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おとらのブログ

観たもの、見たもの、読んだもの、食べたものについて、ウダウダ、ツラツラ、ヘラヘラ書き綴っています。

演劇界4月号

2012-03-16 23:34:42 | 読んだもの
 「演劇界4月号」の巻頭大特集は「襲名六代目中村勘九郎」で、表紙ももちろん当代の勘九郎さん、襲名披露公演でなさった『土蜘』の「叡山の僧智籌実は土蜘の精」です。

 お父様の勘三郎さんからの手紙、「挑戦と継承」というタイトルの小松成美さんが当代勘九郎さんにインタビューしてまとめられた記事、「中村屋の系譜」では江戸時代の猿若勘三郎から続く系譜が辿られています。また、演劇評論家の長谷部浩さんが「終わりがあり、始まりがある 中村勘九郎という名跡」という文章を寄せられていました。当代勘三郎さんの勘九郎時代の活躍についてずっと書かれてあるんですが、その中で五代目勘九郎さんについて「愛嬌があって、色気にあふれ、芝居が巧く、なお踊りが巧い。歌舞伎を演じるために生まれてきた男。三拍子いや四拍子揃った役者が五代目中村勘九郎であった」と最大級の賛辞を贈っていらっしゃいますが、実は、この前段に「現存の役者では、一代でここまでの大きな名跡とした例は、玉三郎のほかにはいない。」と書いていらっしゃって、玉ちゃんファンとしては、そうよねぇ、やっぱり玉ちゃんすごいと思いながら、勘九郎さんの記事を拝見しておりました。←どうも、感心するポイントが違うような…。何かどこかズレております。

 「小山三ひとり語り」も襲名関連で、勘九郎さんの「襲名の儀」についてでした。なかなか興味深い内容でした。名前を受け渡す儀式で、1月26日千穐楽を終えた平成中村座で執り行われたそうです。これは親から子へ、師匠から弟子へ名前を授けるものなので、親や師匠がいないとできない儀式だそうで、当代の勘三郎さんも先代の勘三郎丈もお父様を亡くされてから「勘三郎」のご名跡を継いでいらっしゃるので、この儀式はできなかったそうです。でも、考えてみると、いわゆる“大名跡”って、先代が亡くなってから継ぐものだから、めったにできませんよねぇ。今度の亀ちゃんが猿之助を襲名なさるときは、猿之助さんがいらっしゃるから、こういう儀式されるんでしょうか。猿三郎さん、ブログで紹介してくださるでしょうか。

 今月号で面白かったのは、劇評家の渡辺保さんが「私の歌舞伎遍歴-ある劇評家の告白」という連載を終えられたのを記念し、読者からの質問に答えるページです。香川照之さんについて聞かれてのお答えは「香川照之は現代演劇のすぐれた俳優の一人です。その俳優が歌舞伎に挑戦するのは大冒険です。むろん体の持ち味、芸の風格は一朝一夕ではできません。しかし、人間を描くことはうまいでしょうし、歌舞伎の方法論を知的、意識的に表現することはできるでしょう。私はその結果に期待しています。」でした。だんだんと襲名披露公演が近づき、いろいろなところでいろいろなことを言われている香川さんですが、大御所の渡辺さんがこういうあったかいコメントをなさっていて、ちょっと意外感もありましたが、渡辺さんがこうおっしゃっているのであれば、期待できそうです。渡辺さんの劇評も楽しみです。

 また“家の芸”をほかの家の俳優がそれを演じることについては「『家の芸』はその家の芸風を継ぐべき者の演目です。もし他の家の人間がそれを演じるならば、その家の芸を研究したうえで挑戦すべきだと思います。」ということでした。

 歌舞伎初心者への入門書としては、戸板康二さんの「歌舞伎への招待」(岩波現代文庫)を挙げていらっしゃったので、早速注文しました。

 こういった質問と答が35ありました。なかなか面白かったです。6ページほどですので、立ち読みでもすぐに読めます。よろしかったらどうぞ。


 
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名もなき毒

2012-02-06 23:14:25 | 読んだもの
 宮部みゆきさんの「名もなき毒」を読みました。

 内容紹介です。
 
今多コンツェルン広報室に雇われたアルバイトの原田(げんだ)いずみは、質(たち)の悪いトラブルメーカーだった。解雇された彼女の連絡窓口となった杉村三郎は、経歴詐称とクレーマーぶりに振り回される。折しも街では無差別と思しき連続毒殺事件が注目を集めていた。人の心の陥穽を圧倒的な筆致で描く吉川英治文学賞受賞作。

