goo blog サービス終了のお知らせ 

風の記憶

≪記憶の葉っぱをそよがせる、風の言葉を見つけたい……小さな試みのブログです≫

風立ちぬ、いざ生きめやも

2025年06月20日 | 「2025 風のファミリー」



その木造の小さな教会は常に開放されている。訪れる人々は黙って入り、しばし木製の長いすに座って薄暗い室内に目を凝らす。壁も窓も、屋根を支える梁も、素朴な祭壇も、すべて木でできている。木から木へと森を抜けてきた風が、そのまま建物の中を吹き抜けていくようだ。
風も人も、そして神ですら、自由に行き来する。老成した神は、あえて手を差し伸べることはしない。ただ黙って受け入れるだけだ。そこでは、人は知らない間に神とすれ違っているかもしれない。

今から百年以上も昔、ひとりのカナダ人宣教師が軽井沢をはじめて訪れた。彼の名前は、アレキサンダー・クロフト・ショー。彼はこの地の風土に魅せられ、軽井沢で最初の別荘を建て、最初の教会を建てた。彼は、その数々の功績により「軽井沢の恩父」と呼ばれている。その古い教会を源流とするかのように、そこから街の賑わいは南へと流れるように延びている。

神とはすれ違ったままだったが、私は満たされた気分で教会を出た。薄暗い林のそばの人がほとんど通らない裏道を抜けると、室生犀星の旧宅がある。以前にも訪ねたことがあるが、今回もなんとなく立ち寄ってしまった。親戚のおじさんのような、角ばった無愛想な犀星の顔が浮かんだ。いつも庭を眺めていたという、板張りの縁側に座って犀星の気分になってみた。
彼が愛した庭苔は、今もきれいに庭を覆っている。かつて、その庭の一角に雨ざらしの木の椅子があったらしい。そこで、じっと目を閉じて座っていたのは、若い詩人の立原道造だった。「彼はいつも眠そうだった」と犀星の目には写っていた。

自転車に乗ってやってきた若い女性が、ためらうように木戸から入ってきた。ショートパンツから伸びた白い脚が、やわらかい絨毯のような苔のあいだを軽やかに縫った。その白い脚を追って、犀星ならその屈折した艶っぽい文体で、ひとりの女性をいきいきと記述しただろう。道造なら、過ぎた日のいつかの夢のような風景にして、美しい詩を書いたかもしれない。
私はといえば、長い髪を追いかけて、ただ自転車の風になりたかった。風にもなれなかった私は、とぼとぼと通りの人ごみに混じって歩いた。

とつぜん「風立ちぬ、いざ生きめやも」という詩句が頭に浮かんだ。ポール・ヴァレリーのそれではなく、堀辰雄の『風立ちぬ』の中の言葉としてだった。白い脚の残像に、小説のあるシーンが誘発されたのかもしれない。
次第に結核が悪化していく若くて美しい恋人がいる。とつぜん風が立ち、彼女が描きかけていた画架を倒してしまう。まだ乾ききっていない絵の具にくっついた草の葉を、彼女はパレットナイフでていねいに取り除いていく。限られた日々を、必死で生きたいと願う若い命の残像がそこにあった。

風の流れのように、川の流れのように、休暇のあいだだけ訪れる人たちで、街の通りは賑わっていた。
蕎麦を食べるために店先で30分並び、注文してから15分待った。食べるのは1分で充分だった。
木の神の恩寵は、必ずしも合理的ではないのだ。生きるため、空腹を満たすためには、ときには現代の神と妥協しなければならないのだった。
風立ちぬ、いざ生きめやも。蕎麦食いぬ、いざ生きめやも!




ブログの移転先に「はてなブログ」を選びました。

しばらくは試行中ですが、引き続きよろしくお願いします。


はてなブログ『風の記憶』


夢に続きはあるか

2025年06月12日 | 「2025 風のファミリー」



眠りに入ったら目が覚めるまで、夢など一切みないという人もいるが、私は就眠中ずっと夢を見ているような気がする。もしかすると、目覚める直前だけ夢を見ているのかもしれないが、夢から開放されてぐっすり眠ったと感じることは少ない。ときには夢に疲れて起きてしまうこともある。
記憶に残らない夢もあるし、妙に鮮明に残る夢もある。どちらかというと記憶に残るような夢をみるときは、体調や情緒が不安定なときが多い気がする。それに反して、楽しい夢で目が覚めるときは体も心も安定している。もちろん、私の勝手な夢解釈ではあるが。

