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おとらのブログ

観たもの、見たもの、読んだもの、食べたものについて、ウダウダ、ツラツラ、ヘラヘラ書き綴っています。

新・ムラ論TOKYO

2011-11-27 23:23:16 | 読んだもの
 隈研吾さんと清野由美さんの「新・ムラ論TOKYO」を読みました。

 内容紹介です。 
ムラとは何か?それは行政上の「村」ではない。人が安心して生きていける共同体のありかであり、多様な生き方と選択肢のよりどころとなる「場所」を、本書では「ムラ」と呼ぶ。したがって、都会にも「ムラ」は存在するし、むしろ存在するべきなのだ。前者『新・都市論TOKYO』で大規模再開発の現場を歩いた二人が、高層ビルから雑多なストリートに視点を移し、「ムラ」の可能性を探る。東京におけるムラ的な場所―下北沢、高円寺、秋葉原。そして、地方から都市を逆照射する新しいムラ―小布施。そこに見えてきた希望とは?―。

 以前、このお二人で「新・都市論TOKYO」という本を出されており、それを読んでいたので、おそらくタイトルのつけ方からしてその続編かと思われます。7月に発行されて、その直後に本屋さんで見かけたんですが、集英社の“思うツボ”になるのがどうも悔しくてスルーしていたんですが、やっぱり気になって10月にお買い上げです。まあ、隈研吾さんは新しい歌舞伎座の設計もしてくださっていることですし、そういうご縁もあるし、ということで…。

 「都市論」のほうは汐留、丸の内、六本木ヒルズと行ったことがあるところも取り上げられていましたが、「ムラ論」のほうは下北沢、高円寺、秋葉原、小布施何れも行ったことはありません。下北沢は本多劇場とかスズナリとか小さい劇場がいくつもあって劇団の“聖地”みたいなところで一度行きたいと思いながら、行けてません。

 ただ、その下北沢は通過したことはあります。もう20年以上前のことになりますが、前の前の会社の同僚が世田谷の経堂か豪徳寺あたりに住んでいて、その子の実家に泊めてもらって東京をウロウロしたことがありますが、小田急を使ってあちこち遊びに行ったので、毎日「下北沢」という駅名を聞いていました。聞くたびに「あー、ここが下北沢ですね」と思っていました。この本を読んで、そんな昔のことを思い出しました。

 さて、本のほうですが、隈さんが各ムラのイントロダクションを書いて、その後隈さんと清野さんの対談という形式は前の「都市論」と同じです。その対談も、実際にその地に行って、いろいろなところを巡りながらあーだこーだとおっしゃっています。話し言葉なので、読みやすく、サクサク進みました。サクサクしすぎて、読んだ後「えーっと、あれ?」となりましたが。

 下北沢と高円寺はどちらも東京の“古きよき”街って感じで、お二方とも結構ノスタルジーに浸っていらっしゃったのに対し、秋葉原はオタクの聖地を巡っていて結構“目が点”状態でした。秋葉原は読んでいるこちら側も“目が点”になったけれど。日本は大丈夫なのか、と私でも思ってしまいました。

 小布施だけ、TOKYOではないし本当の村なので、最初は若干違和感がありましたが、“成功事例”として名前を聞いていたので、興味深く読みました。「旦那衆」の力だとおっしゃっていました。そういえば、先週見た熊本の八千代座のドキュメンタリーでも「旦那衆」が先頭に立ってがんばってここまでにされていました。ふるさとを良くしたいという思いがないと、できないんでしょうね。

 
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飛鳥の都 シリーズ日本古代史③

2011-11-12 22:36:25 | 読んだもの
 吉川真司さんの「飛鳥の都」を読みました。岩波新書の「シリーズ日本古代史」の第3巻にあたります。

 内容紹介です。
 
舞台はいよいよ飛鳥へ。歴代王宮がこの地に営まれた7世紀、中国大陸・朝鮮半島の動乱に翻弄されつつも、倭国はいくつもの改革を断行し、中央集権国家「日本」へと変貌を遂げていった。推古天皇即位の背景から大化の改新、白村江の戦い、壬申の乱、そして大宝律令成立前夜まで、激動の時代の実像を最新の知見で描く。

