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小泉八雲著 「耳無芳一」

2016-08-27 16:23:56 | 読書
昔、ギリシャのイオニア海をセーリングしました。
その時レフカダ島にある船のチャーター会社でヨットを借りました。
以来、毎年宣伝グリーティング・カードをいただくのですが、今年も届きました。


イオニア海はエーゲ海程、混雑してなくて海も穏やかなので結構、セーリングの海域としては人気があります。島も鄙びた所が多くて、長閑な雰囲気で心地良いセーリングだった思い出があります。


ただギリシャ財政危機後はヨットのチャーター会社の経営も厳しいようです。

この会社があるイオニア海のレフカダ島で1850年、怪談「耳無芳一」などの著作で知られる小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は生まれました。

アイルランド人のお父さんはイギリス軍の軍医少佐として当時はイギリス領だったレフカダ島に駐在中にギリシャ人女性と結婚し、ハーンが生まれました。生地のレフカダ島からラフカディオというミドルネームが付いたということです。

ハーンが島にいたのは出生後2年間だけで、1852年には両親と共にお父さんの家があるダブリンに移住し、子供時代をアイルランドで過ごしました。

その後、移民船でニューヨークに向かい、ジャーナリストとしてアメリカの通信社で働くようになります。
その時知りあった世界一周取材旅行で日本を訪れたことがある女性ジャーナリストから日本がいかに清潔で美しく人々も文明社会に汚されていなくて、高潔で素晴らしい国であることを聞き、日本に憧れを抱くようになります。

1890年頃というと、鎖国後、明治時代に入って20年後ですから、外国の人にとってはとても興味深い異国という印象を受けたのでしょう。

そして通信社の特派員として日本に駐在後すぐ、通信員としての契約は破棄して英語教師として仕事をするようになります。

1896年には東京帝国大学の英文学講師に就職し、日本に帰化し「小泉八雲」と名乗るようになります。

東大の講師は1903年まで勤めますが、退職後、後任が夏目漱石だったというのも今回、八雲のことをネットで調べている時、初めて知りました。

久しぶりに「耳無芳一」をまた読んでみたくなり、青空文庫でダウンロードして読みました。


小泉八雲は著名な日本文化紹介者の一人として知られています。
もうひとり日本文化紹介者として知られるモラエスについてもいつか記したいと思っています。

先月末、急逝した友人のご主人がモラエスを研究していて、モラエスゆかりの地、鳴門を二人でよく訪れていました。
コメント
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