風の記憶

≪記憶の葉っぱをそよがせる、風の言葉を見つけたい……小さな試みのブログです≫

一瞬の夏

2010年06月09日 | 詩集「一瞬の夏」



一滴の夏がおちる
水の記憶


生きるかたちをして
水がうごく
ゆっくり水際を寄せて
夏の魚になる


一瞬の夢をすり抜ける
水のかげ
草を冷やして立ちのぼる
ただそれだけの
夏がよぎる


水のかたちをして
魚がはねる
一瞬の夏を染めて
魚は
一滴の水を記憶する


(2008)


シロツメグサ

2010年05月17日 | 詩集「一瞬の夏」
Shirotume2


シロツメグサで
首飾りと花束をつくり
ぼくたちは結婚した


わたしの秘密を
あなたにだけ教えてあげる
小さな花嫁は言った
唇よりも軟らかい
かたく閉じられた秘密があった
シロツメグサで髪をかざり
赤ちゃんになったりお母さんになったり
お父さんになったり
子どもになったりした


朝といえば朝になり
夜といえば夜になった
夏といえば夏になり
冬といえば冬になった
一日は早く
一年も早かった
おいしいおいしいと言いながら
シロツメグサのパンばかり食べた


ときを忘れ
結婚していることも
すっかり忘れてしまった頃
彼女は美しくなって
ほんとの花嫁になった
手にはバラのブーケ
野には
シロツメグサがいっぱい咲いていたけれど
ぼくはもう
首飾りも花束も作らなかった


(2008)


原始人の夏

2010年05月17日 | 詩集「一瞬の夏」
Kawa


耳を立てて
とおくの雷鳴を聞いている
虹の匂いを嗅いでいる
そのとき夏の向こうから
ぼく等の原始人が現われる


川は流れつづけていた
ぼく等は瀬にさからって泳ぐ
唇まで冷えきったら岸へ上がる
みんな青い唐辛子だ
原始人だけが毛が生えている


首がみじかくて猫背
背中の肉が重たくて
歩くのも泳ぐのもにがて
彼だけが大きくて彼だけが不恰好
だから彼は原始人だった


原始人はときどき血痰を吐いた
ひそかに獣を食ったのかもしれない
あるいは体の中に獣がいたのかもしれない
勤勉な人間にはなれない
おれは退化しつつある人間だと言った
エクセルの操作も忘れた
もう敬語も使えない
ひげも剃らない


石を投げて
川岸のくるみの実を落とし
殻を砕いて食べる
すべて石の作業だから石器時代だ
と彼は言う
夏だけを生き延びる


太陽と水の季節
ぼく等の体はすぐに燃える
砂だらけのちんぽで小便をする
原始人の太くて長いうんこが
川面に浮いて流れていく


夏の終わり
縄文の川は精霊の道となり
茄子や胡瓜とともに死者たちが送られていく
河童になった少年は帰ってこない
でも泣くな
きみ等には秋がある
と原始人は言う
おれは夏が終ればいきなり冬だ
冬は裸では暮らせない


焼けた岩を抱いて
背中の雷雨をやり過ごす
やがて雨は
美しい光の粒となって空に散り
川藻の匂いがする虹となった


空の橋を渡る
夏の背中が見えた
うつむいて横断歩道を渡るひとも見える
猫背のままで
公園の林へ消えてしまう
あれから
彼に会っていない


(2008)


UFO

2010年05月14日 | 詩集「一瞬の夏」
Glass


からまつの暗い林を
どこまでも歩いたような気がする
急に空が明るくなって
その先に白い家があった
それは夏の終わりだったと思う
空へ伸ばしたきみの腕が
ブラウスの袖から露わになって
一瞬だけ宇宙人の細い腕がみえた


きみの空には
しばしばUFOが飛来するという
ぼくにはそれは
赤いナナホシテントウムシだったり
オオキンカメムシだったりしたのだが
きみは得意になって
小さなUFOをつかまえては
ふしぎな言葉を交わしていた


空に円をえがくきみの
快活な指先を追いながら
ぼくはきみから宇宙語を教わった
あなたが好きだとか
あなたのことは忘れないとか
キスしようとか
永遠だねとか
どれも夢のような言葉ばかりだったが
テントウムシは背中に星を背負っているから
いつでも宇宙には手がとどく
きみはそう言い残していなくなった


それは夏の終わりで
ぼくは永遠という宇宙語だけが思い出せず
ナナホシテントウムシは
ぼくの掌から飛び立とうとして
そのまま地球の草むらに
落下したのだった


(2008)


山の手紙

2010年05月14日 | 詩集「一瞬の夏」
Kamikouchi


きょう手紙が届いた
とおい山のホテルの
便せんと封筒
差出人はぼく
自分を発ち自分へ帰ってゆく
孤独な便りだ


恵那山トンネルという
中央自動車道の長いトンネルを抜けた
恵那山の語源は胞衣(えな)だという
トンネルの長い闇に
胎児のようにつつまれる


とつぜん闇がひらく
赤子になってぼくは
知らない土地に生まれでる
聳えるものは山と呼ばれ流れるものは川と呼ばれる
空に向かって膨らんだ乳房
山襞には白い乳が流れている
ぼくは赤子だから
ただ青いものと白いものに口をひらく
赤い花の名前も知らない


カラマツソウ
ミヤマニワトコ
ウツボグサ
ハクサンオミナエシ
花は花
名前は名前にすぎないけれど


深い森を抜ける
木々のそよぎは鳥の言葉に似ている
近づくと黙ってしまう
逃げてゆく青い影を追いかけてゆく
飛び交うものは名前を失い
水底の小石は黙りこくっている
川だろうか風だろうか
懐かしさだけが頷いてくれる


魚には斑紋があった
ここで生きてここで死ぬのだろう
それは美しい命のしるしだ
水のようにやさしく泳いでいる
その冷たい水に
ぼくの指の魚はきっと
30秒も生きていない


道をふりかえると
赤子はたちまち老人になって
道標の文字が読めない
どこから来てどこへ行くのか
不動の山はのどかに噴火している
ぼくは噴火しない


快晴
気温25度
標高1500メートル
胞衣をぬぎすて
雲のひだを裂いて夏が見えた


ぼくは振りかえり
そして追うだろう
記憶となった山と川を
さらには花と風の赤子たちを
だがもう
手紙は書かないだろう
すでに旅人は
立ち去ったあとだから


(2008)