 なぜ急に「飛鳥」を読みたくなったかといいますと、毎年行われている近畿地域の研修会(という名の親睦旅行、合同の慰安旅行)が今年は奈良県の番でした。送られてきたスケジュールを見ると、研修は「飛鳥時代の謎多き女帝、皇極天皇(斉明天皇)の歴史秘話」というタイトルで飛鳥古京顕彰会の先生の講演を聴くとなっていて、これはちょっと予習でもしておかないとかっこがつかんなぁと思い、“お勉強”となると、何となく岩波新書かしらと思い、これを選びました。久しぶりの岩波新書です。岩波を読むと何となく賢くなったような気になるのは、やはり気のせいなんでしょうね

 なかなか読み進まなくて、行くまでに読了するのか心配しましたが、何とか読了して奈良に行くことができました。

 645年の「大化の改新」の前後の時代です。「645年」って日本史を習い始めて、一番最初に覚えた年号のような気がします。学生のときは、遣隋使や遣唐使が派遣され、白村江の戦いがあり、壬申の乱が起こり(時代は順不同となっています)、ってそういう点でしか覚えなかったので、この本を読んで、初めて線でつながったような気がしました。さらに吉川先生は東アジアから視野を広げ、アジア・ユーラシア東部世界で日本とはどういうポジションにあったのか、あるいは近年発掘が進んでいる木簡から記紀には書かれていなかった最新の日本史など、なかなか興味深い本でした。

 学校の歴史の授業って、日本史は日本史だけ、世界史は世界史だけという教え方なので、日本で起こっていることと世界で起こっていることがどうもリンクしないんですよね。これだけグローバル化が叫ばれているのだから、教え方、もう少し変えられないものなんでしょうか。ただそうなると教える先生の側も「日本を含んだ世界の歴史」という捉え方でもう一度勉強しなおさないといけないだろうし、テストの問題も作りにくくなるんでしょうね。

 

 と、がんばって予習までして臨んだ研修でしたが、タイトルのとおり“謎多き”研修でした。お見えになった講師の先生は、明日香村の元村会議員さんと元役場の方でした。「歴史秘話」というのは斉明天皇のことではなく、高松塚古墳やキトラ古墳などさまざまな発掘を経験されて際の「歴史秘話」でした。たぶん斉明天皇と言う言葉は1時間30分の研修の中で3回くらいしか出てこなくて、その説明もなく、謎の中味はわからないまま研修は終了しました。記憶に残っているのは「縦割り行政の弊害」だけでした。でも、違う意味で面白かったです。久々に涙を流して、お腹を抱えて笑わせていただきました。私の中では枝雀さんの爆笑落語に匹敵するような、楽しい研修でした。お二方は12日の明日香村見学にも同行してくださり、現地説明もしてくださいました。残念ながら私は玉ちゃんのワークショップに出かけ、そちらには参加できなかったので、現地でどんなお話をされたのかは不明なんですが。月曜に会社で聞くのが楽しみです。

 
 ↑こういう資料は配られたんですが、見ることもなく…。
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演劇界12月号

2011-11-11 00:21:26 | 読んだもの
 演劇界12月号です。表紙は歌昇改め中村又五郎丈でございます。「菅原伝授手習鑑 車引」の舎人人梅王丸です。9月に演舞場で襲名披露公演があり、関西は3月に南座で襲名披露公演をなさいます。「秀山祭」でもあり、吉右衛門丈の「熊谷陣屋」の熊谷次郎直実と「俊寛」の俊寛僧都を拝見できるようで、楽しみにしております。

 12月号の巻頭特集は「怪人武智鉄二と武智歌舞伎」です。「武智歌舞伎」とは戦後間もない頃、気鋭の演劇評論家の武智鉄二氏が歌舞伎の再検討を目的に演出した一連の公演のことです。そのような時代のことですので、もちろん直接は存じ上げません。

