風の記憶

≪記憶の葉っぱをそよがせる、風の言葉を見つけたい……小さな試みのブログです≫

ヘロイン

2010年05月19日 | 詩集「ディープブルー」



とつぜん夜中におなかを痛くする
私はそんな子供だった
そのたびに
父の大きな手が
私のおなかを温めてくれた


ときには私の頬をぶった
太い血管がうきでた手
ぶ厚いふとんよりもしっかりと
私の痛みを押さえてくれた


今でも私は
夜中におなかを痛くすることがある
そんなときは
おなかに自分の手を当てたまま
しばらく痛みに耐えている
私の体には
ときどき毒がたまるのだろう


もう温かい父の手はない
私の手は
きょう娘の頬をぶった手だ
マーマ ごめんなさい
マーマ ごめんなさい
私の手はまだ濡れたままで


痛むおなかの上に
自分の手をのせていると
あたたまった毒が
じわじわと体じゅうに溶けて
私はまた
おさない夢の始めにおちてゆく


(2004)


トンボの空

2010年04月28日 | 詩集「ディープブルー」
Sora9


水よりもにがい
トンボの翅のにがさ
少年の夏は
喉のずっと奥にのこる


空よりも透きとおって
その澄んだ銀色の翅は
ときにカッターナイフの俊敏さで
川面に空をひきよせた


トンボの空に憧れた
ぼくの手が
トンボの翅を半分に切る
空を失ったトンボの
それはちょうど
ぼくの手がとどく空間


トンボが空を失うと
ぼくも空を失う
空はあまりにも透明だから
もうぼくの手はどこにもとどかない
空はどこだ
トンボにたずねても
トンボもこたえない


翅を失ったトンボは
もはやトンボではなかった
そうしてぼくも
たくさんの夏を失った


   *


トンボよトンボ
少年のまぼろし
おまえはいつから空高く
そんなに飛べるようになったのか
青い空と白い雲のはざまに
ぼくは今でも
その透明な翅を見失ってしまう


(2004)


残されて、夏の

2010年04月28日 | 詩集「ディープブルー」
Himawari


日焼けするほどの
夏の記憶ものこせずに
白いからだは
季節を素通りするようで
恥ずかしい


夏は虫をたくさん殺したので
血は水のように薄くなってしまった
土からうまれ土にかえる
虫がさかんに嘆いている
ツク ヅク オシイ
ツク ヅク イッショウ


虫の顔も人の顔も似ている
生きることと死ぬことの
境いめの宙を舞っていた
無数の翅のきらめきが夢のようで
目覚めても目覚めても
なお目覚めようとする


翅をとじた虫は
ことしも夏を越えられない


ツク ヅク オシイ
ツク ヅク イッショウ
空まで届きそうな静寂のなかを
翅のない私は
虫たちの翅を踏みながら歩くのです


(2004)


ゆうがたの魚

2010年04月28日 | 詩集「ディープブルー」
Yuukei2


ゆうがた
ひとびとの背がかなしい
ひとびとの背を超えてゆく
魚がかなしい


水が均衡する
まずめどき
幻の水をしなやかに
幻の魚がおよぐ


ひろがってゆく波紋
水と空を分けて
とつじょ失踪する魚の群れ


そのとき
満ちてくるものの
魚が超えるかなしみの深さへ
いそぎ帰るひとの
幻の背がかなしい


(2007)


白熊

2010年04月28日 | 詩集「ディープブルー」
Tentai


地下の機械室で
とつぜん白熊が働くことになった
あの北極の白熊である
会社では白熊も雇わなければならない
そのような法改正があったらしい
私の部下として配属された


初対面のとき
イッショウケンメイ ガンバリマス
と白熊は言った


白熊は青い空が怖いので
ビルの上階で働くことができない
一日じゅう地下室に居る
とくに何か作業をするわけでもない
ときどき冷蔵庫を開けてアイスを食べている
私が入っていくたびに
イッショウケンメイ ガンバリマス
と言って頭をさげる


白熊は帰るところがないので
地下の宿直室で寝泊りしている
たまには夜中に街を徘徊することもあるらしい
それは勤務時間外のことだから
私にはわからない


3か月の試用期間が過ぎた
今でも顔が合うと
イッショウケンメイ ガンバリマス
と言って頭をさげる
あいかわらずアイスを食べている
すこし打ち解けて会話ができるようになった


アイスたべる あたまツンとする
あたま だんだんしろくなる
ちいさなアナあく
ちいさなコオリ みえる
ちいさなシマ みえる


あおいソラ あおいウミ
おおきなアナあく
ちいさなコオリ きえる
ちいさなシマ きえる
イッショウケンメイ ガンバリマス


白熊がどのようにガンバッテいるのか
私にはよくわからない
白熊の足はいつも濡れている
それもなぜか
私にはわからない


(2007)