風の記憶

≪記憶の葉っぱをそよがせる、風の言葉を見つけたい……小さな試みのブログです≫

ぼくのトンボ

2021年04月28日 | 「新エッセイ集2021」

 

ちびた鉛筆
のようなトンボが
風をひっかきひっかき
ぼくの背たけを測ろうとする

きょうのぼくは
すこし大きくなったかな

朝ごとに
ぼくのトンボは生まれてくる
水草の夢の
どろんこの中から

春の野は花ざかり
甘い香りに満ちているので
トンボはしばしば
風を見失う

ぼくは腕を伸ばして
背伸びしてみる
だが羽が濡れているので
まだ飛べない

 

 

 


ノルウェイの森へ(2)

2021年04月20日 | 「新エッセイ集2021」

 

  ↓
前回(1)からの続き

ここでいきなり最終章へとぶね。
「僕」の下宿の庭で、レイコさんと直子のお葬式をするシーン。
ぼくはこのシーンがとても好きだ。心にあいた暗い穴に、ローソクの灯が一本一本ともっていくような気がする。この小説におけるクライマックスではないだろうか。
レイコさんが療養所を出られたのは、あなたと直子のおかげよと言う。そして、直子との最後の夜のことを語りはじめる。

直子がレイコさんに最後に語ったのは、一度きりの「僕」とのセックスのことだった。その時のすばらしかったことを仔細に語ったという。それは直子にとっても、生きていることの実感と愛することの喜びを感じた、彼女の人生の頂点だったんだね。
レイコさんが、そんなに良かったんならずっとワタナベ君とやってればよかったのに、というと、直子は「何かの加減で一生に一度だけ起こったことなの」と答える。直子はすでに、自分の体が死に向かっていることを悟っていたんだろうか。

そして、きみが理解できなかったという、レイコさんと「僕」がセックスするシーン。
ぼくはセックス(性)という言葉を、生きるという言葉に置換してみた。直子が一生に一度と表現した、あのときの真に生きた感覚を、直子はレイコさんにバトンタッチしたのではないだろうか。
直子の唯一の遺書が「洋服は全部レイコさんにあげて下さい」と、たった一行のメモ書きだった。その洋服を着て、レイコさんは「僕」に会いに来る。そのときのレイコさんは、生きつづける直子ではなかっただろうか。

「かつて僕と直子がキズキという死者を共有していたように、いま僕とレイコさんは直子という死者を共有しているのだ」と「僕」は考える。
レイコさんはこれから北海道に渡って、今まさに新しい生活を生きようとしているところであり、「僕」は緑との新しい生活を始めようとしているところだった。
「僕」と直子との愛は、このような形で新しく引き継がれていったのだと、ぼくは考える。

以上、ぼくなりにきみの拘りを解釈してみた。
独断にすぎるかもしれないけれど、こういう読み方もあるのかと理解してもらえたら嬉しい。
あと、緑のことや東大生の永沢のことなどにも触れたかったが、長くなってしまったので、またこんど機会をみて、きみと語り合いたい。

 

 

 


ノルウェイの森へ(1)

2021年04月16日 | 「新エッセイ集2021」

 

『ノルウェイの森』やっと読み終わったよ。
やっぱり深い森だったね。ぼくは二度目なので、もう迷うことはなかったけれど……。

きみは、頻繁に出てくる性的表現にちょっと辟易したとのこと。ぼくも以前読んだときは、それに近い感想ももったけれど、こんど読み返してみて少し認識が変わった。
村上春樹が扱っている性(セックス)は、ポルノ的な意味や倫理的な意味で受け取るのではなく、文学的・哲学的な意味で解したほうが良いかなと思った。
もちろん小説なので娯楽的な一面はあるにしても、あそこまでしつこく性の表現に拘っているということは、作者が性(セックス)というものを通して表現したかった、特別な意図があったにちがいないと考えてみた。
大江健三郎や村上龍など多くの現代作家にとっても、性(セックス)は人間を表現する上で、かなり重要なファクターになっているし、作家によっては、性(セックス)そのものがテーマになる場合もあるようだ。

そこでぼくは(これは勝手な解釈になるかもしれないけれど)、『ノルウェイの森』で扱われている性(セックス)を、次のような図式にしてみた。   
   性(セックス)←→生(生きること)←→愛(愛すること)……死
直子と「僕」は、共通の友人であるキズキの死によって繋がっている。
その死は、野井戸に落ちるような突然の死であり、ふたりともその死を素直に受け入れることができない。ふたりの心奥には大きな欠落感が残される。キズキとは幼い頃から、ふたりで一身のような関係だった直子にとっては、自身の体と魂の一部に穴が開いてしまったようなもので、その後の彼女の人生は、半身の体で生きているようなものになってしまう。