 武智歌舞伎と言えば扇雀さん(現・坂田藤十郎丈)ということで、藤十郎丈のインタビューがありました。武智さんのおかげで、今の藤十郎さんがある、というのはよく聞きます。最初は全く何もできなかったとおっしゃっています。とにかく何事も一流の先生についていらっしゃいます。文楽の山城少掾に習ったお話は以前どこかで読みましたが、決してお弟子さんを取らない大夫さんなのに、武智さんの顔でお弟子になれたと。そのことが今の藤十郎さんの台詞の素晴らしい礎になっていると。

 また、お能の桜間道雄さんには半年間畳の縁を歩くだけのお稽古をつけてもらわれ、そのおかげで、舞台で走っても2階から階段を下りてきても決して裾が乱れないそうです。次回は、その場面に注目しようと決心しました。

 武智さんは演劇評論家として「演劇界」にも劇評を書いていらっしゃいました。その最後の劇評のタイトルは「素養の扇雀・素質の玉三郎」で、玉ちゃんのことを「よほど素質のよい人なのだろう」と誉めてありました。

 舞台写真は孝夫さんの吉野での「連獅子」と玉ちゃんの日生の「楊貴妃」がカラーで掲載されていました。劇評は、さすがに2日間だけの孝夫さんの公演はありませんでした。玉ちゃんの日生劇場は、演劇評論家の犬丸治さんで、やはり玉ちゃんが歌舞伎の舞台に立たれないことに言及していらっしゃいました。
 
「彼は今、こうしてもっぱら舞踊のなかで自己実現している。演舞場の歌舞伎に立たずに久しいが、彼なりの信念があるのだろう。しかし私は、楊貴妃のように『浮世なれども恋しや昔』と、沈潜するのはあまりにもったいない、と思っている」

 本当にそのとおりで、一応、1月は「妹背山」のお三輪ちゃんですが、やはり大歌舞伎の舞台に立っていただきたいなぁと思います。
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とうざいとうざい 歌舞伎芸談西東

2011-11-03 23:13:18 | 読んだもの
 十三代目片岡仁左衛門丈の「とうざいとうざい 歌舞伎芸談西東」を読みました。昭和59年に出た本で、仁左衛門丈は82歳の時のご本です。歌舞伎評論家の水落潔さんが聞き書きされています。

 帯の言葉です。
 
「型」を尊ぶ江戸歌舞伎と「風」を良しとする上方歌舞伎、この両輪の要にいる十三代目仁左衛門が名狂言の当たり役に材をとり、熱い想いをこめて著した東西の比較歌舞伎芸談集。

 取り上げていらっしゃる歌舞伎は以下の通りです。
 浄瑠璃三代名作
  「義経千本桜」から『すしや』のいがみの権太
  「仮名手本忠臣蔵」から大星由良之助と早野勘平
  「菅原伝授手習鑑」から菅丞相、松王丸と武部源蔵
 和事
  つっころばし・二枚目・半道・ピントコナ
  『角力場』の山崎与五郎
  『封印切』の亀屋忠兵衛
  『雁のたより』の三二五郎七
  『沼津』の呉服屋十兵衛
 和事の代表狂言
  「廓文章」から『吉田屋』の藤屋伊左衛門
 時代狂言
  「一谷嫩軍記」から『熊谷陣屋』の熊谷次郎直実
  「近江源氏先陣館」から『盛綱陣屋』の佐々木三郎兵衛盛綱
  「絵本太功記」から『十段目』の武智光秀
 世話狂言
  「夏祭浪花鑑」の団七九郎兵衛
  「伊勢音頭恋寝刃」の福岡貢
 家の芸
  「桜鍔恨鮫鞘」から『鰻谷』の古手屋八郎兵衛
  「紙子仕立両面鑑」から『大文字屋』の萬屋助右衛門
 老け役の演技
  「苅萱桑門筑紫𨏍」の新洞左衛門
  『沼津』の雲助平作
  『熊谷陣屋』の弥陀六
  『新口村』の孫右衛門
  『桜時雨』の灰屋紹由

 十三代目さんはこの本を「歌舞伎の手引草」と書いていらっしゃいますが、本当にその通りの本です。それぞれのお役について、演技だけではなく、お衣裳や背景、持ち物にまで詳細かつ丁寧に述べていらっしゃいます。さらに東京式ならこう、大阪式ならこう、と東西の違い、さらになぜ違うのかまで解説していらっしゃいます。聞いて書かれた水落さんも、本当に聞いたまま書いていらっしゃるようで、「テン、テン、テンテンテン」「チンチンチンチン、チリチリチン」「ツツツンテン、トツチントツテン」という擬音や「バタッ」とか「スタスタ」とか擬態語が入り、臨場感溢れる芸談になっています。

 私が実際に見た演目もありますが、まだまだビギナーでそんな細部にわたって見ておりませんので、なかなか興味深く、この本を手元において舞台を見てみたいと思いました。

 舞台写真もありました。十三代目さんはもちろんステキなんですが、孝夫さんと玉ちゃんがいっしょに映りこんでいる写真もあって、お二人ともお若くおきれいで「キャッ」でございました。

 
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演劇界11月号

2011-10-06 23:40:58 | 読んだもの
 演劇界11月号でございます。表紙は先月長期療養から復帰された中村勘三郎丈でございます。やっぱり、少しお痩せになったような気がするんですが、いかがでしょうか。

 今月の巻頭大特集は「歌舞伎に挑む若者たち」で、国立劇場の歌舞伎俳優研修所の研修生が取り上げられています。買おうかどうしようか迷ったんですが、何となく毎月買ってるし、研修所ってどうなってるのってことに興味もあったし、劇評や舞台写真(キャッ、孝夫さんの「義経千本桜」です)もあるしと思いお買い上げです。

 その孝夫さんの「義経千本桜」の劇評ですが、書き手は産経新聞の亀岡典子さんでした。亀岡さん大阪の方で、普段から新聞のほうでも上方歌舞伎の記事は書いていらっしゃて、上方歌舞伎贔屓でいらっしゃるので、ベタ褒めでございます。まあ、孝夫さんのお芝居をけなせと言ってもけなすところがまずないんですけれどね。舞台写真もまあステキでございました。

 さて、特集の研修所の研修生のページです。昔の歌舞伎界は幼い頃に入門し、時間をかけて一人前の役者に育っていきましたが、時代が変わり、その方法が通じなくなくなってきました。国立劇場が発足した昭和41年当時、30歳未満の歌舞伎俳優は全体の四分の一以下しかおらず、後継者育成の必要から、この歌舞伎俳優研修所が誕生したそうです。経験は問われず、中学卒業から23歳までの男子であれば、誰でも受験できます。昭和45年に始まり、現在で第20期、研修期間は当初は2年間だったそうですが、現在は3年間。研修所では毎日実技(演技)、立廻り・とんぼ、化粧、衣裳・鬘、義太夫、長唄、鳴物、下座音楽、筝曲、作法などのお稽古が行われているそうです。

 第1期生が初舞台を踏んで40年近く経ち、研修所の修了生は歌舞伎俳優全体の三分の一ほどが占めるようになっています。

 記事は、まず、[一日の授業に密着]ということで、研修所の授業風景のレポートがありました。授業はは月曜から金曜まで毎日朝10時30分から夕方5時20分までびっしりとあります。この日の授業は日本舞踊、立廻り、実技、化粧でした。研修所に入る前には浴衣も着たことがない生徒もいれば、ご家族が日舞のお師匠さんという生徒もおり、レベルはバラバラ、そういう生徒さんたちを指導する先生方も大変です。講師は現役の役者さんも勤められます。

 その[講師インタビュー]で、澤村田之助丈、中村時蔵丈のお話がありました。舞台の出番の合間を縫って教えに来られるそうです。

 さらに[修了生に聞く、研修所の思い出]で市川春猿さんのインタビュー記事がありました。第9期生だそうです。“出世頭”でいらっしゃるんでしょうね。名題で、ポスターにもお芝居の姿で写真が載るんですから。

 また、夏の勉強会報告で「稚魚の会 歌舞伎会 合同公演」と「上方歌舞伎会」が取り上げられていました。「上方歌舞伎会」は見に行ったのでとても身近で、出演者のアンケートと劇評は面白く読みました。こういう方たちがいるからこそ歌舞伎が面白くなるので、活躍を期待したいです。
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メタボラ