このところ頻繁にみる夢は、乗りたい電車の行き先がわからずに乗り遅れるとか、道に迷ってしまってなかなか家に帰れないとか、注文を受けた仕事が複雑すぎて、しきりに頭を悩ませているとか、後ろ向きな夢が多い。
焦っていたり自分の弱さを責めたりしているのは、夢の中だけではなさそうで、気温が不安定で季節的にも眠りづらい環境ではあるが、日常生活で言葉が曖昧になりつつある妻との対話で、戸惑いやすれ違いも多くて、自分でも意識できない深いところで気持ちが淀んでいるのかもしれない。

子供の頃のように、ライオンや妖怪に追いかけられる夢はもう見ないし、親が死んで悲しんでいる夢ももう見ない。無知で臆病だった子供の時代はとっくに過ぎたし、両親ともすでにこの世に居ない。
それでも、子供がえりしたり、死んだ親と会えたりするのが夢の世界だ。夢の続きをさらに見たいと思ったりする、そんな夢を見るときは心身ともに穏やかなようだ。
いろいろな生活の変化にも少しずつ慣れて、ぼちぼち平穏な夢が戻ってくることを今は期待している。

人間は眠ることによって脳も再生すると言われている。できることなら、夢の中では自分が思うがままの夢をみて、思いきり充足されたいものだが、夢の中で、夢を自由に操作することはできないものだろうか。
そんなことも考えて、自己催眠とやらの訓練をしたことがある。手や足がだんだん温かくなるなどと、意識するが意識しないという、意識の深いところで意識するという難しい訓練である。すると手足が次第に温かくなってくる。
そのようなやり方で意識下の意識を動かすことによって、夢の世界も自分の思うように動かせたら楽しいかもしれない。馬鹿な寝言か夢物語と言われそうだが。




ブログの移転先に「はてなブログ」を選びました。

しばらくは試行中ですが、引き続きよろしくお願いします。


はてなブログ『風の記憶』

 

 


6月の風が吹いている

2025年06月07日 | 「2025 風のファミリー」



いまは6月の風が吹いている。空がどんなに晴れ渡っていても、風はすこし湿っている。そんな6月、空にはときどき太陽があった。雲もあった。ときには羽をひろげた鳥や虫たちが、濡れそぽった空を泳ぐように飛翔していた。
私は中学生だった。
あるとき、雲の存在が急に近くなった。毎日きまった時間に空を見上げ、雲の様子をじっと見つめた。雲の形と色を、灰色のクレパスでノートに描き写す。雲の日記だった。

写しとってみると、それは雲ではなかった。雲は手に取ることも確かめることもできない。正確に写しとったつもりでも、ノートの雲はまるで別物だった。私の描写力が未熟だったこともあるが、とても雲には見えなかった。
刻々と姿を変えていく雲に追いつくこともできなかった。目には見えないものが雲を動かしているのだった。ものの本当の姿を捉えようとすることは、とても難しいことだと知った。

その頃の私は、特定の女子を好きになることがあった。ときどき頭の芯や胸の奥が熱くなって、とりとめもなく膨らんでくるものを、吐き出したり吸い込んだりしなければならない。それは忙しげな呼吸のようなものだった。音にも言葉にもならない、自分でも捉えがたい想いが動いているのだった。
そんな曖昧な心の衝動を表すことや、それを誰かに伝えることなど、私にはまだできなかった。なにかが、私の体の中を渦巻き吹き抜けていく。それは甘い薫りをはこんでくる、6月の風みたいなものだったかもしれない。

そんな時はハーモニカを吹いた。
ハーモニカは吐く息と吸う息の呼吸が音になる楽器であり、呼吸はまだ言葉にならない胸の中の想いのようなものだった。ハーモニカに息の風を吹き込んでいると、いつしかもっと大きな風につつまれていく。呼吸と風が一体になって、見えない想いが音になって広がっていき、その中をさ迷っているのが快感だった。

風の中を突き進んでいるのか、体の中を風が吹き抜けていくのか分からなかったけれど、風もまた呼吸をしているようだった。どこかで甘い果実を齧ってきた風の息を感じた。6月は、さまざまな樹木にさまざまな実が熟していく季節でもあったのだ。
ハーモニカを吹かなくなって久しい。いくつものため息のあとに、いままた大きく息を吸い込む。この6月の朝の風が、ふたたび果実のように甘くなった。




ブログの移転先に「はてなブログ」を選びました。

しばらくは試行中ですが、引き続きよろしくお願いします。


はてなブログ『風の記憶』

 

 


