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舟越保武彫刻展 図録 「まなざしの向こうに」

2016-08-15 15:17:24 | 読書
彫刻家の舟越保武のことを知ったのは拙ブログ2015年2月24日に「ふるさとの二人の詩人」というタイトルで石川啄木と宮沢賢治について記事を掲載した折、mintさんが舟越保武の彫刻展で「若き石川啄木」の頭像をみてきたというコメントを寄せられたからです。

岩手県出身のこの彫刻家についてそれまで私は知りませんでした。

舟越桂の彫刻の写真が須賀敦子さんの小説の表紙に使われているのは知っていたのですが、舟越桂のお父様が有名な彫刻家の舟越保武だとは知らなかったのです。

mintさんが訪れたのは2015年の1月24日から3月22日まで郡山市立美術館で開かれていた展示会だったのだと思います。

出身地の岩手県で2014年の10月25日から12月7日まで展示会が開かれたことも当時は知りませんでした。

今年の一時帰国で盛岡に寄り、当時の図録を購入することができました。



mintさんが言及された「若き石川啄木」も掲載されていました。



表紙を飾っているのは「聖セシリア」の像ですが、私は「聖クララ」という作品も好きです。



この作品は舟越がアッシジにある聖フランシスコの聖堂を訪れた時の体験から制作されました。

強いにわか雨が降り、聖堂の回廊で雨宿りをしていた時、後ろから若い修道女が飛び込んできたのだそうです。

この女性はうつむき加減で、石畳を打つ雨を眺めているのですが、舟越はその人のことを

「この世の人とは思われないほど美しい人だった」と後日、述べており、この修道女が「聖女クララ」のモデルになっています。

でも一緒に聖堂を訪れていた舟越の奥様は「そんな人はいなかった」と述べているのです。

こんなエピソードからも「聖クララ」像の神秘さが湧いてきます。

「ダミアン神父」からも強い印象を受けます。



ベルギー人神父のダミアンは19世紀、ハワイのモロカイ島にあったハンセン病の隔離施設に単身赴き、癩病患者の世話をします。

そして神父自身も罹患してしまいます。しかし神父は病に侵されたことで本当の意味で癩病患者の隣人になることができたと罹患したことを

嘆くどころかむしろ喜んだということです。皮膚が崩れた神父の姿に舟越は「気高い美しさ」を見ています。

舟越は1987年に脳梗塞にかかり右半身が不自由になります。

しかし使えなくなった右手にかわり左手で制作した荒々しい作品を見たとき、息子の桂は次のように思ったということです。

「この作品を作るために父は倒れたのだ。ここへ行くためには、右手の自由を失うことが必要だったのだ」



舟越の作品の中で一番良く知られているのは「長崎26殉教者記念像」です。



長崎市西坂の日本二十六聖人記念館前にある記念碑には秀吉により磔、処刑された26人の聖人の像が並んでいます。

この作品は日本における記念碑としては傑作のひとつとして評価され、舟越はこの作品で第5回高村光太郎賞を受賞しています。

岩手県立美術館で陳列されている複製を見ましたが、いつか長崎の記念碑を訪れたいと思っています。

先月の26日のドイツの新聞「Die Welt」には26に因む過去の出来事としてこの26人の長崎の殉教者について記していました。



ちなみに舟越保武は2002年2月5日、400年以上前、長崎で26人が殉教した同じ日に彫刻家としての人生を終えています。



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