2011-10-02 23:06:08 | 読んだもの
 桐野夏生さんの「メタボラ」を読みました。2005年から1年ちょっと朝日新聞に連載されていた小説だったので、お読みになった方も多いかもしれません。

 内容紹介です。
 
記憶を失った〈僕〉は、沖縄の密林で、故郷を捨てた昭光と出会う。2人は名前を変えて新たな人生を歩もうとするが、非情なヒエラルキーに支配された実社会に、安住の地は見つからない。孤独、貧困、破滅の予感。逃げろ! 何処へ? 底辺に生きる若者たちの生態を克明に描き、なお清新な余韻を残す傑作ロードノベル。

 〈僕〉と昭光が交互に一人称で語る形式で小説は進みます。〈僕〉は実はネット集団自殺の生き残りで、そのショックで記憶を一時的に失いました。〈僕〉には昭光からギンジという名が与えられ、途中まで全くどこの誰だかわからないギンジが、いろいろな“過去”を足したり“現在”を作ったりしながら、このまま無事ギンジとして生涯を全うするのか、と思いきや、半ば過ぎのところで、記憶を取り戻し、それからギンジ(本名は雄太)の悲惨な過去が綴られていきます。かなり悲惨です。父の暴力、母の家出、両親の育児放棄、大学中退、清掃アルバイト、アル中、請負労働の派遣工員、そしてネット集団自殺…。おそらく、これが書かれた2005年当時のあらゆるネガティブなトピックスを集めたような、「これでもかっ」ってくらいつらい人生です。記憶を取り戻さずに、ギンジのまま沖縄で生きていけたらよかったのに、と読みながら何度も思いました。

 一方、昭光は、実は宮古島の市会議員のお坊ちゃまなんですが、どうしようもない不良で、“地獄の訓練”の職業訓練塾に放り込まれるんですが、そこから脱走、脱走の途中で〈僕〉と出会い、しばらくの間、行動を共にします。俳優になれるくらいのハンサムボーイらしいんですが、「オゴエッ」「あばっ」「だいず」etc.と宮古の方言が混じるので、それを音にすると沖縄の人のゆっくりとした物言いを想像してしまい、私はどうしてもメタボなボワーッとしたおにぃちゃんを想像してしまうんですが。(ちなみに題名の「メタボラ」は新陳代謝を意味するメタボリズムらしいです。メタボリック症候群のメタボではありません。)

 後半、二人は、ゲストハウスとホストクラブで働きはじめ、何となくうまくいきそうになりながら、そこでも安住できず、下へ下へと追いやられます。「え、まだ落とされるの…」ってくらい、突き落とされます。上の内容紹介に「なお清新な余韻」とありますが、私はそんな気持ちにはなりませんでした。「もう、やだ」って思いながらも、桐野夏生さんの筆の力で読み終わりました。

 一家離散、請負派遣、ネット自殺、ホストクラブというようなトピックスだけでなく、沖縄が舞台なので、基地問題やナイチャーとウチナー、地方と中央の対立、知事選挙と政治向きエピソードも盛り込まれていました。基地問題のところは少しだれたけれど(私があまり政治に興味がないせいもあるけれど)、文庫で700ページ近い大作をよくここまでお書きになったよなぁと思います。いろいろなものがてんてこもりで、お腹いっぱいになる小説でした。

 
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クロワッサンプレミアム11月号

2011-09-22 23:24:55 | 読んだもの
 玉ちゃんの記事が載っているということで買ってきた「クロワッサンプレミアム11月号」です。このところ、10月の日生劇場の舞踊公演のPRで、いろいろな雑誌にご登場です。数ページのために買うのもなぁ…と思いながら、この「クロワッサンプレミアム」の表紙を見ると「輝く自由な50代へ」とあり、何だか買わないといけないような気になりお買い上げです。