 「杉村三郎」を主人公としたシリーズの第2作目です。1作目は「誰かSomebody」で、3年前に読んでいます(その時の記事はコチラ)。シリーズ第3作「ペテロの葬列」が昨年から新聞連載が始まっているそうです。

 「誰かSomebody」でも書きましたが、「宮部みゆきもねぇ、そろそろもういいかなぁ」と思いつつ、「誰かSomebody」の続きと書いてあったので、買ってしまいました。それに「吉川英治文学賞」というのも重要なポイントです。「賞を取るのは、取るだけの作品である」という“読書の師匠”から教えを金科玉条のように守っているもので…(そのわりに、なぜか「芥川賞」は無視するワタクシなんですが)。

 文庫で600ページの長編です。登場人物もあちこちから結構な数が出てきますが、要領よく説明が入っているからか、案外混乱しませんでした。このあたりも宮部みゆきのうまいところなんでしょうね。

 無差別連続殺人は起きるけれど、その謎解きが中心ではなく、どちらかと言えば「原田いずみ」のほうがお話の中心にあり、嘘つき・ジコチュー・逆ギレ…と嫌なところ満載の女性で、彼女にまつわるエピソードはどれもこれも悲しくて、ホラーのような怖さで、「こんなのが近くにいたらヤだ、誰か、こいつを何とかできんのかっ!」とそんなことを思いながら読んでおりました。

 主人公の「杉村三郎」ですが、どうも探偵になるみたいです。最後の最後でそんな台詞があって、せっかく今多コンツェルンのお嬢様と結婚した逆玉の地位を捨てるんでしょうか。私の中ではかなり唐突な印象でした。次作の「ペテロの葬列」で明らかになっているんでしょう。そして、宮部みゆきの筆の力を持ってすれば、おそらく読者を納得させるだけの状況が設定され、ほとんど引っかかることなく、次のお話に入っていけるんでしょうね。やっぱり、次も文庫が出れば、買わないといけないようです。

 
 
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演劇界3月号

2012-02-05 22:40:09 | 読んだもの
 演劇界3月号でございます。表紙は吉右衛門さんと鷹之資クンの「連獅子」です。昨年のお正月に亡くなられた富十郎丈の追善狂言でした。吉右衛門さんの「踊り」ってあまりないと思いますが、とても良かったそうです。吉右衛門さんなら、踊りの技巧(手や足の動き)なんて忘れさせるくらい、ご自分の「芸」としてすべてを超越したものをお持ちなのでしょう。

 今月の巻頭特集は「初芝居戯場国賑(はつしばいかぶきのにぎわい)」です。先月1月は、新橋演舞場・国立劇場・平成中村座・浅草公会堂・ルテアトル銀座・大阪松竹座と東西6座で歌舞伎公演があったのでそれを取り上げています。

 「特集」と言うから、どんな誌面になっているのかしらと楽しみにしていましたが、舞台写真が並んでいるだけでした。毎号、その前の月の公演の写真は掲載されています。主だった人たちは一人一枚のカラー写真があって、そのほかは白黒となります。それが、今月はカラーのページが増えて、一人一枚の写真だけでなく、お芝居全体の写真がありました。白黒のページも増えていました。ただ、劇評のページは、一つの劇場を一人の方が担当される、毎号の形式でした。うーーーん、確かに、これだけ写真があれば、しかも美しいベストショットの写真があれば、見に行ってなくても見たような気分になるかもしれないけれど、何だか非常に“手抜き”されたような気分になるのは、ひねくれた私だけ?

 「演劇界」は先月号も、昨年1年の総ざらえで、1月から12月までの歌舞伎公演を振り返っていました。まだ、そちらはいろいろな評論家の先生や記者さんが記事を書いていらっしゃって、それぞれ読むところがありましたが、今月は本当に写真だけで…。今月号の読むページは劇評と、インタビューは坂東彌十郎さん・新悟さん親子でした。そうそう、中村屋のお師匠番の小山三さんの連載「小山三ひとり語り」のページが今月はカラーでした。

