夏は
ぼくの夢をやわらかく砕く
失った欠片ばかりが
空を浮遊している
ひかりの交信は途絶えたまま
夜空の星はもう追わない
指にとまった
ナナホシテントウムシの
小さな星を数える
水のなかで息を継ぎながら
ひとの優しさも知った
プールでそっと触れた手は
水よりも冷たかった
背中で浮かんだままで
もうすぐ終わってしまうものがあることを
光る雲を追いながら考える
たぶん明日もまた
あの空から始まるのだろう
夏は
ぼくの夢をやわらかく砕く
失った欠片ばかりが
空を浮遊している
ひかりの交信は途絶えたまま
夜空の星はもう追わない
指にとまった
ナナホシテントウムシの
小さな星を数える
水のなかで息を継ぎながら
ひとの優しさも知った
プールでそっと触れた手は
水よりも冷たかった
背中で浮かんだままで
もうすぐ終わってしまうものがあることを
光る雲を追いながら考える
たぶん明日もまた
あの空から始まるのだろう
騒がしさの中に、静けさがあった。
見える声と、見えない声があった。
出かける人たちや、帰ってくる人たち、夏のひと日が慌ただしく過ぎていった。
生きてる人たちが遠くへ行き、死んだ人たちが近くに帰ってくる。
生きてる人と死んだ人が、見えないどこかで交錯する、白い夏があった。
近しい人たちが、半分になった。
行ったり来たりしているうちに、人生の半分を失ってしまったみたいだ。
ごっちゃに集まるお盆の夜は、ご詠歌と鉦のひびき。
祖父の声は父の声にそっくりで、伯父の声もまた、父の声にそっくりだった。声と声が繋がって、そのようにして仏へと繋がっていくのだった。
いまはもう、3人とも仏の国へ行ってしまったけれど。
大阪生まれの父は、その生涯の大半を九州で暮らしたので、墓は九州にある。死ぬまで大阪弁をしゃべっていた。
幼少期を九州で育ったぼくは、思春期を東京で過ごし、その後はずっと大阪で暮らしているが、いまだに大阪弁が使えない。土地の言葉が使えないぼくには、心の底から出せるしゃべり言葉がないような、そんな思いになることがある。いつまでたっても異邦人だ。
どうでもいいことだが、大阪の里は古い宗派の融通念仏宗で、九州の里は法華宗。お墓参りの念仏も、南無阿彌陀仏か南無妙法蓮華経かでややこしい。
念珠の形までうるさかった人たちも、いまはもう墓の中で眠っている。
おかげで、お盆はすっかり静かになった。
周りがだんだん静かになって、記憶の声だけが騒がしくなる。みんな、声が大きかったのだろう。
流浪する家系を引き継いで、ぼくもまた流浪する。
蝉しぐれの道を歩いていて、ふと聞き覚えのある声に振りかえる。だが、そこには誰もいなかった。
この夏、連日の猛暑で地球が燃えているようだった。
家の中ではテレビもパソコンも、熱を出すものは敬遠しがちだったが、たまにパソコンを開いても、メールもすっかり少なくなった。
数少ないメールの見出しはいずれも親しげで優しい。言葉に飢えているので、ついクリックしたくなってしまうが、歓迎されるようなものは1通もない。どんなに親しげで優しくとも、それらは勧誘の言葉にすぎない。こころから出てこころへ届くものはほとんどなかった。
短い田舎の生活では、忘れていた山の姿や野花をじっくり見た。
空や雲を見ることも多かった。毎日、まっ白い積乱雲が頭上まで盛り上がってきた。こんな勢いのある雲の姿を見たのは久しぶりだった。雲が生き物にみえた。残念ながら雲とは通じる言葉がなかったので、ぼくたちはただ見つめ合っていた。
都会ではめったに聞けない、ヒグラシやミンミンゼミの声をふんだんに耳にした。懐かしい声だが、かつてのぼくは彼らの声を聞き流していた。だから虫たちとも、ぼくらに共通の言葉はなく、そのことがもどかしかった。
