book426 大聖堂の殺人 マイケル・ギルバート 長崎出版 2007 /2016.9読
著者マイケル・ギルバートはロンドン大学卒業で、弁護士をしていたが第2次大戦中にイタリアの捕虜となり、収容所で読んだ本をきっかけに作家に転向したそうだ。
推理小説の第1作が1947年の「大聖堂の殺人」で、読み終わった印象では唐突感が気になった。まだ、系統だって証拠、証言を分析し、立証していくといった展開が弱いと感じた。
p278では、主役の一人で事件を解明するヘイズルリッグ主席警部について、・・根気よく、執拗で、どこまでも食い下がろうとする集中力・・選択的集中力・・、適切な除外を行う・・と評している。
これがギルバートの推理の姿勢のようだが、証拠、証言を見誤ったり、証拠、証言が偏っていれば、「大聖堂の殺人」のように、事件が長引き、殺人が繰り返されてしまう。
最初に明晰な推理を重ね、動機となる心理を読み取らねばならないのではないだろうか。
しかし、「大聖堂の殺人」のあとは本格的推理作家としてアガサ・クリスティに匹敵すると評価されたほど、人気が高まったそうだ。
この本の舞台はメルチェスター大聖堂である。メルチェスターは、物語の様子からは、ロンドンからの日帰りが難しい地方の小さな町で、大聖堂があるから歴史的には地方の中核のようである。
巻頭に、「英国の境内移住区」からのコピーと記された大聖堂の敷地見取り図が掲載されている。
この見取り図を見ると、大聖堂の敷地の外周には上るのが難しいほどの塀が巡らされ、時間がくると閉められてしまう正門、主教門、南門の3つの門が設けられている。
敷地の中央東寄りに十字型平面の大聖堂が建ち、敷地を囲む北、西、南の塀に沿って住区が設けられ、ここに主席司祭、司祭、聖歌隊長、聖歌助手、校長、教授、巡査部長などが、屋敷を構えている。
ここではきわめて閉鎖的なコミュニティが形成されていて、すべてが筒抜けになると同時に、深層の心理を表に出さないうわべの上手なつきあいが日常となっている。これが地方のイギリス社会の伝統かも知れない。
物語は、年老いた主席聖堂番への嫌がらせのいたずら書き+手紙から始まる。
主席司祭は、問題を穏便に解決しようと、甥でスコットランドヤードの巡査部長に休暇を取って調べに来てくれるように依頼する。巡査部長はさっそく調査に乗り出すが、その矢先主席聖堂番が大聖堂横の機関小屋前で殺されているのが発見される。
この時点までは、巡査部長が事件解明の主役かと思っていた。
実際は、上司であるヘイズルリッグ主席警部が乗り込んできて、巡査部長とともに証拠、証言を調べ、選択的集中力=適切な除外で犯人を絞っていくことになる。
こうした思い違いを引き起こす流れも、唐突さを感じさせる要因だろう。
しかも、選択的集中力で犯人を絞り込んだはずだが、新たな事件が発生して推理を練り直すことになる。適切な除外が誤っていた=犯人の周到さが一枚上手だったことになる。人間誰しも間違いはあってもいいが、ベテランの警部の明晰な推理を期待しているのだから、犯人の周到さを見抜いて欲しかった。
最終的にはクロスワードパズルを解き、殺人犯を突き止め、主席聖堂番の悪事を暴くことになる。が、推理小説としては物足りなく感じた。
物語は、1章 不眠の司祭、2章 事件の下調べ、3章 大聖堂の夕拝、4章 殺人、5章 言葉の綾、6章 ポロック、尋問する、7章 ミッキー教授、白状する、8章 ベア・ホテルにて夜の検討作業、9章 身近な者たちへの疑い、10章 プリン聖歌助手、ほぼ確信にいたる、11章 お茶会と、その後の出来事、12章 アリバイ崩しと手強い相手との対決、13章 クロスワードパズル、14章 死しているがなお語る、15章 捜査開始、16章 事実の構築と展開する。
推理小説としては不完全燃焼になったが、イギリスの地方の暮らしぶりや考え方、生き方、つまり本音のイギリス人・・聖職者特有の世界かも知れないが・・を理解することができたのは収穫である。
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