阿蘇山が大きな噴火をしてから1週間がたった。
いまもまだ大きな噴火があり、噴石や火砕流の警戒は続いているようだ。
いまや阿蘇山は遠くの山だけど、かつては近くの山だった。
真夜中にど~んど~んと噴火する音を、夢うつつにいくども聞いた。朝おきると、あたり一面が火山灰で覆われている。夕方は下校の途中、阿蘇の白い噴煙を眺めながら、その山の方角に向かって自転車をこいだ。
噴火のニュースを聞くと、あいかわらず元気でいたかと、懐かしい思いが沸き起こってくる。
3年前に、久しぶりに阿蘇山に登った時も噴火警戒が出ていた。
「草原の道路をカーブするたび、白い噴煙がしだいに近くなった。草千里の売店のおじさんが、きょうは風向きが悪くてガスが出ているので、火口までは行けないと言う。残念だが引き返すわけにはいかない。こちらは積年の思いが噴火寸前になっているのだった。火口間近の阿蘇山公園道路の料金所でも、きょうは火口は覗けないと念を押される。さらに、心臓病や喘息の持病はないかと確認された。なんだかとても危険な場所に入ろうとしている気分だ。あとはもう、行けるところまで行くだけだ。すこしでも火口に近づきたい。そんな思いでアクセルを踏み、火山岩の荒涼たる道を進んだ」。
そのときは幸運にも、30分だけ火口を覗くことができた。たまたま風向きが変わって、噴煙やガスが吹き払われたのだった。火口の底深くの噴煙だまりが薄くなったところに、赤く燃えているものもかいま見えた。いまに噴火してやるぞといった、怒りの目をしているようだった。
いつだったか、ぼくの背中をど~んど~んと叩いたのはお前だったのか。
ずっと以前に親しくさせてもらっていた言語学者の先生は、長崎の雲仙の近くで育ったので、ときどき自分は噴火するのだと言っていた。そして実際に、いくども噴火をして大きな業績も残した。きみも阿蘇のそばで育ったんなら噴火しろ、と言って励まされたものだった。
そのことを思い出すと、ど~んど~んという阿蘇の地鳴りが、再びぼくの体を揺さぶりはじめたような気がする。