10年以上前に購入したこの本を再読しようと思ったのは書道のお稽古で新しいお手本をいただいてからです。
今、変体仮名の練習をしているのですが、今回のお手本は柿本人麻呂の以下の和歌です。
夏山の峰の梢し高ければ空にぞ蝉の声も聞こゆる
変体仮名(万葉仮名)では「なつやま」の元の漢字は「奈徒也万」、「そら」は「所良」です。
どうして「夏山」とか「空」という漢字を使わなかったのだろうかと疑問に思いました。
高島先生が色々ご説明して下さっているのを要約すると以下の通りです。
☆昔の日本には話し言葉を表記する文字がなかった。
☆中国から伝わった漢字を前にして日本人はとりあえずここの漢字の意味を日本語に当てはめた。
例えば山(やま)、川(かわ)、村(むら)、人(ひと)、森(もり)
当時の大和の人たちは「地面が盛り上がったところ」は「や」「ま」という二つの音で表すのが一番しっくり来るものだったので
その意味を持つ中国の「山」という漢字を「やま」と読むことにしたのです(この部分は高橋こうじ著「日本の大和言葉を美しく話す」の「はじめに」の項から拝借しました)。
☆日本語の固有名詞を発音通りに書き記す場合には漢字をそのまま使っても書き表すことができないので、発音にあう漢字をあてはめ(借字)、
この字体を草書より崩して記す→変体仮名(万葉仮名)
☆漢字仮名交じり文は平安時代から始まっていたが、和歌では漢語を使わずに読み、また仮名だけで書くように慣習づけられていた。
それで上のお手本のようになったということのようです。
私が高島俊男さんの本を愛読するのは間違いを指摘する時の文章が辛辣なのですがユーモアに富んでいるからです。以下に一例を書き出します。
『ときどき、英語のアルファベットはたったの二十六文字で、それで何でもかけるのに、漢字は何千もあるからむずかしい、と言う人があるが、
こういうことを言う人はかならずバカである・・・』
それからこの本では「漢字崇拝という愚」という項もあり、漢字を色々書ける=知識階級と勘違いする人々を批判しています。
昔「薔薇」や「憂鬱」という漢字を書けるようになって得意になっていた私などにはとても耳の痛いご指摘でした。
高島俊男さんの次の本の「ネアカ李白とネクラ杜甫」の項も痛快です。
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