 昔の「クロワッサン」って“自分の意見を言おう!”“自立する女を目指すんだ!”っぽいイメージで、普通のファッション雑誌とは一線を画しているような雑誌だったんですが、今は、ごくごく普通のファッション雑誌でした。巻頭特集が「これが今年の『きちんとスタイル』」「ジャケットやボウブラウスのおしゃれな選び方、知っていますか?」です。さらにお米料理特集とか、京都特集とか…。変に肩肘張ったような内容も勘弁してほしいけれど、あまりの“変節”ぶりにちょっとびっくりしました。ファッション特集だって、ジル・サンダー、エルメス、ランバン、グッチ、ディオールですから。バブルです。もう少しグレードを下げた(お値段がお安いということです。念のため)ファッションでも、ずいぶんとコンサバでした。それこそ花の女子大生時代に、JJを読んでいた人たちがアラフィフになったら着ているような、そんなお洋服ばかりで。変われば変わるものです。ま、買える買えないはともかくも、基本お洋服大好きな人なので、それなりに楽しくは拝見しました。

 で、肝心の玉ちゃん特集です。
 タイトル
  日生劇場で16年ぶり25日間の舞踊公演を前に
   坂東玉三郎さん
    ―芸能者として、生活者として在ること。
  小見出し
    丁寧に積み上げる
    篤実に生きることを
    好奇心かリスクか

 玉ちゃんらしい、とても真面目で真摯に生きていらっしゃるお姿がよくわかる記事でした。写真も何枚もありましたが、6月のチャリティコンサートの写真があり、歌手のように歌っていらっしゃるお姿で、本物の歌手みたいでした。このコンサートについては、いろいろ漏れ承ってはおりましたが、お姿を拝見したのは初めてで、ちょっと衝撃走りました。よろしければ、本屋さんでご覧になってくださいませ。

 
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高砂幻戯

2011-09-14 01:21:57 | 読んだもの
 先ごろ亡くなられた小松左京さんの「高砂幻戯」を読みました。“初・小松左京”です。私は「小松左京=日本沈没」のイメージがあって、Science色の強い本ばかりお書きになっていると思っていましたが、実はそうではなく“芸道小説”というジャンルも手がけていらっしゃったと追悼記事で読み、さらにその中に桂米朝師匠と枝雀さんのことを書いた小説があるらしいと小耳にはさみ、小松左京さんの本を初めて手に取りました。

 本の紹介です。
 
古くから高砂の御厨として、また謡曲「高砂」でも有名な高砂市。かの地の高砂神社へと向かっていた「私」は、ひょんなことから若い男女の二人連れとともに訪れることになるのだった。そしてそこで「私」はある信じがたい光景に出会う……。歴史的伝承、幻想的情景にSF的発想の飛躍が見事に融和した表題作をはじめ、“女”シリーズ四篇など、幻想と抒情に彩られた全十三篇を収録。

 私が読みたかったのは「天神山縁糸苧環(てんじんやまえにしのおだまき)」という小説で、それだけ読もうかとも思いましたが、せっかくなので、最初から読むことにしました。

 一番目の小説は「歌う女」で、その後「旅する女」「昔の女」「写真の女」と“女”シリーズが4本続きました。「歌う女」は全くSF色のない、普通の小説でした。しかも結構叙情的です。っていうか、この本に納められている小説は大体が叙情的でした。ちょっとラブストーリーもあったりして、「小松左京=SF」と思っていたので「小松左京って恋愛小説も書かはるんやわぁ」とちょっとびっくりしました。

 で、「天神山縁糸苧環」にとびます。桂文都師匠とその弟子小文さんが出てきます。それぞれが米朝師匠と枝雀さんがモデルらしいです。米朝師匠は「乗合船夢幻通路(のりあいぶねゆめのかよいじ)」にも“桂文都師匠”として、「小夜時雨」には米朝師匠として登場なさいます。仲良しだったんですよね。確かいっしょにラジオ番組もなさっていたそうです。小松左京さんが亡くなられたときに、コメントも出していらっしゃいましたから。

 文都一門ということで、いろいろな落語家さんが登場されるんですが、もちろん呼び名は違うので、いちいち「これは米朝一門の誰のこと?」と推理?しながら読んでおりました。そういう楽しみもありました。