変わらないものがあるということ。記憶の中の形や色や音を思い出すということ。懐かしさは言葉ではなかったのだ。
それらは風のように吹きすぎてゆき、ときには、ぼくの深いところに隠れていた小さな記憶の葉っぱをそよがせて過ぎた。
山々の形、溶岩でできた凝灰岩質の山肌の手触りと温もり、瀬音や風の響きなどの、ひとつひとつが落葉のように舞い降りてきた。ああ、そうだった、と少しずつ符合しながら蘇ってくるものがあった。
そして、ふたたび言葉の世界に帰ってきた。
田舎の空気を吸いすぎたので、しばらくは都会の空気になじめない。
まだ記憶の浅いところで、いつかの草の葉っぱが遠くの風にふるえている。言葉にできなかったもどかしさを、なおも言葉にしようとしている。都会で生きるための、ネットで生きるための、習性を取り戻そうとしている。
真実も嘘も、言葉に変換して納得する。
それがまっとうな生き方かどうかはまだわからない。とりあえずは、言葉の真実に届くよう、言葉を追いかけて生きていくしかない。
いつまでも暑いですね
40度はおどろきでした
どこまで暑くなるんでしょうね
頭を使うと脳も発熱するそうですから
なるべくぼんやり過ごすことにしています
スマホもパソコンも熱がってます
もはや言葉で遊ぶのも無理かもしれません
とくに長いものや暗喩だらけの詩はスルーしたい
挫折や敗北の詩はマイルドにして
恋の詩はクールなものを
かき氷のような詩があれば溶けてみたい
川を流れて海に抱かれて
ただぼんやりと浮かんでいたい
背中を潮が流れていきます
空には雲が流れていきます
あれもこれも流れていきます
「地球さま
永いことお世話さまでした」という
婆さん蛙の短い挨拶を聞きながら
「さやうなら」
と眠りに落ちてゆきます
夢の中まで蝉しぐれ
もう限界です
地球さま
* * * * * * * * * * * * *
草野心平の詩『婆さん蛙ミミミの挨拶』から一部引用しました。
以下が、その全詩行です。短いです。
地球さま。
永いことお世話さまでした。
さやうならで御座います。
ありがとう御座いました。
さやうならで御座います。
さやうなら。
雑草に覆われた細い道を下りていく。
小川のそばに水引草が咲いていた。
24歳で夭折した詩人の夢が、
夢はいつもかへつて行つた 山の麓のさびしい村に
という。
その夢のほとりを歩いた。
ぼくの夢は、まだ帰ってはゆかない。いや帰るところがない。旅の途上にある。
水引草の花は、見過ごしてしまうほどの小さなあかい花だった。
ぼくの夢にはおそらく出てはこないだろう。そんな目立たない花だ。
そのとき、「水引草に風が立ち」という詩の一節が、風のように頭をかすめた。それで、ぼくは立ち止まったのだった。
いつか道造の夢が帰っていっただろうところに、その小さな花はひっそりと咲いていた。
水引草の道は、田舎の懐かしい道をたどってゆくようだった。
けれどもすぐに細い川に突き当たり、そこで道は途切れていた。その先にはもう行かないという、まるで夢をたどる道のようだった。
小川の水は濁るでもなく澄むでもなく、さらさらと音をたてて流れていた。
活火山のなだらかな山の肌を洗い、地熱を潜りぬけた熱い水。溶岩の匂いがするような、こまかく光を砕いて流れる太古の水だった。
夢は そのさきには もうゆかない
なにもかも 忘れ果てようとおもひ
忘れつくしたことさへ 忘れてしまつたときには
(立原道造『のちのおもひに』より)
浅間山の麓で浅くみじかく眠り、きれぎれの夢のはざまに、水引草の栞をはさんだ。