大阪の東南に位置する美具久留御魂神社と建水分神社は
楠木正成の氏神社として崇敬されており
美具久留御魂神社は下水分社と呼ばれ、建水分神社は上水分社と呼ばれている。
従って祭神は同じでも不思議はないはずだが
実際は建水分神社は主神が天御中主神で左殿(天水分神・罔象女神)右殿(国水分神・瀬織津媛神)
美具久留御魂神社は主神が大国主命で左殿(天水分神・罔象女神)右殿(国水分神・須勢理比売命)
となっている。
美具久留御魂神社の主神が大国主命となったのは社伝によれば、
崇神天皇10年(紀元前88年)にこの地にしばしば大蛇が出没したので、
崇神天皇自ら視察して「これは大国主命の荒御魂によるものである」として
大国主命を祀らせたのに始まるという。
従って右殿の須勢理比売命もこの時に瀬織津媛神から須勢理比売命とされた可能性がある。
ところで水分神社は大和国四所水分神社が始祖社と考えられる。
東西南北に配置されており以下の通りの社名となっている。
東 宇太水分神社(うだみくまりじんじゃ) 天水分神・速秋津比古神・国水分神
西 葛城水分神社(かつらぎみくまりじんじゃ)天水分神 国水分神
南 吉野水分神社(よしのみくまりじんじゃ)天之水分神・天萬栲幡千幡比賣命・高皇産靈神・少名彦神など
北 都祁水分神社(つげみくまりじんじゃ)速秋津彦神・天水分神・国水分神
これらの水分神社は農耕用水の源流で水の分岐点に位置する神社となる。
天水分神・国水分神がまず配神されたものが原初であろうか。
速秋津比古神・速秋津比売神は水戸神と呼ばれ水の神の中でも河口を守る神と言われるが
水利の神として尊ばれていた速秋津彦神を天水分神・国水分神の親神であることから主神とし
さらに水の神として有名な罔象女神や淤加美神を付加したものと考えられる。
さてここで本題として取り上げたいのは
建水分神社の右殿の瀬織津姫である。
速秋津彦神が主神となるなら祓戸四神としての繋がりで
当初より瀬織津姫が祀られていたとしても違和感が無い。
しかし水分神社の主祭神が天水分神 国水分神とすれば
その後に水の神の瀬織津媛神が祀られたのか、
もともと瀬織津媛神・罔象女神が祀られた場所に水分神社が建てられたかの
どちらかと思われる。
瀬織津媛神が消された縄文の女神だとすると建水分神社の本当の主神は瀬織津媛神で
天御中主神や大国主命というメジャーな神を持ち出して消したという事になるが
実際はどうだったのか?
ある程度答えは見えているので検証がもう少し出来次第、続きを記載したいと思う。
ただ美具久留御魂神社については
『美具久留御魂神社の「白雲宮」と二上山の「深蛇大王」 No291』で記したように
「トヨ」の白雲の水の女神がもともとの祭神であると考えている。
※ある書籍で美具久留御魂神社と建水分神社の祭神の関係から
瀬織津媛神と須勢理比売命を同体であるとしているものがあったが
かなり困難な推理と思われる。
その論理でいけば天御中主神が大国主命と同体となってしまう。
ちなみに須勢理比売命と同体であるとの仮定については本居宣長が
根の国底の国に坐す速佐須良比の可能性を言及している。
建水分神社は主神が天御中主神となったのには
妙見信仰か度会神道か水天宮の影響があった可能性がある。
一般論から言えば天御中主神を主祭神とする水天宮の信仰は、
神仏習合時代には「水」の字つながりで水天宮が天之水分神・国之水分神と習合している。
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楠木正成の氏神社として崇敬されており
美具久留御魂神社は下水分社と呼ばれ、建水分神社は上水分社と呼ばれている。
従って祭神は同じでも不思議はないはずだが
実際は建水分神社は主神が天御中主神で左殿(天水分神・罔象女神)右殿(国水分神・瀬織津媛神)
美具久留御魂神社は主神が大国主命で左殿(天水分神・罔象女神)右殿(国水分神・須勢理比売命)
となっている。
美具久留御魂神社の主神が大国主命となったのは社伝によれば、
崇神天皇10年(紀元前88年)にこの地にしばしば大蛇が出没したので、
崇神天皇自ら視察して「これは大国主命の荒御魂によるものである」として
大国主命を祀らせたのに始まるという。
従って右殿の須勢理比売命もこの時に瀬織津媛神から須勢理比売命とされた可能性がある。
ところで水分神社は大和国四所水分神社が始祖社と考えられる。
東西南北に配置されており以下の通りの社名となっている。
東 宇太水分神社(うだみくまりじんじゃ) 天水分神・速秋津比古神・国水分神
西 葛城水分神社(かつらぎみくまりじんじゃ)天水分神 国水分神
南 吉野水分神社(よしのみくまりじんじゃ)天之水分神・天萬栲幡千幡比賣命・高皇産靈神・少名彦神など
北 都祁水分神社(つげみくまりじんじゃ)速秋津彦神・天水分神・国水分神
これらの水分神社は農耕用水の源流で水の分岐点に位置する神社となる。
天水分神・国水分神がまず配神されたものが原初であろうか。
速秋津比古神・速秋津比売神は水戸神と呼ばれ水の神の中でも河口を守る神と言われるが
水利の神として尊ばれていた速秋津彦神を天水分神・国水分神の親神であることから主神とし
さらに水の神として有名な罔象女神や淤加美神を付加したものと考えられる。
さてここで本題として取り上げたいのは
建水分神社の右殿の瀬織津姫である。
速秋津彦神が主神となるなら祓戸四神としての繋がりで
当初より瀬織津姫が祀られていたとしても違和感が無い。
しかし水分神社の主祭神が天水分神 国水分神とすれば
その後に水の神の瀬織津媛神が祀られたのか、
もともと瀬織津媛神・罔象女神が祀られた場所に水分神社が建てられたかの
どちらかと思われる。
瀬織津媛神が消された縄文の女神だとすると建水分神社の本当の主神は瀬織津媛神で
天御中主神や大国主命というメジャーな神を持ち出して消したという事になるが
実際はどうだったのか?
ある程度答えは見えているので検証がもう少し出来次第、続きを記載したいと思う。
ただ美具久留御魂神社については
『美具久留御魂神社の「白雲宮」と二上山の「深蛇大王」 No291』で記したように
「トヨ」の白雲の水の女神がもともとの祭神であると考えている。
※ある書籍で美具久留御魂神社と建水分神社の祭神の関係から
瀬織津媛神と須勢理比売命を同体であるとしているものがあったが
かなり困難な推理と思われる。
その論理でいけば天御中主神が大国主命と同体となってしまう。
ちなみに須勢理比売命と同体であるとの仮定については本居宣長が
根の国底の国に坐す速佐須良比の可能性を言及している。
建水分神社は主神が天御中主神となったのには
妙見信仰か度会神道か水天宮の影響があった可能性がある。
一般論から言えば天御中主神を主祭神とする水天宮の信仰は、
神仏習合時代には「水」の字つながりで水天宮が天之水分神・国之水分神と習合している。
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