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2018.1 黒田記念館で名画鑑賞→上野大仏・清水堂→箱根駅伝快走に元気をもらい、トヤマバーで一献

2018年01月10日 | よしなしごと

2018.1 寛永寺参拝+黒田記念館で名画鑑賞+箱根駅伝快走
 <2018.1 新春に上野を歩く+駅伝を応援する 図+写真+フルページ

 
寛永寺の門を出た向かいは東京芸大の敷地で、左の国立博物館の庭園側に向かうと、右手に国際子ども図書館がある。もともとは明治39年1906年に建てられた帝国図書館である。白みの石とベージュ色の煉瓦の外壁、縦長のアーチ窓、壁のレリーフなど、明治建築の特徴をいまに伝えている。2002年、安藤忠雄氏のデザインで改修、増築され、子ども図書館として開館した。年末年始の休館中なので通り過ぎる。

 隣は黒田記念館である。1928年、岡田信一郎の設計で開館した。当時流行していたスクラッチタイル、正面2階にはイオニア式オーダーを載せた列柱が目を引く。ていねいに見ようと近づいたら、人が出てきた。よく見ると、無料一般公開中の表示があった。中に入る。スタッフがにこやかな顔で出迎え、2階にどうぞと指さす。階段はアールヌーヴォのデザインである。2階左の特別展示室には、美術の教科書で習った見覚えのある名作が展示されていた。思わず息を飲む。
 黒田清輝(1924-1866)は島津藩黒田家の生まれで、伯父の養子になった。伯父は幕末に武勲をたて、明治後に子爵になるほどの名家だった。清輝は法律を学ぶためフランス語を学び、18才のときフランスに留学するが、20才のころ画家に転向した。1892年、20才で描いた「読書」が入選、次々と話題作を描いた。1893年に帰国、近代絵画の重鎮として活躍する。東京美術学校教授、貴族院議員、帝国美術院長も務めている。
 2階特別室の息を飲む作品は、1891年「読書」、1893年「舞子」、1897年「湖畔」、1899年「知・感・情」である。新春のせいか空いていて、一つ一つじっくりと鑑賞できた。「読書」のモデルは恋人?マリア・ビョーである。「舞子」は鴨川を背にし、あでやかな着物の舞子が描かれている。国の重要文化財の指定を受けた名作である。「湖畔」はのちの夫人照子がモデルで、「舞子」に比べ清楚な印象である。これも国の重要文化財の指定を受けている。「知・感・情」は3人の裸婦が知、感、情を表しているが、体型もプロポーションも日本人離れしている。理想的な女性像を描き出したようだ。これも重要文化財の指定である。いずれも穏やかな光を受け、描写が細やかで、柔らかな印象を受ける。
 反対側の黒田記念室には、細密なデッサンである図画稿と完成した下絵が並んでいて、黒田清輝の画法を学ぶことができる。隅には黒田清輝が愛用したH型イーゼルや画材道具も展示されていた。もう一度、特別室に戻り、名作を眺めて下に降りる。1階にはショップとカフェがあったが、ここで休んでしまうと駅伝を逃すので表に出た。
 新春早々、素晴らしい名画に出会えた。幸先がいい。初詣代わりに新春コンサートや名画探訪もよさそうだ。

 上野公園の大噴水を見ながら南に歩くと、右のこんもりとした高台の上にパゴダ=仏塔が見える。このあたりに、寛永8年1631年に建立された釈迦如来像があったそうだ。初期の像は漆喰だったらしい。仏殿も建てられたようだ。地震、火災で倒壊、損壊するたびに鋳造され、再建されたが、明治に入り仏殿が撤去され、1923年の関東大震災で頭部が落下した。頭部、銅部は寛永寺が保管していたが、第2次世界大戦で銅部は供出されてしまった。1972年、寛永寺保管の大仏の顔面からレリーフをとり、釈迦如来像の跡に安置された。これが通称「上野大仏」である。これ以上落ちないということで受験生に人気があり、この日も行列ができていた。

 坂を下ると、左に清水観音堂=清水堂の懸崖造りが見える。京都・清水寺を模したとされる懸崖造りで、重要文化財である。懸崖造りの手前に、歌川広重の名所江戸百景「上野清水堂不忍池」に描かれた「月の松」が再現されている。広重の図では舞台から不忍池を見下ろしている景色だが、丸く円を描いた松の枝は下から見上げても絵になる・・2016年8月「上野を歩く」にも紹介した。"https://onedrive.live.com/embed?cid=75434A3C7766D39B&resid=75434A3C7766D39B%215714&authkey=AGepj3PpnT9UfCg&em=2"。外国人も次々と写真を撮っていて、いまや観光名所になっている。

 地下鉄銀座線上野駅から三越前駅に向かう。1時ごろについた。沿道は駅伝を応援する人で賑わっていた。例年、1時半ごろのゴールだから少し早い。日射しはあるが、風が冷たい。
 三越の向かいには富山県のアンテナショップ日本橋とやま館がある。前にも寄ったことがあり、奥に富山の銘酒を楽しむトヤマバー、その奥に富山の食材を使ったレストランがあったので、一杯飲みながら駅伝を待とうと中に入った。念のためレストランをのぞいたら、空いていて、しかもまだ富山から食材が届かないので鯖寿司+かき揚げうどんセットしかないが、すぐ用意できるという。さっそく、鯖寿司+うどんセットをいただいた。

 食べ終わって、沿道に並ぶ。警備の人はイヤホンで駅伝の状況を聞いていて、沿道の人に間もなくと声をかける。右手の日本橋の方から歓声が聞こえてきた。1時25分ごろ、青山学院大の走者が素晴らしい早さで駆け抜けた。あまりの早さでシャッターが間に合わず、写真には背中しか写っていなかった。5分ほど遅れて東洋大が走り抜けた。続いて早稲田大、日体大、東海大が素晴らしい走りを見せてくれた。今年も新春早々、元気を分けてもらった気分である。
 トヤマバーに入り、次々と駆け抜ける走者を最後まで観戦しながら新酒飲み比べセットを味わった。香りあり、キレあり、旨みあり、それぞれの個性が出ている。カブラ漬け、蛍イカの沖漬けを購入し、帰路についた。

 徳川家菩提寺の寛永寺に初詣、黒田清輝の名作を鑑賞し幸先良し、駅伝走者の素晴らしい走りで元気を得て、トヤマバーで新酒飲み比べ、充実した新春になった。

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