風の記憶

≪記憶の葉っぱをそよがせる、風の言葉を見つけたい……小さな試みのブログです≫

いつか飛びたかったのかな

2016年09月26日 | 「新詩集2016」


  音信

鳥になりたいと思った
そしたら
青い風になった

はばたくと風は
いちまいの紙だった

会いたい人がいた
その街だけが
記憶の白地図をひろげる

飛んだ。
風には声もある
声は
鳥に似ていた

*

  いつか飛べるかな

最後に残った1枚のガム
きみとぼくと
半分に分けあって
銀紙できみは
小さな折り鶴を折った

空を飛びたかったのだろうか
たった1羽の小さな希い
きみの細い指先で
たどたどと翼をひらいた

この手から
今なら飛ばせるかもしれない
あの日のままの
空へ

*

  スノーホワイト

あまりにもどこも真っ白な
いちめんの雪
道のない道をあなたとふたりで歩いた
あめゆじゅとてちてけんじゃ…
あなたは呪文のようにつぶやきながら
わたしがすくった雪のかたまりを口に入れた
もしもミクロの目があったら
ここはお花畑か天空だろうねとあなた
うしろを歩くわたしは
ミクロの宇宙には入っていけなかったが
あなたの大きな靴跡につまづいて
おどけた子供のような大股になったとき
青くてふかい空が傾いて
お花畑が見えたような気がした
いまは道もない白い世界に
ふたりだけが迷いこんだみたいで
それなのに黙々と歩いてゆく
まがったてっぽうだまのようなひと
振りむくとホワイトアウト
ただ足跡だけが残っていた

*

  空の物語

きょう
夕焼けをみていたら
いきなり空が
あかい舌をだした

空よりもずっと
遠いところ
飛行機にのって
バスにのって
橋も渡ったのに
ここは山ばかりなのね
と少女はいった

乾いた風の
いいにおいがした
はじめて聞く
めずらしい言葉と街の名前
ぼくが知らないことを知っている
だけど少女は
やまぶどうを知らなかった

すこし甘くて
すこし酸っぱい
山のけものになって
啄んだり吐きだしたり
口の中が紫色に染まる
わらうとこわい

やまぶどうの秋は
つかのま
真っ赤な舌を出してさよならする
橋の向こう
ちいさな鬼になって
少女は
帰っていった





なにわの水を生きる

2016年09月19日 | 「新詩集2016」


  水を飲む

空っぽのペットボトルになって
朝の瞑想をする
この夏もいっぱい
琵琶湖の水を飲んだ
大きな川となって
小さな流れとなって
ぼくの空っぽは満たされていく

ただの水道水を飲んでいるのだが
琵琶湖の水を飲んでるんだと思うことがある
琵琶湖の水は瀬田川から宇治川へ
そして淀川となって大阪湾に流れ込んでいる
その途中で取水され浄化されたものが
水道管を通ってわが家まで来る
それを蛇口から頂戴する

でっかい水がめを取り囲む比叡の連なりをおもう
青い山に分け入る山頭火のように
へうへうとして水を味わう
そのとき水はただの水ではなくなる
琵琶湖に棲む生き物たちと水を分け合っている
魚たちが口に含み吐き出した水を飲んでいる
水が体の中をくぐり体が水の中をくぐって
ぼくも魚になる

湖も深呼吸をするという
比叡の冷たい風と水が湖底に流れこみ
深層部の澱んだ水が巻きあがる
湖水は山の酸素とおいしくカクテルされ
湖も魚も蘇生する
湖が呼吸できないと魚も窒息する
ときに湖面は白い腹をみせて
魚たちの涙のうみになることがある
そんな日の水はまずい

*

  坂の上には空がある

いくつも小さな山があった
山は削られ街になった
山の古いかたちも残ったので
新しい街は坂が多い
ぼくは坂の途中に住んでいる
坂の上には駅とスーパーがある
そこは一日が始まるところでもあり
終わるところでもある
坂の下には古い神社と田んぼがある
畦道は古代の風景に続いている

茅淳県陶邑(ちぬのあがたすえむら)と呼ばれた村
陶邑(すえむら)とは陶器(須恵器)を焼く村のことらしい
毎朝ぼくは石段を上ってウォーキングをする
その脇の斜面に古代の窯跡がある
かつて須恵器を焼く煙が立ちのぼっていたという
近くには陶器山という山があり陶器川という川がある
ぼくは石段を上って縄文のドングリをひろい
枯木を拾って弥生人のふりをしてみる
新しい一日が古い一日から始まることもある