 クライマックスの文都師匠が「立ち切れ」を演ったはる場面はかなり読み応えがありました。ナマで聞きたくなります。1980年代、枝雀さんが“爆笑王”の名をほしいままにし、とにかく面白い落語を演ったはった頃に、「何が演りたいですか」と聞かれ、「立ち切れ」と答えたはったのを覚えています。その頃の枝雀さんとは真逆の位置にある落語らしいと聞いてから、何となく「立ち切れ」という噺はとても気になる噺で、故文枝師匠の十八番とは聞いていましたが、聞くこともなく、枝雀さんのも聞くことはなく、もちろん米朝師匠も聞くこともなく、結局聞いたのは鶴瓶…。「何だかなぁ…」でございます。今だったら、どなたのを聞いたらいいんでしょうか。

 なかなかバラエティに富んだ小説集でした。“SF=苦手”という意識がバリバリで、絶対途中で挫折するだろうと思っていましたが、ちゃんと最後まで読めました。ファンタジーっていうんでしょうか。読んだ後、不思議な感覚が残る本でした。です。

  
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演劇界10月号

2011-09-08 22:53:58 | 読んだもの
 待ちに待った「演劇界10月号」でございます。巻頭大特集で孝夫さんと玉ちゃんの対談でございます。

 「坂田藤十郎×市川團十郎」「中村吉右衛門×中村又五郎」の対談もありますが、それより前に「片岡仁左衛門×坂東玉三郎」の対談が、いの一番に載っています。ページを開けると、床の間を背にきちんと羽織袴でお二人が正座して並んだお写真が見開き2ページ分あります。もう、いきなり「キャッ」とテンション上がります。もちろん“素”のお二人で、冷静に見れば、中(高?)年のおじさん二人が並んでいる写真なんですが、私は冷静にはなれませんので、「あ~ん、お似合いやん」と思ってしまうわけです。“素”なのに、本当に雰囲気があります。

 対談は7ページ分、その中にも「盟三五大切(昭和51年8月国立小劇場)」「桜姫東文章(昭和60年3月歌舞伎座)」「助六(平成21年南座顔見世)」「忠臣蔵七段目(平成22年南座顔見世)」「吉田屋(平成21年4月歌舞伎座)」の舞台写真と、それぞれの対談のときのお顔が1枚ずつ、さらにお二人がお話されている最中のツーショットのお写真が3枚、最後に立ち姿のお二人の写真が1枚ありました。玉ちゃん、素でも指先まで神経が行き届き、とても美しい手の表情です。

 対談のタイトルは「私たちが受け継ぎ伝えていきたいもの」となっていました。お二人にとってお父様、十三代目仁左衛門丈と十四代目守田勘弥丈の存在はすごく大きいものだったようです。「まだ無理」と思うようなお役もお父様たちから「やれ!」と言われて必死でお稽古され、またお父様方もとことんお稽古に付き合い、ワキでご出演もしてくださったそうです。また、そういうことができる環境だったそうで、今は、自分の出番しか興味がない、ビデオを見ればいいやん、何か変わったことをしたいという人が多くて、それではいけないとおっしゃっています。(この号の後ろのほうのページで、勘三郎さんところの小山三さんが「(最近の若い人たちは)聞いたような顔をして聞いてないし、ビデオを見れば何とかなると思うんでしょ」と同じようなことをおっしゃっていました)

 ちょっとびっくりしたのが、二十歳ごろの玉ちゃんはまだお衣裳にそれほど頓着がなく、「四の切」の静御前をなさったときに、衣裳がなくて「菊姫(衣裳の柄の種類)」をお召しになって舞台に立たれたそうです。そうしたら1年くらいして六代目歌右衛門丈から「あんなところでそんなもの着ちゃいけないよ。遠山か霞、業平に決まってるだろ」って言われ、その時初めて、姫の衣裳に種類があることがお分かりになったそうで、今や、歌舞伎界でも一番お衣裳に凝られる玉ちゃんですが、そういう時代もあったんですね。ちょっと微笑ましいエピソードでした。

