ということで…。2日はとにかくお天気の良い日、京都は30度超えの真夏日だったようで、春の良い時期に予約を取ったつもりでしたが、想定外の炎天下の中での見学となりました。
仙洞御所のあらましは以下の通り(パンフレットから抜粋)
参観者の入り口です。大宮御所の正門になります。これは見学が終ってから撮ったので、門の前に柵がありますが、見学前はもちろんオープンになっています。
見学者待合
大宮御所御車寄
実際に天皇皇后両陛下、皇族方はこちらを御利用になっていらっしゃるそうです。
大宮御所御常御殿南庭
窓の内側はレースのカーテンで覆われていました。中は完全に西洋式スタイルだそうです。
仙洞御所庭園への潜り戸。ここからが仙洞御所です。
北池
庭園は北池と南池があり、それをぐるっと囲むように造営されています。
六枚橋
石橋
北池と南池を結ぶ掘割にかかる紅葉橋
南池 八つ橋
藤の花で覆われていました。
八つ橋は渡れました。こういうのって普通“見るだけ”っていうのが多いのですが、実際に通ることができてちょっと感動でした。
南池 州浜
敷き詰められた石は光格上皇のときの小田原城主大久保忠真の献上品だそうで、粒の揃った石を集めるため、石一個と米一升を交換したそうで、「一升石」と呼ばれているそうです。
たぶん何か名前がついていたと思う燈篭
醒花亭(せいかてい)
又新亭(ゆうしんてい)
柿本社
柿本人麻呂を祀ってあるそうです。
お花いろいろ。もうちょっと何か咲いているかしらと期待していたのですが。
紅葉の木が多かったので、こちらのベストシーズンは秋のようです。今年はこちらの紅葉を狙いたいと思います。
仙洞御所のあらましは以下の通り(パンフレットから抜粋)
仙洞御所とは、皇位を退かれた天皇(上皇、院などといわれる)の御所である。後水尾上皇の御所として寛永7年(1630年)に完成した。それと同時にその北に接して東福門院(後水尾上皇の皇后、徳川秀忠の娘和子)の女院御所も建てられた。両御所とも幾度か火災に遭い焼失し、この場所に再建を繰り返してきたが、嘉永7年(1854年)の大火で京都御所とともに焼失したのを最後に、ちょうどその時上皇がおられなかったこともあり造営されることなく、そのため、現在の仙洞御所には醒花亭・又新亭の二つの茶室以外に御殿等の建物はなく、庭園のみが残っている。
大宮御所とは、皇太后の御所のことで、女院御所の跡に慶応3年(1867年)、英照皇太后(孝明天皇皇后)のために造営された。英照皇太后が東京に移られた後に、御常御殿のみを残して整理され、現在に伝えられている。戦後における大宮御所は天皇皇后両陛下、皇太子同妃両殿下を始めとする皇族方、国賓公賓等の外国賓客の御宿泊所として用いられている。
大宮御所とは、皇太后の御所のことで、女院御所の跡に慶応3年(1867年)、英照皇太后(孝明天皇皇后)のために造営された。英照皇太后が東京に移られた後に、御常御殿のみを残して整理され、現在に伝えられている。戦後における大宮御所は天皇皇后両陛下、皇太子同妃両殿下を始めとする皇族方、国賓公賓等の外国賓客の御宿泊所として用いられている。
参観者の入り口です。大宮御所の正門になります。これは見学が終ってから撮ったので、門の前に柵がありますが、見学前はもちろんオープンになっています。
見学者待合
大宮御所御車寄
実際に天皇皇后両陛下、皇族方はこちらを御利用になっていらっしゃるそうです。
大宮御所御常御殿南庭
窓の内側はレースのカーテンで覆われていました。中は完全に西洋式スタイルだそうです。
仙洞御所庭園への潜り戸。ここからが仙洞御所です。
北池
庭園は北池と南池があり、それをぐるっと囲むように造営されています。
六枚橋
石橋
北池と南池を結ぶ掘割にかかる紅葉橋
南池 八つ橋
藤の花で覆われていました。
八つ橋は渡れました。こういうのって普通“見るだけ”っていうのが多いのですが、実際に通ることができてちょっと感動でした。
南池 州浜
敷き詰められた石は光格上皇のときの小田原城主大久保忠真の献上品だそうで、粒の揃った石を集めるため、石一個と米一升を交換したそうで、「一升石」と呼ばれているそうです。
たぶん何か名前がついていたと思う燈篭
醒花亭(せいかてい)
又新亭(ゆうしんてい)
柿本社
柿本人麻呂を祀ってあるそうです。
お花いろいろ。もうちょっと何か咲いているかしらと期待していたのですが。
紅葉の木が多かったので、こちらのベストシーズンは秋のようです。今年はこちらの紅葉を狙いたいと思います。