気がつけばふるさと離れて34年

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

ポトフー

2016-08-17 15:16:54 | グルメ
レパートリーの少ない(手抜き)主婦の食卓によくのるのが、私が勝手に「西洋おでん」と呼んでいる「ポトフー」です。

出来上がりは以下のようになります。
といってもこれは料理本の表紙の写真です。
我が家の料理の写真は何故か消去してしまいました


でも実際に作ったという「証拠写真」は以下の香辛料の丁子を刺したタマネギの写真です。


日本のクッキング・ブックにも我が家に伝わる1900年発行のドイツの古い料理本(何でも夫の御祖母様がお嫁入りする時にお持ちになったものらしいです)にも準備する材料の欄に「タマネギにはくぎ形の香辛料丁子をさす」と書いてあります。




「丁子」はドイツ語ではNelkenです。


以前、丁子がきれてしまって使えなかった時があったのですが、あまり味にかわりはなかったような気がします。
ですから多分、使わなくても良いのだとは思うのですが律儀(?)に使っています。
「ポトフー」以外では冬に暖かい赤ワインの「グリューワイン」を作る時に使うぐらいなので、香辛料ひと瓶で数年は持つと思います。

ポトフーを我が家ではホースラディッシュとマスタードでいただきます。


ちなみに「ポトフー」とはフランス語で「ポ」(材料を入れた壺)を朝、「フ」(かまど)にのせて仕事に出れば、帰るまでには
料理ができあがっていたというところからきたとかお料理の本には書いてありました。

ですから「おもてなし料理」ではなくてまさにイタリアのピザのような「庶民の料理」なのでしょう。
お肉も手頃な安い牛肉を使うので2時間から2時間半は煮込まないとやわらかくなりません。

ドイツでは「ターフェルシュピッツ」と呼ばれています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

舟越保武彫刻展 図録 「まなざしの向こうに」

2016-08-15 15:17:24 | 読書
彫刻家の舟越保武のことを知ったのは拙ブログ2015年2月24日に「ふるさとの二人の詩人」というタイトルで石川啄木と宮沢賢治について記事を掲載した折、mintさんが舟越保武の彫刻展で「若き石川啄木」の頭像をみてきたというコメントを寄せられたからです。

岩手県出身のこの彫刻家についてそれまで私は知りませんでした。

舟越桂の彫刻の写真が須賀敦子さんの小説の表紙に使われているのは知っていたのですが、舟越桂のお父様が有名な彫刻家の舟越保武だとは知らなかったのです。

mintさんが訪れたのは2015年の1月24日から3月22日まで郡山市立美術館で開かれていた展示会だったのだと思います。

出身地の岩手県で2014年の10月25日から12月7日まで展示会が開かれたことも当時は知りませんでした。

今年の一時帰国で盛岡に寄り、当時の図録を購入することができました。



mintさんが言及された「若き石川啄木」も掲載されていました。



表紙を飾っているのは「聖セシリア」の像ですが、私は「聖クララ」という作品も好きです。



この作品は舟越がアッシジにある聖フランシスコの聖堂を訪れた時の体験から制作されました。

強いにわか雨が降り、聖堂の回廊で雨宿りをしていた時、後ろから若い修道女が飛び込んできたのだそうです。

この女性はうつむき加減で、石畳を打つ雨を眺めているのですが、舟越はその人のことを

「この世の人とは思われないほど美しい人だった」と後日、述べており、この修道女が「聖女クララ」のモデルになっています。

でも一緒に聖堂を訪れていた舟越の奥様は「そんな人はいなかった」と述べているのです。

こんなエピソードからも「聖クララ」像の神秘さが湧いてきます。

「ダミアン神父」からも強い印象を受けます。



ベルギー人神父のダミアンは19世紀、ハワイのモロカイ島にあったハンセン病の隔離施設に単身赴き、癩病患者の世話をします。

そして神父自身も罹患してしまいます。しかし神父は病に侵されたことで本当の意味で癩病患者の隣人になることができたと罹患したことを

嘆くどころかむしろ喜んだということです。皮膚が崩れた神父の姿に舟越は「気高い美しさ」を見ています。

舟越は1987年に脳梗塞にかかり右半身が不自由になります。

しかし使えなくなった右手にかわり左手で制作した荒々しい作品を見たとき、息子の桂は次のように思ったということです。

「この作品を作るために父は倒れたのだ。ここへ行くためには、右手の自由を失うことが必要だったのだ」



舟越の作品の中で一番良く知られているのは「長崎26殉教者記念像」です。



長崎市西坂の日本二十六聖人記念館前にある記念碑には秀吉により磔、処刑された26人の聖人の像が並んでいます。

この作品は日本における記念碑としては傑作のひとつとして評価され、舟越はこの作品で第5回高村光太郎賞を受賞しています。

岩手県立美術館で陳列されている複製を見ましたが、いつか長崎の記念碑を訪れたいと思っています。

先月の26日のドイツの新聞「Die Welt」には26に因む過去の出来事としてこの26人の長崎の殉教者について記していました。



ちなみに舟越保武は2002年2月5日、400年以上前、長崎で26人が殉教した同じ日に彫刻家としての人生を終えています。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旅先での盗難