同じように欠落感を抱えながらも、「僕」の場合は、キズキとの友人関係が失われたことによって生じたのは、身の回りに漂う空虚感のようなものだった。生きることを脅かすほどの強いものではなく、むしろ淋しさとか悲しみに近いものだったと思う。
直子は体の内部に真空部を抱え込み、「僕」は体の回りに真空部ができてしまう。このあたりに、ふたりの空虚感には少しずれがあり、その後ふたりは愛し合おうとしながらも、そのずれた部分を埋め合わすことができない。

療養所で、ふたりはいちどだけ性(セックス)で完全に繋がったと感じるシーンがある。そのときふたりは、生きること、愛することを共有できたと感じる。
「僕」にとって直子は、「僕」の一部になったと思い始める。だが直子にとっては、「僕」が彼女の一部になること、彼女の真空部を埋める存在には、なかなかならない。彼女は「僕」の性器を愛撫したりして、相手の愛に応えようとつとめるが、体の内部にできた傷は容易に回復できるものではなかった。

「僕」は少しばかり自閉気味ではあるが、ごく普通の大学生だともいえる。友人の死で彼が失ったものは、彼を取り巻くものであり、いずれはなんらかで代替できるものだったと思う。
だが直子は、過去に身近なふたりの死に遭遇している。説明することのできない自殺という死だ。自分ではどうすることもできないまま、いつまでも野井戸の幻影におびえることになる。
「死は生の対極にあるのではなく、我々の生のうちに潜んでいるのだ」。キズキの死によって「僕」はそう認識するのだが、まさに直子の生の日々の中にこそ、死は深く潜んでいたんだね。
  ↓
次回(2)へ続く

 

 

 

★本が出来ました

ブログに書いてきたものを本にしました。
A5判、本文128頁。今回で4冊目です。
お手元にとって頂ける方がありましたら
喜んで差し上げます。
記事下の「コメント」欄(非公開)から
送付先をお知らせください。
折り返し送らせていただきます。

 

 


桜とピアノ

2021年04月12日 | 「新エッセイ集2021」

 

ぼくが通っていた小学校に、ピアノという楽器が入ったのは6年生の時だった。ピアノは広い講堂の隅っこに置いてあった。とても大きな楽器だった。
それまではオルガンしかなかった。いろいろな形をしたオルガンが、いくつかの教室の隅に置いてあった。ときどき、いたずらをして弾いてみるのだが、足踏みペダルの板は重く、古いオルガンは鍵盤を押しても音が出ないこともあった。
オルガンの音は、牛や蛙の鳴き声に似ていて楽しかった。

ピアノの音はよく響いた。音楽のイメージが変わった。
音楽の先生はふたりいた。どちらも女の先生だったが、若い方の先生は新参の先生で、ピアノがあまり得意ではないみたいで、放課後の講堂で、もうひとりの先生に指導してもらっていた。
ピアノをよく弾ける方の先生は美人で快活だった。
ぼくもその頃には、ひそかに好きな女子生徒がいたりして、異性の可愛らしさとか美しさとかについての好奇心が芽ばえ始めていた。それで、ぼくが勝手に決めた美人の範疇に、この先生もしっかり入っていた。
ピアノがすらすらと弾けるということは、それだけでも美しい姿にみえたにちがいない。オルガンの鈍重な音に比べて、新しいピアノの音は明るくて力があり、ピアノの響きとイメージが、先生の美しさの背景にあったかもしれない。

3年生から6年生までの4年間、ずっと男の担任だったので、音楽の時間だけでも女の先生になるのは新鮮だった。
ピアノ先生は、授業中にとつぜん役者のような口調になって、方言で民話を語りはじめたりすることがあった。生徒の前で感情たっぷりに堂々と方言をしゃべる、開放的な態度にぼくはすっかり圧倒されてしまった。こんな授業は初めてだったし、こんな女の先生も初めてだった。
ピアノ先生の衝撃は大きかった。

