風の記憶

≪記憶の葉っぱをそよがせる、風の言葉を見つけたい……小さな試みのブログです≫

鳥のようには飛べないから

2022年05月26日 | 「詩エッセイ集2022」


此処は島の最南端なんだ とうとうというか やっとというか なんとかというか ここは東でも西でもなく 南の端っこなんだ その果ては海である 岩礁が無数にあり 陸地と海がせめぎ合うところ 美しいが危なっかしいところ 波が砕けている 岩が砕けている かつては船も砕けた トルコの軍艦が難破した 何百という乗組員が命を落とした 運よく救助された60余名の 瀕死の冷え切った体を 島民が肌身の熱で温めたという 望洋と広がる太平洋の海に 鯨の姿を追った人々だ 灯台の展望塔に上ってみる 青い果てまで何もない 空と海の境界にも 何もない 体の中を風が 吹き抜けていく快さと不安 鳥のようには飛べないから 風もつかめないから この果てから どうすればいいのか どうなるのか 立っていることの危うさ 歩いてきたことの危うさ リュックの重さと疲れ それでもまだ 此処は陸地の端だから 旅人の方舟は難破しない 遠くを眺め見下ろすだけ スマホのカメラに吸収すれば ただ美しいものに変換され それらは 視界のすべてではないが のちの日のために記録され 島の果てに立ったこと 海と岩と白波のさまざま いつか記憶の混沌が整理され 巻きもどしてみればそこは 現実と夢の間でもあり 常にいつも立ち尽くす場所 でもあるしあったりもする 長い道のりの最南端が どこにでもある日常で 夢の中まで端っこの 果てはしぶとく伸びていて この果てはほんとうに 端っこの果てなのか この日頃は常にぎりぎりの 端があり果てがあり 人々は容易にダイビングするが ひとり躊躇しておれば やっと夢から這い出しても なお一歩が踏み出せない

 










べんぶしてもべんぶしても

2022年05月10日 | 「詩エッセイ集2022」




べんぶしてもべんぶしても 賢治の詩に そのような言葉が出てきたので 岩手出身の義母に たずねたが知らないという 方言ではないらしい そういえば 素朴な昔の神々のように と書かれているから べんぶしたのは神々か どんな風にべんぶしたのか グーグルで検索してみたら 喜びのあまり手を打って踊ること そうか べんぶするって 喜んで踊ることなんだ 漢字では抃舞する 知らなかったなあ こんな言葉 今でも使うことあるのかなあ 蘆花や漱石は使ってるらしい その時代には日常使ってたのか でもなあもう 古い神様の言葉になって さらに活字も小さすぎて 神田神保町も神ばかりだったが カビ臭い古本屋の棚は 脚立に乗っても高すぎて おんぶしてもあいぶしても どこまでも古びたかな 楽しかったのはいつ 神代のように古くはないが おんぶはなんどもした あいぶはしなかった 初恋のおもいで じゃんけんして 勝っても負けても どっちでも楽しかった カッちゃんのお尻は やわやわだったし ああ私たちは童子のように うたってもおどっても なほ足りなかった 私の上に降る雪は 真綿のようでありましたが 幼い春には修羅が はたまたどんな稲の嵐が 吹いて過ぎたのか ツバナの穂は 美味しいスウィート ツバキの蜜を吸ったら ミツバチになった 花粉で塗りつぶされた ぼくの小さな部屋が あのままであればいいのに この道はどこへ行く 立ち止まると果てがない 後ろをふり向けば 影ばかりが長くなって いくら手を振っても 風のように忘れられる 恋するひとはいつも 森の向こうにいる おもってもおもっても 届かない ねがってもねがっても 叶わない おもいは祈りに似ている 昔の神を真似てみても 足りないものは足りない オロオロ歩いていては 倍速の日々には追いつけない