 まあ、もともと読むところが少ない雑誌ではありましたが、「何だかなぁ」とちょっと思ってしまいました。

 
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ザ・ベストテン

2012-01-31 23:28:12 | 読んだもの
 山田修爾さんの「ザ・ベストテン」を読みました。山田さんはTBSで音楽番組「ザ・ベストテン」のディレクター、プロデューサーを担当された方です。

 内容紹介です。
毎週木曜日夜9時──誰もが唄える歌があふれていた歌謡曲の黄金時代、誰もがこの番組に釘付けだった。黒柳徹子・久米宏の名司会、ランキング方式での歌手の出演、ハプニング連続の生放送、生中継。70年代~80年代を彩った音楽シーンがそこにあつまっていた。番組の誕生から終焉までをすべてに携わってきた男が綴る。黒柳徹子さんとの記念対談と「全ベストテンランキング一覧」も収録。

 帯には黒柳徹子さんが「木曜夜9時は少し遅れてきた青春でした。」という推薦の言葉を寄せられています。

 ザ・ベストテンは1978年1月に始まり、89年9月まで続きました。私が高校2年生を終えようかという頃に始まったんですね。何となく、自分が中学生ぐらいの時から見ていたように思っていたんですが…。結構、よく見ていたように思います。周りもよく見ていました。最高視聴率は41.9%を記録したそうです。

 当時としては画期的な番組で、ランキング方式の歌番組ってなかったそうです。それまでの歌番組はキャスティング方式で、プロデューサーが呼びたい歌手を呼ぶスタイルで、売れっ子に若手を組み合わせて一つの歌番組を作っていたそうです(「夜のヒットスタジオ」がその代表)。「ザ・ベストテン」は①リクエストのハガキのランキング②レコード売り上げのランキング③ラジオ各局におけるベストテン番組のランキング④有線放送のランキングの4項目を基礎データとして、それぞれの重要性に応じて比率を算出して、その集計した数値を総合的に判断して順位を決めていたそうです。その順位で呼ぶ歌手が決まるので、当然のことながら、出演拒否する歌手や出演できない歌手が出てきます。第1回目の放送に、当時トップアイドルだった山口百恵さんがベストテンに入ってなくて出演しないというような、番組的にはNGの結果も出たそうです。上からはすっごく怒られたそうですが、順位を操作したらこの番組が成立たなくなるので、この方式で推し進めたと書いていらっしゃいました。

 出演拒否はニューミュージック系の人が多かったですね。中島みゆきとか松山千春とか。毎回のように久米さんが謝っていらっしゃいましたが、見ている側は「あぁ、それだけ公正なデータを使ったはる。決して作為的な順位ではない」と思っていたので、山田さんのやり方はちゃんとこちらにも伝わっていました。

 出演できないのは地方でのコンサートやその移動中のためで、「追いかけます。お出かけならばどこまでも」というキャッチコピーで、コンサート会場や駅や空港など、いろいろなところから中継がありました。それも、当時は生中継というのはニュースでしかできなくて、歌番組で系列局を動かすなんて前代未聞のことで、最初はブツブツ言われたけれど、だんだんと番組がメジャーになるにつれて系列局も非常に協力的になったそうです。

 文庫化にあたって、著者の山田さんと黒柳さんのスペシャル対談が収録されていました。「ザ・ベストテン」って(おそらく)ウソのないランキングもそうだけれど、司会の黒柳さんと久米さんの力も大きかったように思います。“軽妙洒脱”という言葉がぴったりのMCでした。このお二人のやりとりも番組を見る楽しみでした。久米さんが降りられた後は、本当にプッツリと見なくなりました。視聴率に大きく影響したと思います。

 巻末に第1回から最終回(603回)までのすべてのベストテンランキングが掲載されていました。「歌は世につれ、世は歌につれ」です。あの頃はこんな曲が流行っていた、これがヒットしたのは私が○歳の時、こんな歌手いたよねぇ・・・、そこを見ているだけでも結構楽しいです。それにしても、ランキングにはアイドルあり、演歌あり、ニューミュージックありで、老いも若きも同じ番組を見ることができました。今は、見事なくらい、パキッと分かれていますよね。

 ちょっと“遠い目”をしてしまう本でした。

 
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演劇界2月号

2012-01-12 22:32:58 | 読んだもの
 「演劇界2月号」を買ってまいりました。この表紙、どなたかわかりますか。市川染五郎さんです。12月に上演された「碁盤忠信」のお姿です。写真左上に碁盤が写っています。ひいお祖父さまの七代目松本幸四郎丈の襲名百年を記念した公演で、この「碁盤忠信」は明治44年に上演されて以来、上演が途絶えていたものを復活した演目です。

 さて、今月号の特集は「2011年歌舞伎総まくり!」で、昨年1年間に上演された歌舞伎興行を振り返っています。毎月劇評や記事を書いていらっしゃる評論家さんや記者さん9人が「私のベスト3」を挙げていらっしゃいます。誰か一人の役者さんに集中することはなく、満遍なくいろいろな方の名前が挙がっていました。それでも、やっぱりと言うんでしょうか、孝夫さんや吉右衛門さんのお名前は何度か出てきました。孝夫さんは昨年は関西での興行が多かったせいか、私も拝見した「伊勢音頭」や「毛谷村」「盟三五大切」が良かったそうです。「演劇界2月号」は1月7日発売で、それから逆算すると、皆さん南座の顔見世はご覧にならずに記事を書かれたようで、「仙石屋敷」が出てこなかったのが残念でした。

 若手では菊ちゃんを3人の方が、壱太郎さんを2人の方が挙げていらっしゃっいました。菊ちゃんには「匂うような若女形のたおやかさ」、壱太郎さんには「時分の花」と賞賛の言葉がありました。

 お名前が出ると、もれなく舞台写真も掲載されますので、孝夫さんあちこちにご登場で「キャッ」でございました。

 劇評は12月公演分なので、南座の顔見世もありました。この「演劇界」の劇評ってどちらかと言えば“ほめる”方向で、“けなす”ことはあまりないように思います。12月の顔見世は確かに充実していたので、絶賛する文章が続きます。私は「らくだ」のところで、あの場面が蘇り、電車の中で読んでいたんですが、ちょっと噴き出しそうになりました。アヤシイおばさんです。

 インタビューは市川左團次丈でした。結構好きな役者さんです。たま~に、二時間ドラマに出演されています。インタビュアーの大島幸久さんとおっしゃる演劇ジャーナリストの方が、「私の独断で…」と言いながら「四代目市川左團次十種」として『助六』の意休や『毛抜』の弾正、『白浪五人男』の南郷力丸など9つまで上げられた後、十種の最後の一つとして『口上』を選んでいらっしゃいました。左團次さんの口上、“笑わせ”担当なんです。たぶん、一度や二度は聞いたことがあると思いますが、確かに“普通”ではなかった、爆笑したように記憶しています。『口上』は襲名とか追善とかの興行でしかやらないので、なかなか行き当たるチャンスがなくて、左團次さんがご出演で『口上』がある興行をぜひ!と思いました。まあ、このインタビュー記事の中でもしょっちゅう(笑)が出てくるので、笑いの絶えないインタビューだったんでしょうね。ここだけでも、本屋さんで立ち読みなさってくださいませ。サービス精神旺盛の左團次さんの楽しさ・面白さがおわかりいただけると思います。

 「演劇界」の来月号は「初芝居特集」だそうです。今月はいっぱい見るので、来月号を読むのが楽しみです。
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セーラが町にやってきた

2012-01-09 22:40:53 | 読んだもの
 清野由美さんの「セーラが町にやってきた」を読みました。この本は、清野さんが建築家の隈研吾さんとの共著「新・ムラ論TOKYO」の中の「小布施」のところで紹介されていました。

 内容紹介です。
 
1994年、春。長野県の小さな町・小布施に、金髪の若い女性がやってきた。彼女の名は、セーラ・マリ・カミングス。アメリカ生まれの日本好き、後に「女カルロス・ゴーン」とも呼ばれるその女性は、廃業寸前の老舗造り酒屋の再建に始まり、さまざまなアイデアで「小布施町ルネッサンス」を起こす。町に会社に、八面六臂の活躍をする台風娘を密着取材した話題の書。

 セーラ・マリ・カミングスさんの略歴です。1968年アメリカ・ペンシルベニア州生まれ、91年から1年間関西外国語大学に留学、93年6月にペンシルベニア州立大学卒業、長野オリンピックに憧れ再来日。94年6月に (株)小布施堂に入社、経営情報室を立ち上げ、97年7月 からは(株)桝一市村酒造場の再構築に取り組みます。98年10月には小布施堂、桝一市村酒造場の取締役就任、その後、桝一「蔵部」レストランの開業や文化サロン「小布施ッション」(Obusession) の運営に携わり、2001年12月には日経ウーマン誌が選ぶ「ウーマン・オブ・ザ・イヤー2002」の大賞を受賞されています。2004年4月 には(株)文化事業部設立、代表取締役に就任されました。

 とにかくすごい女性です。セーラさんに「不可能」という文字はありません。「国際北斎会議」の誘致、五輪カラーの蛇の目傘の発注、英国アン王女主催の英国選手団激励会の小布施での開催、欧米人として初めて「利酒師」の認定を受ける、和食レストラン「蔵部」の設計を香港在住のジョン・モーフォード(新宿のパークハイアットを設計した建築家)に依頼…etc...これらすべてが全くコネなし、彼女の、どちらかと言えば「当たって砕けろ」的な行動力でなしえたことなんです。あまりに何もかもうまく出来すぎで、人生を斜に見てしまう私は正直なところちょっと疑う気持ちがないではないんですが、おそらく彼女の天性の交渉力が全てに勝っていたんでしょうね。

 それと彼女を受け入れた枡一市村酒造場と小布施の人たちもエライと思います。もともとは「長野オリンピックの仕事がしたい」と来日したんですが、「外人は黙って通訳・翻訳だけしてたらいい」「女は発言するな」と言われ挫折しています。当時の役所や会社が言いそうなことですが(っていうか、20年経っても大なり小なりこういうのはあるような気がするけれど)。そんな中で、言い方は悪いけれど、“田舎”の造り酒屋さんが若い外人のオネェちゃんを雇って、やりたいようにさせた「度量」に感心しました。

 こういう本を30歳代で読んでいたら「私もがんばろう!」っていう気持ちになったと思いますが、半世紀生きてくると「私は、ちょっともう…」って気分です。そんなんではいけないんですが。でも、とにかく“うまくいく”ので、読んでいてHappyな気分になれます。そして小布施に行きたくなりますねぇ。日本酒と栗菓子と北斎が待っています。今年は北斎生誕250年の年だそうで、何かイベントがあるんでしょうか。

 

 
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上方のをんな 女方の歌舞伎譚

2012-01-05 23:23:52 | 読んだもの
 松嶋屋さんの片岡秀太郎丈の「上方のをんな 女方の歌舞伎譚(しばいばなし)」を読みました。秀太郎丈が語られたものを演劇記者の坂東亜矢子さんがまとめられました。

 内容紹介です。
 
心眼といわれた十三代目片岡仁左衛門の次男、片岡秀太郎。ほとんどの歌舞伎役者が東京に居を構えている中、上方の空気に触れ、そこで寝起きするからこそ、本物の上方らしさが自然と身につくものと、頑なに上方にこだわり続け、上方歌舞伎の頭脳といわれるほどの研究家でもある。古稀を迎えた今年、六十余年となる役者人生を振り返り、数々の名優たちとの芸談、さまざまな演目、役のしどころ、見どころなどを語る。 名優の誉れ高い十三代目片岡仁左衛門の次男に生まれ、上方に生き、上方らしさに徹底的にこだわり続ける役者、片岡秀太郎が初めて語る女方の真髄!

 お父様の十三代目さんの「役者七十年」と「とうざいとうざい」を合わせたような体裁になっています。半分はご自分のことや上方歌舞伎のこと、あとの半分は女形の「型」や「演技」について語っていらっしゃいます。登場する歌舞伎のお役は、上方歌舞伎の河庄「小春」、恋飛脚大和往来「梅川」「おえん」、廓文章 吉田屋「おきさ」、沼津「お米」、女殺油地獄「おかち」「小菊」「お吉」「おさわ」、義太夫狂言の菅原伝授手習鑑「苅屋姫」「立田の前」「桜丸」「八重」「戸浪」、義経千本桜 すし屋「弥助実は三位中将平惟盛」「小せん」、仮名手本忠臣蔵「顔世御前」「おかる」「お才」「お石」となっています。

 私の場合、たまたま、十三代目さんの「とうざいとうざい」は昨年読んだところだったので、ちょうど“お対”になって、両方あわせると立役さんと女形さんの両方の型(やり方)や見どころを教えてもらったような感じでした。特に「沼津」は一昨年の顔見世、「義経千本桜すし屋」は昨年9月に見たばかりだったので、語っていらっしゃるお米や弥助、小せんの姿が記憶にまだ新しく、読みながら「あぁ、あれですね」って納得しながら読みました。玉ちゃんとはまた全然違う女形さんなんですよね。バッティングするお役もなく、秀太郎さんだけを思い浮かべながら読むことができました。

