風の記憶

≪記憶の葉っぱをそよがせる、風の言葉を見つけたい……小さな試みのブログです≫

森に入って苦い実を食べる

2022年07月21日 | 「詩エッセイ集2022」




風を泳ぐ魚になって 朝のジョギングを始める 風を吸い込み風を吐き出す 腕と脚は鰭になって 水と空気をかき分けながら 川上を目指して森を抜ける そこは森のようで森ではない ただの放置された雑木林 公園の一角に取り残された 倒木や苔むした樹々の群れ 鎮守の森よりも貧相だし 魔女も赤ずきんもいない 妖精も小人もいない もちろん南方熊楠もいない それでも汗をかきながら 樹液の風と出会う場所 そこを通り抜けるとき 薄暗さと湿った苔に触れて 時を忘れ自分を離れ 汗のシャツを脱ぎすて 露わになった腕が 木々の雫に撫でられる サワグルミの木がある トチの木がある サワグルミの葉は小さく震え トチの葉は大きな魚のよう シイノキの葉は平らなお皿 かつて山越えの旅人は 家にあれば笥にもる飯を 草まくら旅にしあれば 椎の葉にもる と シイの葉は手の器になり 木漏れ陽は森の深さを トチの実は時の深さを 古くて遠い遠つ川 奈良の十津川村では 太古以来ずっと トチの実は主食のひとつだった と その実はとても苦い 食べるには固い外皮をむき 中身を流水に数日つけおく そのあと谷川の水で 7日間ほどさらし その上で木の臼に入れて搗き モチゴメを加えて蒸し だんごにして食べる 十津川の小高い山の上には 古代の磐座がある 日本最古の神社ともいわれる 玉置神社の周りには 屋久島の縄文杉なみの 樹齢3千年を超える老杉がある 米を初めて口にした 縄文人たちの喜びの声を この樹は聞いたかもしれない 老いた鹿に道を教えられた日 麓の売店でトチモチを買った 味付け加工は現代風だが 草餅と変わらずに美味だった 山や林を駆け回っては 草の根や木の実を齧った頃は まるで野の生き物 小さな縄文人だったかも 葛の根や甘い草の根を 掘り出してかじった アマネは若い穂の 軟らかい綿状のものを食べ ギシギシという草の 葉っぱと茎は 塩でもんで食べた 山ブドウや野イチゴはご馳走 冬枯れに摘む赤い実の 酸っぱさはノスタルジー 貪欲な舌に残りつづける とてつもなく不味く とてつもなく美味しく とてつもなく滑稽な味 贅沢な大人が 同じものを食べてみたが とてつもなく不味かった リスやサルは 木の実を美味しそうに食べる 生き物にとって 本当に美味しいものって どんな味なのか 縄文人が食べたトチの実は 美味しかったか不味かったか 現代人の舌に苦いものが 縄文人にとっても苦かったか どうか 森は吐く息がいっぱいで 今朝もジョギング 駆け抜けようとすると 森の縄文人たちが 苦くない赤い実を探している


 







願いごとは沢山あったけれど

2022年07月13日 | 「詩エッセイ集2022」




7月は七夕の月だった ふと思い出すと 記憶の遠いところで キラキラと短冊がゆれている 子どものころは 願いごとが沢山あって 願いごとをひとつひとつ 色の付いた短冊に書いて 笹にくくりつける 折り紙を切ったり 貼ったりして ささの葉さらさら たっぷり飾り付けて それが七夕の遊びだったが 子どもの願いごとは 身近な日常のことから 遠い将来のことまで 数限りなくあって 短冊の数だけ願いごとはあった 七夕の笹飾りは 賑やかな七夕の ひと晩だけ軒先に飾って 翌朝はやく 近くの川へ流しに行く 釣りをしたり泳いだりする川が そのまま天の川に通じている と信じられていたか 真っ暗な夜の戸外は 明かりも殆どなく 夜空を大きく横切って 天の川がくっきりと流れていた 神話の世界も現実の世界も ひとつに重なっていて 幼い想像力は 容易に美しく溺れていた 願いごとの短冊が どのくらいの日数かかって 天の川に流れ着くのか そんなことは考えなかったが 神様が短冊を拾いあげる頃には もう願いごとのことなど すっかり忘れてしまっていた おとなになっても あいかわらずいつも 新しい何かを願いながら生きて 小さな願いから大きな願いまで 子どものポケットを満たしていた 輝くビー玉はさまざまあって ときには空にかざして 小さくとも美しい ガラスの虹を探したり 喜びや失望の色に 戸惑いながらも 年をとるにつれ 願いごとをかさねても 色褪せていくものに夢ははかなく それでは淋しすぎるから 小さな夢と望みを持ちつづけ ときには子どもになって ささの葉さらさら 願いごとを短冊に書き 運は天に任せて 天の川に流そうとして 妄想の川に溺れていると こんな7月はしばしば 記憶の短冊をひろう すっかり忘れていた 子どもの頃の夢も 夢は夢のままで なお天の川を漂っているかも などと夜空を仰いでみるが 明るすぎていまでは 星屑さえもまばらで 七夕の天の川はどこかへ 消えてしまったままだ


 

 










夏は山の水が澄みわたるので

2022年07月02日 | 「詩エッセイ集2022」




長いあいだ 雨風を受けとめてきたか 傷だらけの重い木の引き戸 よいしょっと引き開けて 敷居をまたぐと夏が始まる 祖父が居て祖母が居て 叔父が居て叔母が居て よその犬も居て知らない人も居る 古い家は 納戸の隅とか仏壇とかに 小さな暗やみが いっぱいあったけれど 祖母がいつも居た 土間につづく台所にも かまどや流しの下など 深い暗やみがあった その暗がりのごちゃごちゃを 覗いたこともなかったけれど 壁のこおろぎのように いきなり祖母の声が飛びだしてくる たまご焼き焼いとくさかい 早よ戻っといでや すこし甘くてすこし塩っぱい たまご焼きとジャコ 茶粥に茄子の古漬け 汽車が駅に着いたときだけ 長い坂の道を村人が ひとかたまりで通り過ぎる 勝手口から祖母の声が 人々の足をとめる それが祖母の楽しみで しばしのおしゃべりが 遠ざかったあとは 黙りこくった道だけが残り 斑に落ちた木の影も動かず 蝉も鳴きやむ午後は 温んだ山の水も淀み 水面に浮き上がった魚が 唇をぱくぱくしたりするので わんどの深い暗がりに ザリガニのむき身を放り込む とたんに川の底が ぐるんと大きく動く 祖母がカンテキで焼く ナマズの蒲焼き おいしい風になって 田んぼの畦をわたり 麦わら帽子のひさしをかすめ 追われたシオカラトンボも 風になって雲に 吸い込まれてしまう夏は くりかえし繰り返されて すこし甘くてすこし塩っぱい おいしい煙に誘われ 虫のように草をかき分け 長い坂道をあくせく 帰ってゆく頃もあったが 遠ざかる夏を眺めながら いくつか山も越える 立ち止まる足の下の土が まだ柔らかいところ 小さな山のひとつ いつしか其処に祖母は眠る ふたつの墓に死者を葬る 古い習俗の ほぼ最後の人となり いくつも夏を重ねて 白い骨になり やがて山の水になっていく 澄みわたる夏の夜は 遠い川が近くなるようで 水が臭う夢をみたりする 大きな黒い生き物が わんどの泥をまきあげるので 深くて暗い水の底が かいま見えることがある