過ぎた日のいつか
父と近くの山で赤土を掘った
金木犀の庭をつぶし
父は土をこねて小さなかまどを作った
その頃の父は強くて恐ろしくて弥生人だった
かまどの薪をうまく燃せないぼくは
泣きながら穴倉をとび出した
あれが父とのいちどきりの共同作業だったかもしれない
いまではかまどの家も父も古い一日となった

新しい一日はゆっくり始めたい
いつも急(せ)かされながら生きてきた
急(せ)いて急(せ)きまへんとは
せっかちな大阪人の口ぐせだ
急きまへんと言いながら急かしているのだ
なぜそんなに急かすのかわからない
急げばミスが起きる
まちがいは直さねばならない
直せば直すほど急いだことが無駄になる
ずいぶん無駄ばかりしたもんだ
そんな古い夢はすてて新しくしたい

坂をのぼって一日がはじまる
坂の上には空がある
だが急いでも
空までは行けない

*

  てっぽう

とうにもう
枯野の向こうに行きやったけど
おれに初めてフグを食わしてくれたんは
おんじゃん(おじいちゃん)やった

唇がぴりぴりしたら言わなあかんで
フグの毒がまわったゆうことやさかいにな
おれはフグの味なんか
ちっともわからへんかった

まるでフグみたいに
喋るまえに口をぱくぱくする
おんじゃんの言葉は財布とおんなじで
いつも腹巻のどんづまりに入っとったんや
言葉が出てくるかゼニが出てくるか
そんな腹巻は好きやったけど

おれたちは引きこもりやった
おんじゃんは関節と入れ歯ががたがたで
おれは背骨と前頭葉がばらばらやった

朝おきて顔をあろうて飯食うて
などと五七調で口ずさんだりしてると
おんじゃんの顔が宗匠づらになる
われはあほか
俳句には季語ゆうもんがないとあかんのや
春には春の秋には秋の
花が咲くやろ
ほんな季節のもんを添えたらんかいな

春夏秋冬
おれにはただのんべんだらりの
暑い日と寒い日があるだけやった
そやから仏さんのような俳句なんぞは
腹巻の中へつっ返してやった
がっかりした宗匠はきんたまかきながら
口をぱくぱくしとったもんや

五七五や
たったの十七文字や
われはそんなんもでけへんのか
大根でも切るように
おんじゃんは言葉をきっちり揃えようとしとった
切って削って五七五にして
だんだん言葉が少のうなってゆく
口ばかりぱくぱくやっても
言葉なんか泡ぶくみたいなもんや
とうとう俳句ふたつぶんくらいしか喋べれなくなった
それがおんじゃんの一日や
そしておれの一日も似たようなもんやった

唇がぴりぴりしたら
そのあとどうなるんやろう
旅に病んで夢は枯野をかけ廻る
ついには盗作やらかして
おんじゃんを怒らしてしもうた
われはあほか芭蕉も知らへんのか
そうだよ枯野をかけ廻っていたんや
おんじゃんの夢もおれの夢も
それから四日後におんじゃんが死ぬなんて
あほな頭じゃ考えられへんかった

おんじゃんは
辞世の句も残さへんかった
もちろん
フグの毒にあたったんでもなかった





森は生きているか

2016年09月11日 | 「新詩集2016」

  小さな窓から

小さな窓から小さな空へ
移りかわる雲の日々
晴れた日は手さぐりの虚ろ
雨の日はとおい耳
風の日は過ぎていく水
暗い夜はあてどなく
夢とうつつ

小さな窓から
雲にのせて
いずこへか魂をはこぶ
春の津波は
森の深くまで押し寄せてきたか
吹きだまりには落葉のやま
いまは獣の道もみえない

小さな窓から
夢の声を明るくする
小さな光
遠いのか近いのか
星の宇宙をノックして
光るものを言葉にかえる

*

  

しみじみと
ドングリをひろう

その丸い実で
コマを作る
ただ転がして遊ぶ
釘で穴をあけて
笛を作る
唇にかたい響き
風のように虚ろに
吹きつづけた

しみじみと
ドングリをひろい
耳にあてる
いま笛を吹いているのは
誰だろう

*

  失くした虹

雨あがり
ひたひたとどこかで
小さな眼が
光っているようだ
きっと虹を隠しているんだ
あいつら
カナヘビたち

すこしずつ
空の時間をずらしている
気をつけるんだな
光っているのはカナヘビ
くすんでいるのもカナヘビだから
失くしたものは
錆びた玩具
ちびた鉛筆と乾電池
パスワード
その言葉の虹には
ひかる虫が巣食ってたんだな