 最後に「円熟期に入られて、ご自分の芸の完成、人間としての完成も含めて、目指すもの、やるべきものについて考えられますか。」という質問があり、孝夫さんは「これでいいや、と思ったらそれまでだし。その先、その上まで行こうとしたら、自分に厳しくしていかなくてはならない。これで完成というのがないからこそ、ある意味でつらいし、また、ある意味で楽しんでいるのだと思います」と、玉ちゃんは「円熟は私にはありません。今の自分にできることを、一つひとつ精一杯していくだけです」とおっしゃっています。まだまだ上を目指されるお二人です。

 ところで、お二人がお会いになるのはこの対談が今年初めてだそうです。聞き手の国立劇場顧問の織田紘二さんが「いちばん最近の共演は、昨年の南座顔見世ですね。もっとご一緒される機会が多いような印象があったので意外でした。孝玉コンビがそれでいいのかと。」とおっしゃっています。「孝玉コンビがそれでいいのか」というところ、声を大にしておっしゃっていただきたいですね。国立劇場の顧問ならきっとえらい方にも「物申せる」はずですから。織田さん、よろしくでございます
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都知事 権力と都政

2011-08-19 23:13:02 | 読んだもの
 佐々木信夫さんの「都知事 権力と都政」を読みました。著者の佐々木さんは現在は中央大学大学院経済学研究科の先生です。都庁に10年ほど勤務されている時代があったそうで、その時の経験?をもとに東京都政に関する本を何冊も書いていらっしゃいます。

 内容紹介です。
都知事は首相より強い権力者と言われる。首相が頻繁に交代するなか、もう一つの政府とも言える都知事は原則四年間変わらない。1300万の都民を背景に、GDP世界第10位以内の実力を持つ東京都は、日本で突出した力を持ち国政に影響を与え、また公害をはじめとする新たな問題と格闘してきた。本書は、都知事のもと、国家の一歩先を走ろうと試行錯誤した歴史を辿りながら、大都市東京の実態と可能性を明らかにする。

 この本の発行は今年の1月で、「都知事」というタイトルから、春に行われる都知事選挙をねらって書かれたものかと思いきや、都政全般について書いてあります。都知事もあくまで「都政の長」というとらえかたで、特定の誰かを応援するとかあるいは貶めるとかではなく、都政の事実が淡々と綴られていました。

 「東京都」については、私の“何も仕事をしないことが仕事”という仕事の時に、都庁のOBの方と組むことがあり、その折にいつもいろいろ聞いていたので、東京都民になったことはないけれど何となく親しみを感じています。この本を買ったのも、OBの方たちとの“話のタネ”にしようという下心があったからなんですが、OBの方にこの本のことを言ったら、「あぁ、あれねぇ」ともひとつの反応で、ちょっとがっかりしました。よく考えてみれば、大学卒業後定年退職するまでずっと都庁にお勤めで、都政のプロで東京都のことなら全てご存じのことばかりでしょうから、当然と言えば当然なんですが。著者の佐々木さんのこともご存じでしたが、「東京都の研究なんか他に誰もしてないからね。都庁時代はそんな優秀な職員じゃなかったし」ということで、そう言われてしまうと、人の言葉に左右されやすい私は「何や、そんな程度のもんか」と思ってしまいました。

 そういう話は別にして、とてもよくまとまったわかりやすい本だと思いました。国政のことは、毎日テレビや新聞で事細かに(細かすぎるぐらい?)いろいろ報道してくれるけれど、東京都のことは石原都知事の発言(それもインパクトのある発言だけ)以外は全くと言っていいほど報道されません。この本では、戦後東京都には知事が6人いたが、歴代知事はどういう仕事をしたのか、それは成功だったのか失敗だったのか、議会は何をしているのか、20万人もの都の職員は何をしているのか、東京とはお金持ちと言われているけれど実際のところ黒字なのか赤字なのか、今の石原さんの大都市経営はどうなのか、など細かく丁寧に述べられていました。

 上にも書いたように、特定の政党やイデオロギーに片寄ることなく、都政に関する事実をありのまま書いていらっしゃっる(と思う)ので、引っかかることがなくするすると読めました。たまに、以前OBの人に教えてもらった話もあったりして、「あ、これやったら、知ってるし」とちょっと優越感?を感じたりして…。なかなか面白く読みました。

 
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