 かなり率直にいろいろなことをお話しされています(ご本人もまえがきのところで「思わず、こんなことまで話してしまった」と書いていらっしゃいます)。秀太郎さんはお父様が大好きで、お父様のような立役になりたかったのに、回ってくるお役は女形ばかり、悔しいから一生懸命取り組まれたそうで、ご本人曰く「無理して」女形になられたそうです。孝夫さんが売れ始めたときも、「『何で』とむくれていた時代もあったと思う」と正直に告白?されていました。でも、その後すぐに孝夫さんのことは「そうなるだけの相当な苦労と努力を重ねています。体力的にも苦しかった時期を乗り越えて、今日の十五代目片岡仁左衛門がいる。偉いと思うし、私は尊敬しています」とちゃんとホロー(フォロー)していらっしゃいました。

 ご自身が主任講師を勤められた上方歌舞伎塾の卒塾生と愛之助さんが出演された「平成若衆歌舞伎」のことも熱く語っていらっしゃいました。実は「平成若衆歌舞伎」の第1回目の公演「新・八犬伝」を拝見しています。「新・八犬伝」とあったので、NHKの辻村ジュサブローさんの人形劇だと思っていて、当然のことながら「われこそは玉梓が怨霊~」が出てくるはずだと思って見ていましたが、それとは違う「新・八犬伝」でした。ちょっとがっかりしてしまって、第2回以降はもうひとつ食指が動かずパスしてしまいましたが、第5回(平成18年)まで続いたそうです。その頃から、愛之助さんに良いお役がつくようになり、「平成若衆歌舞伎」は発展的解消となったそうです。

 本当に盛り沢山の内容で、一気にサクサク読めました。松嶋屋ファンの皆様に特にいたします。

 
 
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演劇界1月号

2011-12-08 23:34:12 | 読んだもの
 「演劇界1月号」を買ってまいりました。表紙は菊ちゃんの「京鹿子娘道成寺」の白拍子花子でございます。

 今月号の特集は「六代目尾上菊五郎」です。歌舞伎の世界は襲名があって、同じお名前で○代目ナントカと呼ばれますが(孝夫さんなら十五代目片岡仁左衛門、玉ちゃんは五代目坂東玉三郎というふうに)、この六代目菊五郎丈だけは「六代目」だけで通じます。それだけ偉大、凄い人です。

 先ごろ亡くなられた中村芝翫丈は早くにお父様、お祖父様をなくされ、遺言で託されたのが六代目さんで、実質的な「育ての親」、歌舞伎のお師匠さんだったそうです。表紙になった「京鹿子娘道成寺」は芝翫さんの十八番でもありますが、六代目さんに徹底的に仕込まれ、だから芝翫丈の財産になったとご本人もおっしゃっています。

 写真で見る限り、失礼ながら、そんなしゅっとした二枚目ではありませんが(昭和24年に亡くなっていらっしゃるのでお写真は白黒、シャープな写りではないので、そのせいもあるかもしれませんが)、ご本人も自分が“丸い”ことは自覚されていて、舞台でいかに美しくかっこよく見えるかを追求され、それが今でも「菊五郎の型」として残っています。で、それがそのまま「お江戸のやり方」となっています。(←これ、かなり乱暴な書き方ですね。歌舞伎にお詳しい方々に怒られそうです。スミマセン)

 インタビューは孝太郎さんでした。どうしても端々に孝夫さんの話題が登場します。インタビュアーの人もしょっちゅう「お父様は…」「お父様の…」「お父様と…」っておっしゃっているような…。で、孝夫さんの話題が出ると、引き続き玉ちゃんのお話も出て、孝太郎さんには悪いけれど、注目してしまいます。玉ちゃんには「鳥辺山心中」のお染を教えていただかれたそうです。千之助クンの話も出ましたが、孝夫さんは千之助クンと共演したくて仕方ないそうで、お孫さんといっしょに出られるお芝居をずっと探していらっしゃるそうです。ワタクシ、孝夫さんは「永遠の二枚目青年」なので、この“じじ馬鹿”ぶりを聞くと、ちょっと萎えてしまいます。おじいちゃまになってはいけません…。

 ところで、先月の中村座では、孝太郎さんが「沼津」のお米と「義経千本桜」の典侍の局をいずれも初役で勤められ、概ね評判もよかったようなんですが、後ろの劇評で「立女形の格である。この人は、とかく父親の贔屓からは辛い採点をされるという損なめぐり合わせになりがちだが、実力はもっと評価されて然るべきである」と書かれてありました。ここでも孝太郎さんには申し訳ないけれど、前半の「父親の~」のくだり、納得ですね。おそらく、これは、孝夫さんのファンはやっぱり玉ちゃんと並んだ姿の美しさを知っているだけに、孝太郎さんでは「う~ん、ちょっと(正直に書けば“かなり”)違う」と思ってしまうんでしょうね。やっぱり「孝玉コンビ」です。って、どうしてもここに落ち着いてしまいますね。

                
 1月号にはカレンダーが付録についてきました。2011年の「演劇界」の1月号から12月号までの表紙写真を使ってあります。ただ、菊五郎丈と玉ちゃんは角度が違うものが使われており、孝夫さんはお役自体が変わっていました。このカレンダー、歌舞伎役者さんのお誕生日が全部載っています。去年、初めて見たけれど、ちょっとびっくりしました。これを飾っている人はこのカレンダーを見るたびに「あ、今日は○○さんのお誕生日!」って思うんでしょうか。
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ああ、懐かしの少女漫画

2011-12-07 23:07:52 | 読んだもの
 姫野カオルコさんの「ああ、懐かしの少女漫画」を読みました。読売新聞の書評欄で見つけた本です。

 内容紹介です。
 
“カオルコ少女”が5~10歳の頃夢中になった、昭和40年代の少女漫画。『なかよし』『りぼん』『マーガレット』、舟木一夫モノや、王道の恋愛&スポーツ、初めて見たヌード……驚異の記憶力と共に、鮮やかに甦る漫画たち。知らない人でもなぜか懐かしく笑える、不思議なノスタルジック・エッセイ。

 登場した少女漫画です。
●楳図かずお『赤んぼ少女』
●一条ゆかり『風の中のクレオ』
●赤松セツ子『乙女の祈り』
●はまえりこ『ねこのなく夜』
●牧美也子『花のコーラス』
●松井由美子『フォンティーナ』
●長谷川一『エンゼルちゃん』
●巴里夫『ドレミファそらいけ』
●今村洋子『チャコちゃんの日記』
●木原としえ『天まであがれ!』
●大島弓子『その日まで生きたい』
●山岸凉子『白い部屋のふたり』
●松尾美保子『ガラスのバレーシューズ』

 姫野カオルコさんは私より2歳年上でいらっしゃいます。小さい頃の「2歳の差」は結構大きいです。今の年齢になれば、プラスマイナス5歳なんて「同い年」、プラスマイナス10歳でも無理やり「同世代」としてしまいますが…。それと、姫野さん、かなり早熟で、少女漫画に夢中になっていたのが5歳から10歳の間、私が3歳から7歳の間にあたります。ということは“漫画に夢中”の時期が全然重なっていないんです。だから、登場した漫画家、楳図かずお、一条ゆかり、牧美也子、木原としえ、大島弓子、山岸涼子、松尾美保子は知っているんですが、上げられていた漫画は全然知らないのばかりでした。

 このことは、ご本人が本文の中でもおっしゃっていて、生まれたのは1958年だけれども、感覚的には1950年から1956年生まれに等しいと…。おばあちゃんが若い人に自分の知ってる少女漫画を語って聞かせるつもりで書かれたそうで、評論ではなく、少女漫画をネタにした「むかしばなし」だそうです。

 確かに語っていらっしゃる少女漫画は知らないものばかりでしたが、それにまつわるむかしばなし?は結構共有できる部分があって、「あぁ、そうそう」ってめちゃくちゃ共感しながら読みました。週刊少女フレンド、別冊少女フレンド、りぼん、なかよし、マーガレット、別冊マーガレット、デラックスマーガレット、別冊セブンティーン、おそらく全部一度は読んだことがあります。昔は「漫画を読む=勉強しない」だったので、母親からいつも怒られていました。でも、読んでいたけれど。友達の家に遊びに行って、自分が読んでいない漫画があろうものなら、他の子は外で遊んだり、ゲームをしたりしているのに、私はひたすら漫画に読みふけっていました。←ちょっと“遠い目”になります。

 姫野さん、すっごい「付録コレクター」でもいらっしゃって、口絵に秘蔵の付録の一部がカラー写真で載っていますが、40年以上前のものとは思えないきれいな状態を保っていらっしゃいます。そういえば、なかよしとかりぼんとか月刊誌の付録は結構大掛かり?で、組み立てキットみたいなものでした。手先が人一倍(否、十倍以上)不器用な私は、そういう工作が苦手でハナから作る気もなかったんですが、あの付録はどうしていたんでしょうか。ポイしてたんでしょうね。

 あとがきで、わたなべまさこ、花村えい子、谷ゆきこ、武田京子、保谷良三、高見エミリーちゃん(今は鳩山邦夫夫人です)や上原ゆかりちゃんのことを書いた第二弾を準備中だと書いていらっしゃいました。ぜひぜひお願いしたいと思います。

 ご本人は少女漫画論ではないとおっしゃっていますが、かなり鋭い指摘もあり、立派な評論だと思います。でございます。

 
 表紙の絵は姫野さんが描かれました。右半分:主人公(貧乏)、左半分:敵役(金持ち)
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ニッポンの書評

2011-11-28 23:22:29 | 読んだもの
 昔は本屋さんに行って、実際に本を見てから買うのが無上の楽しみでしたが、最近は結構「書評」を頼りにすることがあります。とにかく出版点数が異常なくらい多く、その新刊をすべて把握できない、特に新書は「売らんかな」でタイトルをキャッチーにするので、見極められないということもあり、新聞の書評で見て面白そうなのがあればネットで注文して読む、ということが増えてきました。

 ということで、これは本屋さんで見つけた本ですが、豊崎由美さんの「ニッポンの書評」を読みました。(豊崎さんの「崎」は正しくは大ではなく立のほうです)

 内容紹介です。
  いい書評とダメな書評の違いは?書評の役割、成り立ちとは?一億総書評家時代の必読書。

 一応、ブログでこのような“読書感想文”を書き散らかしている身としては、こういうタイトル気になります。もちろん、自分の書いたものは、決して、断じて、絶対書評ではないので、読むこともちょっと気恥ずかしい、あるいは不遜なような気がしないでもないのですが。著者の豊崎さんは、以前「文学賞メッタ斬り!」という本を読んでとても面白かったので、彼女の本ならと思いお買い上げです。彼女の書評に対する「思い」がいろいろあって、個人的にはそのいろいろが“目からうろこ”でした。

 以下、その“目からうろこ”です。

 私は、まずこの本を読んで驚いたのは、書評って、彼女の言葉によれば、「これは素晴らしいと思える作品を一人でも多くの読者にわかりやすい言葉で紹介すること」「作品と読者の橋渡し的存在」「書評家は小説を後ろから押す役目」とありました。要するに売れるように宣伝してあげるんですね。私は字面から「評」のほうに目が行って、短所を書くものだと漠然と思い込んでいました。そう言われれば新聞の書評欄を見ていても、そんなに悪いこと、不利なことは書かれていませんね。

 夏休みの宿題の“読書感想文”を書かされていた頃、粗筋だけ書いていてはダメで、必ず自分の感想も書かないといけないと強要されたトラウマからか、こういった書評も著者の考えを入れないといけないのかと思い込んでいましたが、豊崎さんは粗筋紹介も書評のうちだそうで「極端な話、粗筋と引用だけで成立していて、自分の読解をまったく書かない原稿があったとしても、その内容と方法と文章が見事でありさえすれば立派な書評」と言い切っていらっしゃいます。

 感想文と書評は違う、どう違うのかを説明してくださっています。「プロの書評には『背景』がある。本を読むたびに蓄積してきた知識や語彙や物語のパターン認識、個々の本が持っているさまざまな要素を他の本の要素と関連づけ、いわば本の星座を作り上げる力があるかないか」この部分は“目からうろこ”ではなく、当たり前と言えば当たり前の説明のような気がしないでもないけれど。それを飯のタネにしたはるんですから、それぐらいしてもらわないと、読むほうもお金を払って(新聞代とか雑誌代とか)読んでいるんですから…。

 
 帯の「ガター&スタンプ屋」という言葉はヴァージニア・ウルフが「書評について」という文章の中で書評家を皮肉った言葉で、「ガターとは切り抜き、スタンプとは鑑定。本の内容を短く書き抜いて、○か×の印をつける」という意味だそうです。
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