風の記憶

≪記憶の葉っぱをそよがせる、風の言葉を見つけたい……小さな試みのブログです≫

昨日の風を聞いている

2019年04月29日 | 「新エッセイ集2019」

暑くもなく寒くもない、心地よい風が吹いている。草木の若葉や花の香りをいっぱい含んでいる。
昨日の風は鳴ってゐた……
は、立原道造の詩のどこかにあった言葉だけれど、昨日の風ってどんな風だろうと、ふと思った。いま吹きすぎていく風は、今日の風なのか昨日の風なのか、そんなことは考えもしないことだった。
もしも風に記憶というものがあるとしたら、それぞれの風が通ってきた、それぞれの記憶の道があるかもしれなかった。そんな風があるとすれば、その風は昨日の風かもしれないし、もっとずっと昔の風かもしれない。
記憶の風景の中を吹きすぎていく風は、たぶん音楽のようなものだろう。

   しづかな歌よ ゆるやかに
   おまへは どこから 来て
   どこへ 私を過ぎて
   消えて 行く?
            (立原道造『優しき歌』より)

この日頃、記憶の風に吹かれながら、記憶の歌を聞くように、自作の古い詩を集めてウェブ詩集を作っている。それなりの時間がたって読み返してみると、自分の詩作の軌跡や作品の瑕疵がよくみえる。
読み返したくないと思ったり、こんな詩を書いたのはどんな自分だったのだろうかと振り返ったり、久しぶりに自分が書いたものと向き合っていると、さまざまな思いが交錯する。

詩として作品化されたものは多分にフィクションだけれど、背景にはリアルな生活や情感があったわけで、フィクションとリアルとの隙間を記憶の風のようなものが吹いていて、その風の振幅の中にも真実と嘘が混在しているにちがいなかった。
それらの記憶を証明するものは言葉だけれど、ぼくの言葉が真実を語ったかどうかは自信がない。
ただ、言葉の真実に近づきたいという切望だけはあったと思う。そして今は、そのことだけを言葉の音楽のように聞いている。

 


ときには時を動かしてみる

2019年04月24日 | 「新エッセイ集2019」

時が静かに過ぎてゆく。
時間に追われていた頃もあった。時間を追いかけた頃もあった。
いまは、つれなく時間に追い越されている。時の足音すら聞こえないことも多い。
締切がなくても、約束がなくても、それでも時は動いている。
いたるところに時を表示する時計はあり、時の針(現代では数字かな)も動いている。けれども、ときには時をじっと待ち、じっと見つめてみたくなったりする。

古い腕時計を持っている。
ぼくは旅行をする時ぐらいしか腕時計をしないので、普段は机の引出しにしまったままになっている。
学生の時に父からもらったものだ。電池やネジで動くものではないので、いまでも動かせば動く。使わない時は止まったままだが、動かしたい時に腕にはめて腕を振る。それだけで動き始める。そんな旧式の時計だ。
スイス製だぞと言って、父は自慢げだった。いまでは、日本製のほうが自慢できるかもしれない。
まだ、スイス製の時計がまぶしかった頃のことだ。

父がいうスイス製は、あまり信用できないこともあった。
九州の片田舎で、父は商売をしていた。店では、大阪の問屋から送られてくる質流れ品を扱っていた。
衣類からミシンまで種々雑多な商品があり、その中に時計もあった。父はローマ字が読めないので、送られてきたばかりの腕時計のブランド名を、高校生のぼくに一点一点確認させる。
ぼくの読解力もいい加減で、セイコーやシチズン以外の舶来品はよく判らない。すると、そんなものはすべて、父のひと言でスイス製になってしまうのだった。
だから、ぼくがもらった腕時計も怪しいものだ。それでも父よりも長生きして、時々はぼくの腕で役割を果たしているのだから、たとえニセ物であっても、もはや商人の父に恥をかかすこともないだろう。

