風の記憶

≪記憶の葉っぱをそよがせる、風の言葉を見つけたい……小さな試みのブログです≫

記憶の川を泳いでいる

2019年06月25日 | 「新エッセイ集2019」
この季節になると、ふるさとの川で魚釣り少年の日々を彩ってくれた魚たちのことを思い出す。そのしなやかな動きや姿かたちをいまでもありありと思い浮かべることができる。あるときは瀬を縫って流れる木の葉のような、またある時はきらきらと鱗を散らすような、たえず変貌する川辺の幻想が広がっていく。

いまでも目を瞑ると、水の生き物たちが記憶の川から泳ぎ出してくる。
ウグイのことを、その地方ではイダといい、まだ若い小型のものはイダゴと呼んだ。大型のイダは夜釣りで、小型のイダゴは昼間でもよく釣れた。エノハはヤマメのことで、ヤマメの幼魚をシバコといった。荒い瀬にいて元気のいい美しい魚で、めったに釣れない貴重種だった。エノハとは榎の葉っぱの化身だったのかもしれない。魚類図鑑でみるカマツカはカマスカと呼んでいた。砂地が彼らのテリトリーで、砂に埋もれてじっとしていることが多かった。ドンコはドンカチ、愚鈍な魚で誰でも簡単に釣れた。ハヤはハエと呼ばれていた。俊敏な動きで川の流れをかき回していた。ハヤの成魚で口のまわりや腹部が赤く染まったものを、アカブトと呼んだ。ハエに似たアブラメというのもいた。鱗はなく、ぬめりがあって食べると美味しかった。海で釣れるアブラメとどこか似ていたのかもしれない。コイやフナ、ウナギやドジョウには特別な呼称はなかった。その川にはなぜか、アユだけがいなかった。

川の瀬に張り付いている虫を餌にして、瀬から瀬を渡りながら竿を振る。釣り糸につけた小さな綿くずの動きで魚信を探る。瀬の場所や流れ方によって釣れる魚は大体決まっていた。
雨の匂いがすると、ぼくはすぐに近くの川に出かけた。
魚が呼んでいるというか、魚のにおいに引き寄せられるというか、釣り少年の本能がかきたてられるのだった。そんなときは川上で雨が降っていて、川の水が急に濁りはじめて水かさも増してくる。
ぼくはわくわくしながら、大岩の脇の淀みを目がけて釣竿を振る。そこには、水の濁りに異変を感じた魚たちが、避難のためかエサ取りのためか、たまたま集まっているのだった。

川のそばに、四軒家と呼ばれる集落があった。
沖縄出身のトーマ(當間)さんという人が住んでいて、馬車で材木を運ぶ仕事をしていた。若くて色の白い奥さんが、家の裏の川でよく洗い物をしていた。かたわらの浅瀬では、アヒルが数羽いつも泳いでいて、のどかな川瀬の風景が広がる場所だった。
ある日、トーマさんがなにやら叫びながら、血相を変えて走り回っていた。あとで知ったのだが、奥さんが川の浅瀬に顔を浸すようにして死んでいたのだった。
いつものように、洗い物をしていて貧血を起こしたらしいとか、自殺をしたのかもしれないとか、おとなたちの間で噂がたっていた。
釣り少年のぼくは、その人はきっと魚になったのだと考えた。

その頃から、ぼくはしだいに川から遠ざかっていった。
まわりの草木や風や大気が、水気をたっぷり含んで融けあうような季節がある。ちょうど梅雨の頃で、魚たちは腹を真っ赤にして産卵をする。川の瀬も狂気じみた魚たちが集まって朱色に染まるのだった。
川へ行かなくなったぼくは、そんな川の賑わいを夢想ばかりしていた。
魚たちがより魚になるための、魚になった人もより魚になるための、賑やかなのに寡黙でもある、近づきがたい川の祝祭の光景だった。
梅雨が明けると炎天の夏。
川の魚たちは、岩陰やネコヤナギの下に静かに身をひそめるだろう。大きな瀬も小さな瀬も、変わらずに流れ続けるだろう。釣竿を捨てたその時から、魚たちはぼくの記憶の川を泳ぎはじめるのだった。


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新しい雨が降る、古い雨が降る

2019年06月20日 | 「新エッセイ集2019」
窓から入ってくる風が湿っぽくて重たいと思ったら、いつのまにか梅雨に入っていたらしい。
雨の匂いだろうか、草の匂いだろうか、匂いの層が厚くなったみたいだ。
流れてくる風も液体みたいで、体がべったりと包まれる感じがしてくる。水をかきわけながら泳ぐ、青い魚にでもなったみたいだ。水から生まれ水に戻っていく、そんな古い水の記憶がどこかにあるのだろうか。思い出せそうで思い出せないこの感覚は、すこしだけ原初の生命感覚に戻されているといえるかもしれない。

季節はくりかえし巡ってくるが、雨の季節はそれなりの存在感がある。
古くて新しい。古いものが幾層にも重なっているから新しいのか。どこまでが古くて、どこからが新しいのか。花の形は変わらない。魚の形も変わらない。花も魚も、いつも同じ記憶の中を回遊しているからだろうか。
雨の中で、雨のことを思い出す。雨のことを書いたブログの文章のことを思い出す。10年前に書いたものを取り出して、古かったり新しかったりする歳月というものを考えてみる。なにが古くてなにが新しいのか、ますますわからなくなる。

