筆者は技術者として先端を垣間見たこともありましたが、
人間が歴史を重ねて今までに作り上げてきた
技術と文化と物質の値打ちは
計り知れないものがあると思っています。
日々神霊界にその意味の深さを奏上しています。
次元の高い神霊界と違い、
この現実世界は意識が物質を形作り、物質が物質を形作る中で
物理法則というルールに縛られた固定化された世界です。
この次元は唯一無二の世界です。
神霊界霊界幽界を含む三千世界に生まれた特異点です。
次元の歪の中に生まれた混沌を
人類の意識がひとつひとつの混沌とした現象を
一つ一つ整理し並べ論理と摂理でもって
膨れ上がる歪を封じ込めてきたのです。
この世界を人類の方から捨て去ろうというのは
真に以って愚かな事です。
人類はまさに今選択を迫られています。
一つは次元上昇アセンションです。
一つは地球と人類の滅びの道です。
一つは現実世界で人類そのものの生命進化です。
釈迦はこの世に諸行無常 諸法無我を感じ
涅槃寂静を理念としました。
確かに常なるものは無く、実体も無く
あるものは意識が生み出した波動のみです。
波動のエネルギーを物質に錬金したのです。
そういう混沌の中でよくぞここまで世界を作り上げたものです。
実はこの実体世界は三千世界の希望の星なのです。
現実世界こそが弥栄の源泉なのです。
日本国はこの変化において重要なキーなのですが、
それは製造した物質にも神を観る神道が根付いているからです。
人間が作り出した物にも(偶像以外でも)
神が宿るという発想は非常にユニークなものです。
実際に八百万の神々として、鰯の頭に神を見た人も居たわけです。
(西洋でも古代にはソード等に神霊を見ていましたが。)
例えば貨幣などは物質世界の悪の象徴のように言う方も多いのですが
人間が作り出した価値観のピークであり、
これがどう運用されていくかをこそ見守り祈る必要があります。
我々の祈りとは社会が正常に機能して
人類が発展することを第一とすべきだと思っています。
そしてその基本は寛恕と和と思いやりの精神だと痛感しています。
人間が歴史を重ねて今までに作り上げてきた
技術と文化と物質の値打ちは
計り知れないものがあると思っています。
日々神霊界にその意味の深さを奏上しています。
次元の高い神霊界と違い、
この現実世界は意識が物質を形作り、物質が物質を形作る中で
物理法則というルールに縛られた固定化された世界です。
この次元は唯一無二の世界です。
神霊界霊界幽界を含む三千世界に生まれた特異点です。
次元の歪の中に生まれた混沌を
人類の意識がひとつひとつの混沌とした現象を
一つ一つ整理し並べ論理と摂理でもって
膨れ上がる歪を封じ込めてきたのです。
この世界を人類の方から捨て去ろうというのは
真に以って愚かな事です。
人類はまさに今選択を迫られています。
一つは次元上昇アセンションです。
一つは地球と人類の滅びの道です。
一つは現実世界で人類そのものの生命進化です。
釈迦はこの世に諸行無常 諸法無我を感じ
涅槃寂静を理念としました。
確かに常なるものは無く、実体も無く
あるものは意識が生み出した波動のみです。
波動のエネルギーを物質に錬金したのです。
そういう混沌の中でよくぞここまで世界を作り上げたものです。
実はこの実体世界は三千世界の希望の星なのです。
現実世界こそが弥栄の源泉なのです。
日本国はこの変化において重要なキーなのですが、
それは製造した物質にも神を観る神道が根付いているからです。
人間が作り出した物にも(偶像以外でも)
神が宿るという発想は非常にユニークなものです。
実際に八百万の神々として、鰯の頭に神を見た人も居たわけです。
(西洋でも古代にはソード等に神霊を見ていましたが。)
例えば貨幣などは物質世界の悪の象徴のように言う方も多いのですが
人間が作り出した価値観のピークであり、
これがどう運用されていくかをこそ見守り祈る必要があります。
我々の祈りとは社会が正常に機能して
人類が発展することを第一とすべきだと思っています。
そしてその基本は寛恕と和と思いやりの精神だと痛感しています。