父の葬儀のあとに、形見のつもりか母がぼくにくれた腕時計もある。それまでずっと父が使っていた腕時計だった。
その腕時計は正真正銘のスイス製だったが、電池式だったので1年ももたずに止まってしまった。電池を交換すれば動くのかもしれないが、面倒なのでそのまま引出しの奥で眠らしている。
考えてみれば、すでに父の十三回忌もとうに過ぎたので、その時計もほぼ永眠状態だといえるかもしれない。

古い腕時計の方が旧式なゆえに単純で、振るだけで動いてくれるというのもなんだか皮肉めいている。古さは、ときには新しさでもあるのだ。
先日、光のトンネルを見に行ったとき、途中で1時間遅れていることに気がついた。とうとうこの腕時計もガタがきたかと心配したが、その日は夜まで、正確に1時間くるったままで動いていた。
どうやら朝の時間合わせのときに、ぼくの方が1時間まちがって針を合わせたようだった。ゼンマイがゆるんでいたのは、ぼくの方だったのだ。

いまや、ぼくに忠実に従ってくれるのは、この腕時計だけかもしれない。
野山も鮮やかな新緑に燃えている。ぼちぼち引き出しの眠りから目覚めさせて、どこかに連れ出してやろうかと思っている。
いつも、突然起こされたようにして動きだすのろまな腕時計だが、ぼくには合っているように思えてきた。腕を気にしながら大きく振って歩く。すると時が動きだす。停滞ぎみのぼくの心の秒針も、つられて一緒に動きはじめるような気になる。

 

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さまよえる石

2019年04月19日 | 「新エッセイ集2019」

ほとんど毎日、近くの自然公園をウォーキングする。
通学路で小学生たちとすれ違い、古い池に沿った遊歩道の途中から百段ほどの石段をのぼる。
上りきったところで、荒くなった息を整えるため休憩する。いまは、椿の花が落花して地面を華やかにしている。
その場所は石庭のようになっていて、手頃な腰掛け石がある。
かなり以前から、その石にすわって瞑想(?)することが日課となっていた。石は動かないので、まるでぼくを待ってくれているようで、その石との関わりは楽しい約束のようだった。
その場所で、あるときは心を乱し、あるときは心を鎮める。とりあえずは、そうやって一日を整えるのだった。

昨年暮れの冷たい風が吹きはじめた頃に、ぼくの瞑想の椅子が突然ホームレスの男に奪われてしまった。彼は汚れた大きなリュックを脇において、どっかりと石に腰を下ろしていた。
寒い朝は、石の周りをせわしなく歩き回っている。そうやって体を温めているのだろう。彼の足が刻みつける石庭の小さな円は、いまや彼のテリトリーを誇示しているようにみえた。

かくて、慣れ親しんだ庭を失ってしまったぼくは、新しい石をさがして歩き回らなければならなくなった。
公園には石のベンチがいくつかある。石の形はさまざまで、なかなか落ちついてぴったりなものが見つからない。居場所を失くしたぼくは、この公園のホームレスになってしまったようだ。身も心も落ちつかない。瞑想もさらに乱れに乱れる。

ぼくの指定席を奪ったホームレスのことも気になる。彼もどこかで、きっと何かを失ってきたのだろう。
ぼくが知るかぎり、彼はこの公園での3人目のホームレスになる。
最初は、大きな犬を連れた老人だった。犬には首輪もリードもついていた。彼はいつも身ぎれいにしていた。たまに散歩者の誰かとしゃべっているとき、その口調には威厳があった。虚勢を張っていたのか、それとも身についたものだったのかは知らない。彼は3年ほどもこの公園に居つづけた。その間に、彼は少しみすぼらしくなり、犬は立派になった。

ふたりめは、よく太った若者だった。いつも公園のベンチで寝そべっていた。雨の日は近くにあるトンネルの中や、駅の駐輪場で異臭を放って寝ていた。彼は短期間で姿を消した。その傍若無人さが疎まれて追い出されたのかもしれない。
3人目のことは、まだよくわからない。ただ、公園でのぼくの居場所が奪われたことだけは確かだ。
おかげでぼくは、石をさがして放浪する身となった。
この身と心に添ってくれる石は見つかるのだろうか。ひたすら石をさがして、瞑想ならぬ迷想する心が乱れている。