2016-08-12 16:36:53 | 日記
オリンピック観戦でリオを訪れている日本人旅行者で盗難にあう人が増えているそうですね。

私たちも今回のアゾレス諸島で盗難にあいました。

スーツケースの重量を測る「携帯電子はかり」です。

旅行バッグの前ポケットに入れておいたら抜き取られていました。

帰りのフライトの機内で早速、新しい「はかり」を購入しました。




近年、エコノミークラスのスーツケースの重量は23kgで結構厳しくなっています。

これまで「携帯はかり」は持ち歩かなかったのですが、以前、アイルランドの空港で帰りのフライトのチェックインをした際、重量オーバーで空港内でスーツケースを開けて荷物の詰め替えを行って以来、旅行時は常時、携帯するようにしています。

それで今回のアゾレス諸島のお土産はこの「はかり」と冷蔵庫に貼るマグネットの2点のみです。


マグネットには「7つの都市のラグーン」とポルトガル語で書かれています。
サンミゲル島にある大きな火口湖です。

これまで世界各地を旅行してきましたが、あまり重大な盗難にあわなかったのは幸いでした。

盗難で思い出すままに列挙してみます。

1979年 プーケット島 ホテルの近くの砂浜で泳いでいたら衣類とバッグを盗られてしまい、
水着姿でホテルまで戻りました。

1982年 シシリー島 アグリジェント レンタカーを海岸に駐車して海水浴に行って戻ってきたら、 車の窓ガラスを割られ後部座席に置いてあったパーカーとサマーセーターを盗られてしまいました。

1995年 エクアドル キトー マーケットを散歩してホテルに戻ったら布製バッグがナイフで切られ中にあったメガネが抜き取られていました。
      エクアドル バーニョ リチウム電池がきれて替わりの電池が購入できなくて使えなくなったカメラをホテルの部屋のバッグに入れていたら抜き取られていたのに、ドイツに戻ってから気付きました。

2013年 コスタリカ ビーチレストランで夕食をとっていた時、あまりにも蒸し暑くて肩にかけていたショルダーバッグをちょっと椅子にかけて汗をぬぐおうとしたその瞬間にサーッと奪い取られてしまいました。

盗難ばかりではなく、南仏では一度、自動車事故にあい、自分たちの車は現地の修理会社に預け、一旦レンタカーでドイツに戻り、
ひと月後、車をピックアップするためにまた南仏に行ったりしたこともありました。

盗難や事故にあっても旅行を続行することができたので最小限の被害で済んだことに感謝すべきでしょう。

友人のご主人など学会でブラジルのサンパウロに行った際、高級ホテルのバーでひとりで飲んでいたら、睡眠薬を入れられてしまい、
病院のベッドで意識を回復したという経験をなさったということです。背広のポケットにホテルの部屋の鍵を入れていたことから
部屋に置いてあったスーツケースをそっくり盗まれてしまったのですが、パスポートと帰りの航空券だけは残しておいてくれたのは
まさに「盗人にも一縷の情」ということでしょうか。サンパウロのお知り合いが衣類を提供してくれて、友人は後日「夫はブラジルに出発した時よりも立派な身なりで戻ってきた」などと語っていました。彼女は先月、急逝してしまったので、あの時の歓談など懐かしく思い出しています。

    
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アゾレス諸島旅行記 - 4 ( ピコ島 )

2016-08-09 17:59:01 | 旅行
アゾレス諸島で4番目に訪れた島はピコ島です。
ピコ島へはファイアル島からフェリーで30分程で着きます。
ピコ島の火山ピコ山は標高2351mでアゾレス諸島のみならずポルトガルの最高地点です。



山の中腹にはここでも紫陽花の群生が咲き乱れていました。


ピコ火山から噴出した溶岩で島は覆われています。
この溶岩地帯ではワインの栽培が行われています。
ここのワイン畑の景観もユネスコの世界遺産に登録されています。



昼食にはシーフードの串焼き(?)を頼みました。
串焼きがぶら下がってくるのが特徴です。


そういえばピコ島ではなく、確かテルセイラ島だったと思いますが、
そこで食べたシーフードスープも大きなパンがスープの容器になっていました。
大西洋上の諸島には独特の食文化があるようです。



最後の写真もアゾレス諸島独特のトカゲ君です。


これでアゾレス諸島の旅行記は終了です。
お付き合い下さりありがとうございます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アゾレス諸島旅行記 - 3 ( ファイアル島 )

2016-08-07 22:32:03 | 旅行
アゾレス諸島の3番目の島、ファイアル島に滞在中です。

この島も火山の島で火山関連の見どころは多いのですが、一番有名な場所は「ピーターのカフェスポーツ」という居酒屋です。

ここは世界中のヨットマンに知られた場所です。
大西洋横断ヨットが寄港し必ず寄るのがこの居酒屋なのです。
ここで情報交換やフラッグを記念に置いて行きます。
「浪人」と書かれた日本の国旗もありました。




2年前にオープンしたレストランのオーナーは単独ヨットで世界一周を2度も成し遂げたジェヌイノさんです。写真を一緒に撮ってもらいました。




島で一番大きな火口は周囲が8kmあり、一周できるのですが、夫の膝の調子がイマイチだったので
眺めるだけにしました。
健脚な人は10の火山を巡る20kmのコースもあります。



島の西側では1957年から58年にかけて発生した火山噴火により新しく出現した火口を眺めることができます。

昔の灯台は今は使用されておらず、地下に火山博物館があります。


火山噴火により付近で農業を営んでいた人たちの土地は全て火山灰に覆われてしまいました。
当時アメリカ政府は被害にあった人たちのために1500人分のビザを即、発行したということです。
そんなこともあってか島ではいたるところでアメリカ国旗が見られます。
当時はアメリカも移民の受け入れには寛容だったようです。

この島でもいたるところで紫陽花が咲いていました。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする