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1982年連載 生活空間再考8「集団のまとまり性」 集団的なまとまりには共通性・境界性・中心性の形態的表出が鍵

2016年07月01日 | studywork

1982 生活空間再考8「集団のまとまり性」 建築とまちづくり誌

 人々が共に生きようとして集まり住み、一つの地域的な社会を形づくるとき、そこには共通の習俗、共有の規範、行動における一定のモードが生まれてくる。
 逆にいえば、日常の生活の中で習俗、規範、モードが同一であったり、等質であることをくり返して見ることによって、人々は同一の集団の構成員であることを確認しあうことにもなる。
・・・国民性とか地域性とかの文化性と共通する・・

(1) 住居形態における共通性・類似性
 同じところに住むということで、気候風土への対処の仕方、使用材料や構法技術が共通化してくることが、まず第一にあげられる。
 同じような生産形態・生活様式であるため、器である空間の構成が似てくることも大きい。
 同じところに住み、同じような生活を営みながら、皆で最良の解を求めているのであるから、結果として同じような住居空間に到ったとしても、何ら不思議なことではない。

(2) 集落の境界性
 都会では地域的な社会単位の境界は、すっかりわかりにくくなってしまった。現にそこに住んでいる人ですら、自分の帰属すべき地域的単位の大きさを知らないことが多い。
 しかし、都会から少し離れれば、まだ周縁の明瞭な集落を見ることができる。多くの場合は、地理的・地形的に他とは切れており、景観的な一群を形成するが、二~三群で一つの社会的単位であったり、散居村のように群としてのまとまりを見い出せないこともある。

(3) 集落の中心性
 中心性についてはわかりやすいこともあって、居住地計画における実践例を多く見ることができる。
 中心が点としてではなく軸として形成される事例も多い。街道宿から発展した集落の表の道はその典型である。
 また、集落のはずれの神社と、中ほどの集会所のように、ハレの生活の中心とケの生活の中心の二ケ所に分かれている事例もあれば、神社、集会所、遊び場などが集まり、広場を形づくる事例も見られる。
 いずれも生活活性の極めて高いところが、中心的なところとして形成されており、当然ながら、空間のしつらえが他より数段と良く、空間密度の高い構成となっている。

 人々の関係が疎となり、集団のまとまり性が弱くなりつつある現在、集団的なまとまりを演出するためには、生活を見きわめた上での、共通性・境界性・中心性の形態的表出は、有効な手法となろう。

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