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桜は大いなる幻想だった

2019年04月15日 | 「新エッセイ集2019」

桜の季節が終わった。
桜が咲き誇っている道を歩くと、ああ、これはいつかの道だぞと、また同じ道を同じ景色の中を歩いているぞと、まるで記憶の道をなぞりながら歩いているような気分だった。懐かしいが不安でもあった。
この落ちつかない心の状態はなんだったのだろう。気持ちの整理がつかないうちに、またたくまに花は散ってしまったのだが。

桜の花が咲くというのは、春の大きな祝祭なのかもしれない。
しずかな風景が一変し、周囲がなんとなく騒がしくなる。いったい何ごとが起きているのか、楽しいけれど戸惑いがある。
満開の花の勢いに圧倒されているうちに、通り過ぎるように終わってしまうものがある。溢れるものがあり、足りないものがある。それはなんなのか、なんでもないのか、花とはそんなものだったのか。
花に奪われたこころは虚しくはないのだろうか。花ばかりが満ちあふれ、こころは空っぽになっていく。

   吉野山こずゑの花を見し日より
      心は身にもそはずなりにき  (西行)

いつだったか吉野の奥千本のさらに奥にある、西行庵を訪ねたことがある。その小さな庵で3年間もひとりで西行は、どうやって暮らしたのだろうか。
西行には桜の花を詠んだ歌が230首もあるという。桜の花がどんなに好きだったとしても、花の時期はほんのひと時にすぎない。あとは桜の幻を追って、月や雲などを眺めてすごしたのだろうか。

   あくがるる心はさてもやま桜
      ちりなむのちや身にかへるべき (西行)

そのひとは桜が散ってしまったあとに、どうやって浮遊した心を元の体に戻すことができたのだろうか。

 


四国の春

2019年04月11日 | 「新エッセイ集2019」

四国の春は、のどかな遍路みちに満ちあふれている。
八十八か所霊場の一番札所、徳島の霊山寺に立ち寄った。
かつて空海(弘法大師)が、21日間の修行をしたと伝えられる寺だ。
本堂の薄暗い柱に、空海の言葉が貼られている。

   佛法遥かに非ず 心中にして即ち近し
   真如外に非ず 身を捨てて何処か求めん

仏や神というものは遠くに求めなくても、それぞれの心の中に在るものだという。
静かに胸に手をあててみる。ぼくはお遍路ではない。一介の行きずりの旅行者にすぎないけれど……。

空海によって開かれた真言密教は、神秘体験の宗教だといわれている。
目で見えるものではなく、耳に聞こえるものでもない。しかしそれは、厳然として存在し、ひとの魂に響いてくるものだという。その教義は、言葉で容易に説明できるものではないというから、われわれ凡人が理解するのは難しい。
真言とは、嘘のない真実の言葉という意味だが、真実の言葉とはどんな言葉であるか。いくら考えても、言葉の本当の意味はわからない。
たぶん、ひとの心に響くとき、その言葉は真実となるのだろう。

   おんあぼきゃ・べいろしゃのう・まかぼだら・
   まにはんどま・じんばら・はらばりたらやうん

光明真言という短い経を唱える。言葉の意味はわからない。
幾度もくりかえして唱えるうちに、言葉の響きに不思議な心地よさを覚える。身体にじかに沁み込んでくる音楽のようなものかもしれない。
小鳥の声や風の囁きのように、言葉ではなくいわゆる骨伝導として、自然に身体の中に入ってくるもののようだ。

ひんやりとした堂内、灯明の薄あかりのなかで法話を聞く。
このところ自然災害が多い。被災した人々の今日の苦難は、明日の私たちの苦難かもしれない、と僧侶が語る。苦しみは分かち合うことによって軽減し、喜びもまた共有することによって倍増するという。
孤立して苦悩する人々の魂に「きみはひとりではない」という言葉が、西から東へと、あるいは南から北へと伝播していった日々もある。ひとは喜びも苦しみも共有することができるのだ。
ときおり舞ってくる桜の花びらを浴びながら、自他の苦楽を背負って歩むお遍路たちに混じって、いつもよりも長い祈りを祈った。