失くしたものばかり
光っているのは雨あがり
カナヘビだな
ひんやりと
ひたひたと
隠しているんだな
草むらだな
水たまりだな
石ころだな
光っているのは
虹だな
カナヘビたちの
冷たい虹
失くしてしまったんだな

*

  秋の実

小さな手で
木の実をひろいながら
小さな手はおぼえた
実であることを

ひろっても
ひろってもなくならない
ひとつふたつと
みっつまではかぞえられたが
かぞえられない木の実で
小さな手はあふれた

かぞえてもかぞえきれない
歓喜して手からこぼれ落ちる
それが秋であることを
小さな手はまだ知らなかった

*

  Into the Woods

近くに小さな森がある
トチの木がある
サワグルミの木がある
シイの木がある
両手をまっ黄色にしながら
固くて苦い木の実とたたかった
縄文人の足跡を踏む

餓死するまえに
森へ逃げこむ
赤い実をたべて赤くなる
青い実をたべて青くなる
苦い実をたべて生まれかわる

朽木と木の実の殻ばかりを残して
古い森は生きている
古い人も生きている
小さな森を抜けると
きょうの空はいつも新しい




コメント (2)

そのとき光の旅がはじまる

2016年09月02日 | 「新詩集2016」


  風の物語

本のページをめくる
あなたの指が
風のようだと思った

息がきこえる
深いため息と咳ばらい
ただそれだけが
ひとの一生だったかのように
長い物語ははじまり
長い物語はおわる

本を閉じると
あなたはすっかり年老いて
風のようにそっと
その部屋から出てゆく

ぼくは窓辺で
ただ風に吹かれているのが
好きでした

*

  電車少年

電車の好きな少年だった

窓のそとを
景色がいつも過ぎっていた
乗客はいなかった

やがて彼は
景色の中のひとになって
走りつづけた

いくつかの景色をつなぐと
電車になった
立ち止まるとそこが
駅になった

*

  光の旅

星と星をつなぐように
小さな光をつないでいく
そのとき
光の旅がはじまる

目を病んていたのだろう
朝はまだ闇の中を歩いていた
手さぐりで襖をあけると
そこは祖母の家だった

うすぼんやりと記憶の光が射している
毛糸の玉がだんだん大きくなっていく
古いセーターが生まれかわって
新しい冬を越す

小さな手はさみしい
さみしいときは誰かの手をもとめる
さみしいという言葉よりも早く
手はさみしさに届いている
温もりをたしかめる
ふたたび手を振ってさよならをすると
手にさみしさだけが残る

重たい引戸をあける
敷居の溝が好きだった
2本のまっすぐな木の線路を
ビー玉をころがし
目的地もなく行ったり来たりして
光の旅をする
 
冷たい線路に
小さな耳を押しあてる
聞こえるのは遠くの声ばかり
ガラスのことばは風のことばに似ていた
近づいてくるのか遠ざかっていくのか
耳の風景がさまよっている

どこかで
音と音が連結する
やがて音は山と山を連結する
山と空を連結する
ときどき山が近づいてくる
背中のような原生林を駆けぬけて
山の音が返ってくる
日なたの匂いを運んでくる

夢の淵をわたる
貨物列車の長い鼓動が聞こえる
誰かが山を運んでいるみたい
つぎつぎに虹色のビー玉を転がしつづける
ガラスの風景はすばやく変わるので
闇の速度に夢は追いつけない
あてのない光の旅だった

冷たくて丸い
ビー玉の小さな光を追いかけ
やがてガラスの遊びに飽きたら
山を越える決心をする
発車のベルが鳴って
ぼくはその時を知った
始まりの時ではなく
終わりの時でもなかった
時と時が連結する
ガラスと鉄が連結する
今日と明日が連結する
そして出発進行

古い線路と新しい線路が連結する
古い音と新しい音が連結する
ガラスと風が響きあうように
誰かがぼくの冷たい耳をノックする
ガラスのドアが回転する
光がとび出して
新しい旅がはじまる

祖母の駅は
いつのまにか無人駅になっていた
ビー玉の列車は
あっという間に通りすぎてしまう