ある日、しんまい先生の音楽の授業中に、ピアノ先生がとつぜん教室に飛び込んできたことがあった。
ピアノの弾き方が間違っていると言って、しんまい先生を激しく叱りつけた。その時のピアノ先生の叱り方は尋常ではなかった。授業中にとつぜん役者口調になったあの激しさだった。生徒は自分たちも一緒に叱られているかのように、教室の中は静まり返ってしまった。
それに先生が先生に叱られるなどという光景を、生徒ははじめてみたのだった。ピアノ先生は美人だけど、恐い先生だと思った。

小学校のピアノにまつわる思い出はそれだけである。どんな歌の授業があったのか、そちらの記憶は皆目ない。小学生時代のいくつかの記憶の中から、そのことが今よみがえってきたのは、どこかで桜とつながっていたのだろうか。
しんまい先生が、慣れないピアノをたどたどしく弾いていた。それはたぶん、まだ新学期のことだったのだろう。そうだとすれば、校庭の桜も満開だったにちがいない。当時のぼくは、花にはぜんぜん関心はなかったけれど。

 

 

   * * *

もうすぐ4冊目の本ができる

これまで書き溜めてきたブログの記事を、修正改編してエッセイ集として纏めることができたので、このほど印刷所にデータを送った。
急ぐこともないので、印刷所が暇なときに印刷製本してもらう、超スローなエコノミーコースというので頼んだ。
本の出来上がりは今月中旬頃になるらしい。
エッセイ集としては4冊目(第4巻)になる。本文は120ページ。
(もしお手にとっていただける方がありましたら、喜んで差し上げたいと思っております。)
(詳細は追ってまた、当ブログでご案内させていただきます。)

 

 

 

 

 


桜と三塁ベース

2021年04月06日 | 「新エッセイ集2021」

 

ことしも桜が咲いた。と思うまもなく散ってしまった。
桜の花を見ると、小学校を思い出すのはぼくだけだろうか。
ぼくはいつも野球帽しか被らなかったが、友達が学帽の徽章を買いに行くというので、文房具屋までついていったことがある。新品の徽章には、中心に小学校の小という字が入っていて、五弁の桜の花びらがきらきらと光っていた。
そういえば小学校の広い校庭の周りには、間隔を置いて桜の木が植わっていた。他の木もあったかもしれないが、とくに憶えているのは桜の木だけだ。

そのうちの幾本かは、今でも脳裏に残っている。
いつも三塁ベースの代わりになる桜の老木があった。出塁のあいだ、ベースを足で踏むのではなく、桜の木に手で触っているのだ。そのときの桜の木肌のざらざらとした感触が、いまだに手に残っている。セーフアウトといったかん高い声まで聞こえてきそうだ。
桜の木のことを書いていたら、銀杏の大きな木もあったことを思い出した。打ったボールが銀杏の木まで届いたらホームランだった。茂った銀杏の葉っぱの中にボールが消えていく。その瞬間の喜びは尋常ではなかった。バットは竹の棒だったけれど。

そんなことのせいだろうか。桜の連想がともすれば小学校に帰っていくのは。
だが、そんな小学校も今はない。そっくり町外れに移転したらしいから、2階建ての古い木造校舎も校庭も、今では記憶の中で訪ねるしかない。
長い板敷きの廊下だった。掃除をするときは、濡れた雑巾を押さえつけるようにして四つん這いで駆けていく。きれいになったかどうかは分からない。より早く駆けていく、競技のような感覚だったのではなかろうか。

小学校の便所が、今でもときどき夢に出てくることがある。便所は別棟になっていたので、教室と便所が渡り廊下でつながっていた。細長いスノコの上を、かたかた音を立てながら便所に走っていく。あの渡り廊下が今でも夢に出てくるのだ。
小学校の便所は薄暗くて、ひとりで行くのは淋しい所だったのだろう。あの渡り廊下の夢は、なにげに心細い色をしている。
今朝のベランダに小さな白いものが落ちていた。よく見るとそれは、桜の花びらだった。

 

   * * *

まもなく4冊目の本ができる

これまで書き溜めてきたブログ記事を、修正改編してエッセイ集として纏めることができたので、このほど印刷所にデータを送った。
急ぐこともないので、できるだけ低コストであげるため、印刷所が暇なときに印刷製本してもらう、超スローなエコノミーコースというので頼んだ。本の出来上がりは今月中旬になりそうだ。ちなみに超特急コースだと3日で納本らしい。
エッセイ集としては4冊目(第4巻)になる。本文は120ページ。
(もしお手にとっていただける方がありましたら、喜んで差し上げたいと思っております。詳細は追ってまた、当ブログでご案内させていただきます。)