あるときは、雨に洗われた空がある
草もしずかに雨に洗われている。
地上には小さな水たまり、天上にももうすぐ大きな水たまりができるかもしれない。ぼくには水たまりを楽しく泳ぎ渡る、そんな術などない。
虫のくせに、水の上を歩けるアメンボはすごいと思ったことがある。いつか、いつだったか、空にもアメンボが泳いでいた。よく伸びるその細い脚をつかむと、アメンボは甘いお菓子の匂いがした。

雨の日は、記憶の匂いも泳ぎ出してくる。何かを引き連れてくるような雨の匂いの懐かしさ。いつも蘇ってくるこの感覚は、古いのだろうか新しいのだろうか。
そんなことはまあ、どちらでもいいといえばいいのだが、単純にくりかえされる雨の音にとじ込められていると、どうでもいいことばかり考えてしまう。
思いきって雨の中へ飛び出していくべきか。できれば、ガクアジサイのようなきれいな雨傘をさして出かけたい。




いつか君に会えるまで

2019年06月15日 | 「新エッセイ集2019」

  地球人

西瓜のように
まるい地球をぶらさげて
その人はやってきた

裸で生きるには
夏はあまりにも暑すぎる
冬は寒くて
春と秋は悲しすぎる

丸いおなかをぽんぽんと叩いて
いまは食べごろではない
と言って
その人は去った

*

  蒼穹

浮雲にのって
ゆったりと
タワーがうごいている
ゆったりと
空がうごいている
ゆったりと
ぼくの体もうごいている

ああ背中に
地球があるみたいだ

*

  あしゅら

朝顔の花が咲いた
大きな口を
いっぱいに開いて
嗚呼(ああ)

あかいはなの「あ」
あおいとり
あいしてるの「あ」
あまのがわ
あさきゆめみしの「あ」
あしひきの
あづちももやまの「あ」
あじさい
あたりはずれの「あ」
あいうえお
阿修羅(あしゅら)

ゆうがた
みじかく饒舌な一日を
「ん」でとじる
あしたの「あ」のために
阿吽(あうん)

*

  UFO

目覚めているときも
目覚めていないときも
ぼくの夢をやわらかく砕いた
きのうの空がある

近いときも
離れているときも
流れ星よりも
そのままの確かさと
曖昧さのままで
いつもそこにある

空はどこまでが
ぼくの空なんだろう
砕かれたままで
たぶんぼくは
まだ目覚めていない
いつか
きみに会えるまで 




あまだれ

2019年06月11日 | 「新エッセイ集2019」
雨が降ると いつも
あまだれをじっと見ていた

樋の下でふくらんで
まっすぐ地面に落ちてくる
あまだれ 1ぴき死んだ
あまだれ 2ひき死んだ
あまだれ いっぱい死んだ

小さく膨らんで息をとめる
落ちる瞬間が美しい
言葉のない合図のようだった

ばあばが死んだ
じいじも死んだ
うすぐらい土間の石うす
茶がゆに茄子の古漬け
花いちもんめ
みんな短いあいさつだけで
それきり
あまだれになった

小さなあまだれ
光ったら消える




言葉は生きているか

2019年06月07日 | 「新エッセイ集2019」
ブログに文章を載せるようになって、ずいぶん長い年月が経った。
最初の頃はなぜか、ですます調の丁寧な言葉で書いている。たぶん、不特定多数の人に読んでもらうことを意識していたんだと思う。
だが、さして訪問者もいないことに気づいてから、いつのまにか言葉遣いも日記調になってしまった。
ぼくのブログは自分自身を納得させるために、日常のもやもやとしたものを言葉にして、反省したり奮起したりしているようなものだから、やはり日記の範疇でじたばたしてしまうのだろう。
独りよがりに近いものであれば、書いたことに責任はとれないし、書いたことは書きっぱなしになってしまうこともある。

だが自分で書いたことなので、まったく無視することはできない。自分が発した言葉には、そのときどきの心の澱のようなものが残っていて、過去に自分が発した言葉に、のちの自分が縛られてしまうこともある。
過去に書いたものを整理して、文集としてまとめたときに、そのようなことを痛感した。
また、ある一定の期間をおいてみると、過去に書いた自分と、いま読み返している自分とは同じではないこともあった。
書いた時の呼気や情感のようなものが、いまの自分には素直に伝わってこない時がある。そんな時は、元の文章をできるだけいじらないように心がけた。それを書いたときには持ち合わせていたものを、いまは無くしてしまっている、ということもありえるからだ。

それでもなお書き直したくなって、まったく別の文章になってしまったものもある。それはそれで、前に書いたものはそのまま残し、新しくできたものは新しいものとして受容することにした。
過去と現在の、ふたりの自分が書いたふたつの文章を前にして、ぼくはふたりのままで、ふたたび時がたつのを待つよりほかないのだった。そうすることはまた、変容する自分を発見する楽しみともなった。

自分で書いたものでありながら、自分でどうすることもできないときもある。いや、自分で書いたものだから、自分の自由にならないのかもしれない。そのときどきの言葉がもつ呼気や情感というものを、振り返ってそのまま受け入れる難しさもあるだろう。
完全に自分の手をはなれ、自分が書いたものを冷静に読めるときがあるとしたら、その時は僅かながらも自分の中で変わらないものがあり、同感できるものが残っていたからだと思いたい。
それまでは、せめて自分の中だけででも、自分が発した言葉は生きつづけていてほしい。


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