東北の旅(3)湖畔の裸像
青森は初めてだ。
とうとう本州の北のてっぺんまで来たんだ、と感慨も深い。
十和田湖を見るのも初めてだ。
梅雨空が低くたれて、まわりの山を隠している。そのせいか、灰色の湖面がやわらかく盛り上がってみえる。
いままでは十和田湖という名称だけを知っていた。今日からは、この風景がぼくの十和田湖になる。
湖畔に建つ、有名な「乙女の像」をみる。
彫刻家であった高村光太郎の、生涯最大にして最後の作品だと言われている。制作に当たって彼は、「智恵子をつくります」と宣言したという。
智恵子がふたり居る。ふたりの智恵子を、光太郎は愛したのか、と羨望と困惑の思いで見つめる。
像のそばに『十和田湖畔の裸像に与ふ』という、光太郎自筆のままに彫られた詩碑があった。
銅とスズとの合金が立ってゐる。
どんな造型が行はれようと
無機質の図形にはちがひない。
はらわたや粘液や脂や汗や生きものの
きたならしさはここにない。
すさまじい十和田湖の円錐空間にはまりこんで
天然四元の平手打をまともにうける
銅とスズとの合金で出来た
女の裸像が二人
影と形のように立ってゐる
いさぎよい非情の金属が青くさびて
地上に割れてくづれるまで
この原始林の圧力に堪えて
立つなら幾千年でも黙って立ってろ。
見上げると、眩いほどの豊満な2体の裸像が立っている。
なぜ智恵子は、ふたりもいなければならなかったのか。鏡像のように向かい合う2体は、光太郎のなかで生きつづけた智恵子の影(虚像)と形(実像)なのだろうか。
「智恵子は現身(うつしみ)のわたしを見ず/わたしのうしろのわたしに焦がれる」(『智恵子抄』より)、そんな智恵子と、不遇な時期の光太郎の芸術を支えつづけた画家としての智恵子。
でも光太郎にとっては、どちらも実像にちがいなかったと思う。2体の裸像は、どちらも溢れでる生命力を秘めて立っている。
智恵子は見えないものを見、
聞こえないものを聞く。
智恵子は行けないところへ行き、
出来ないことを為(す)る。
智恵子は現身(うつしみ)のわたしを見ず、
わたしのうしろのわたしに焦がれる。
智恵子はくるしみの重さを今はすてて、
限りない荒漠の美意識圏にさまよひ出た。
わたしをよぶ声をしきりにきくが、
智恵子はもう人間界の切符を持たない。
(『値ひがたき智恵子』)
きょうの空は、智恵子の空ではない。
ときどき雲が薄くなると、湖面もうっすらと白く浮きあがる。雲が太陽の光を隠しているように、きょうの湖も、深い水底に光を隠しているようだった。