隈研吾さんと清野由美さんの「新・ムラ論TOKYO」を読みました。
内容紹介です。
以前、このお二人で「新・都市論TOKYO」という本を出されており、それを読んでいたので、おそらくタイトルのつけ方からしてその続編かと思われます。7月に発行されて、その直後に本屋さんで見かけたんですが、集英社の“思うツボ”になるのがどうも悔しくてスルーしていたんですが、やっぱり気になって10月にお買い上げです。まあ、隈研吾さんは新しい歌舞伎座の設計もしてくださっていることですし、そういうご縁もあるし、ということで…。
「都市論」のほうは汐留、丸の内、六本木ヒルズと行ったことがあるところも取り上げられていましたが、「ムラ論」のほうは下北沢、高円寺、秋葉原、小布施何れも行ったことはありません。下北沢は本多劇場とかスズナリとか小さい劇場がいくつもあって劇団の“聖地”みたいなところで一度行きたいと思いながら、行けてません。
ただ、その下北沢は通過したことはあります。もう20年以上前のことになりますが、前の前の会社の同僚が世田谷の経堂か豪徳寺あたりに住んでいて、その子の実家に泊めてもらって東京をウロウロしたことがありますが、小田急を使ってあちこち遊びに行ったので、毎日「下北沢」という駅名を聞いていました。聞くたびに「あー、ここが下北沢ですね」と思っていました。この本を読んで、そんな昔のことを思い出しました。
さて、本のほうですが、隈さんが各ムラのイントロダクションを書いて、その後隈さんと清野さんの対談という形式は前の「都市論」と同じです。その対談も、実際にその地に行って、いろいろなところを巡りながらあーだこーだとおっしゃっています。話し言葉なので、読みやすく、サクサク進みました。サクサクしすぎて、読んだ後「えーっと、あれ?」となりましたが。
下北沢と高円寺はどちらも東京の“古きよき”街って感じで、お二方とも結構ノスタルジーに浸っていらっしゃったのに対し、秋葉原はオタクの聖地を巡っていて結構“目が点”状態でした。秋葉原は読んでいるこちら側も“目が点”になったけれど。日本は大丈夫なのか、と私でも思ってしまいました。
小布施だけ、TOKYOではないし本当の村なので、最初は若干違和感がありましたが、“成功事例”として名前を聞いていたので、興味深く読みました。「旦那衆」の力だとおっしゃっていました。そういえば、先週見た熊本の八千代座のドキュメンタリーでも「旦那衆」が先頭に立ってがんばってここまでにされていました。ふるさとを良くしたいという思いがないと、できないんでしょうね。
内容紹介です。
ムラとは何か?それは行政上の「村」ではない。人が安心して生きていける共同体のありかであり、多様な生き方と選択肢のよりどころとなる「場所」を、本書では「ムラ」と呼ぶ。したがって、都会にも「ムラ」は存在するし、むしろ存在するべきなのだ。前者『新・都市論TOKYO』で大規模再開発の現場を歩いた二人が、高層ビルから雑多なストリートに視点を移し、「ムラ」の可能性を探る。東京におけるムラ的な場所―下北沢、高円寺、秋葉原。そして、地方から都市を逆照射する新しいムラ―小布施。そこに見えてきた希望とは?―。
以前、このお二人で「新・都市論TOKYO」という本を出されており、それを読んでいたので、おそらくタイトルのつけ方からしてその続編かと思われます。7月に発行されて、その直後に本屋さんで見かけたんですが、集英社の“思うツボ”になるのがどうも悔しくてスルーしていたんですが、やっぱり気になって10月にお買い上げです。まあ、隈研吾さんは新しい歌舞伎座の設計もしてくださっていることですし、そういうご縁もあるし、ということで…。
「都市論」のほうは汐留、丸の内、六本木ヒルズと行ったことがあるところも取り上げられていましたが、「ムラ論」のほうは下北沢、高円寺、秋葉原、小布施何れも行ったことはありません。下北沢は本多劇場とかスズナリとか小さい劇場がいくつもあって劇団の“聖地”みたいなところで一度行きたいと思いながら、行けてません。
ただ、その下北沢は通過したことはあります。もう20年以上前のことになりますが、前の前の会社の同僚が世田谷の経堂か豪徳寺あたりに住んでいて、その子の実家に泊めてもらって東京をウロウロしたことがありますが、小田急を使ってあちこち遊びに行ったので、毎日「下北沢」という駅名を聞いていました。聞くたびに「あー、ここが下北沢ですね」と思っていました。この本を読んで、そんな昔のことを思い出しました。
さて、本のほうですが、隈さんが各ムラのイントロダクションを書いて、その後隈さんと清野さんの対談という形式は前の「都市論」と同じです。その対談も、実際にその地に行って、いろいろなところを巡りながらあーだこーだとおっしゃっています。話し言葉なので、読みやすく、サクサク進みました。サクサクしすぎて、読んだ後「えーっと、あれ?」となりましたが。
下北沢と高円寺はどちらも東京の“古きよき”街って感じで、お二方とも結構ノスタルジーに浸っていらっしゃったのに対し、秋葉原はオタクの聖地を巡っていて結構“目が点”状態でした。秋葉原は読んでいるこちら側も“目が点”になったけれど。日本は大丈夫なのか、と私でも思ってしまいました。
小布施だけ、TOKYOではないし本当の村なので、最初は若干違和感がありましたが、“成功事例”として名前を聞いていたので、興味深く読みました。「旦那衆」の力だとおっしゃっていました。そういえば、先週見た熊本の八千代座のドキュメンタリーでも「旦那衆」が先頭に立ってがんばってここまでにされていました。ふるさとを良くしたいという思いがないと、できないんでしょうね。