メタモルフォーゼ

2025年05月29日 | 「2025 風のファミリー」



いつも言葉のことが頭にある。言葉で考えて、言葉で自分を表現する。言葉でひととコミュニケートする。言葉を並べて文ができる、詩ができる。メールも送信できる。だが、言葉を操ることは簡単ではない。言葉は楽しませてくれるが、悩ませてもくれる。
言葉を選ぶ。衣装のように着たり脱いだりする。なかなか自分の体にフィットしない。私は自分のことを、気分が比較的安定した人間だと思っている。感情のさざ波は常に立っているが大荒れすることはない。けれども、とつぜん自分というものを捨てたくなることがある。
着膨れしたように、体の動きが不自由になっていたり、袋小路に追い詰められているように感じることがある。くるりと方向転換したり、もっと身軽になるために着ているものを脱ぎ捨てたくなる。

これは自分ではない、と思う。玉葱のように、皮だか実だか分からないものを、一枚一枚はいでいこうとする。というような冷静なものでもない。足掻いているといった方がいいかもしれない。ほんとうは泣き叫びたい心境なのだ。
子どもの頃の記憶と感覚が蘇ってくる。いい子だなんて言われたくない。とつぜん悪い子に変身したくなって、駄々をこねて泣き叫ぶ。自分でもよく分からないが急にそうしたくなる。まわりの大人たちは大いに面食らう。けれども、子どもをそうさせる何かが、小さな体の中には起きている。子どもの言葉が、それを説明できないだけなのだろう。きっと言葉が追いつかない未知の感情が昂ぶっているのだ。

大人になった私は、言葉をたくさん憶えた。だが、私はときどき自分のもっている言葉の外に放り出される。というか、自分を言葉で説明するのが嫌になる。自分で説明できない自分になりたくなる。体につけているものを、自分が着ているものを、きちんと言葉で認識しながら生きている、そんな大人の生き方にうんざりする。
裸になりたいのだ。着ているものを一枚ずつ脱ぎ捨てて、最後に裸になる。だが、裸になるということは簡単なことではない。玉葱のように脱ぎ捨てたあとには何も残らないかもしれない。

泣き叫んだあとに、何もない自分が立っているかもしれない。それもさみしいことだ。あるいは何も変わらない自分が立っている。それもがっかりだ。
本当はほんの少しでも、新しくなった自分がそこにいて欲しいのだ。何もなかったら、それを形容する言葉も見つからないだろう。その結果、私はまた新しい言葉を探さなければならないことになる。それもまた、いいかもしれないし、それが望むところかもしれない。だが、なかなかそこへもたどり着けそうにない。
古くなった言葉の殻を脱ぎ捨てて裸になる。そこから、知らないもうひとりの自分が生まれてくる、そんなことを期待する。




ブログの移転先に「はてなブログ」を選びました。

しばらくは試行中ですが、引き続きよろしくお願いします。


はてなブログ『風の記憶』

 

 


光る言葉を追いながら

2025年05月26日 | 「2025 風のファミリー」



東京の夜空に文字が光り、点滅しながら流れていた。その光景をはじめて見たのはいつだっただろうか。
まだ都会の生活に慣れていなかった私には、言葉が空から降ってくるような感動があった。その電光掲示板は何かのニュースを伝えていたのだろうが、私はただ、光となって静かに流れている不思議な文字に見とれていた。
そして、電光掲示板の文字のように、あれから長い歳月が流れていった。私はいま、液晶画面の光る文字を追いつづけている。日々、小さな感動を味わいながら、パソコンで言葉を綴ることができるのは、はじめて見た電光掲示板の光る文字の感動を、知らないうちに追体験しているのかもしれない。

長いあいだ、パソコンを使って仕事をしてきた。
当初はフォントも少なく、日本語の変換も容易ではなかった。パソコンで言葉を操作することは、とてもしんどい作業だった。モニターに写る言葉や図形が、どうしてもこちらの意図とずれてしまう。つねに苛立ちや不安があった。
パソコンで使えるフォントの数や種類も十分ではなく、描画ソフトを駆使しながら苦労して手作りすることもあった。文字をバラしたり繋いだりする作業は面倒ではあったが、あらためて文字の形を見直すことがあったりして、私にとっては驚きや喜びでもあった。その過程で、文字(言葉)というものがより身近なものになったといえる。

その後、パソコンもずいぶん普及して使いやすくなった。そんなことまでやってくれるのかと驚くほどの進化だ。
そして今では、すっかりその優しさに甘えてしまっている。いちいち辞書を引かなくても言葉はでてくる。ややこしい筆順も読み方もスルーできる。だが、うっかりしていると誤変換で裏切られるおそれはある。その緊張感でかえって、言葉と真剣に向き合うことになっているかもしれない。

さまざまに形や色を変えながら、光の文字は躍動する。
パソコンやスマホで言葉を伝えていると、言葉が光に近くなったように感じる。長年ネットと関わってきながら、さほど速さを求めていたわけでもないが、物事を伝達するスピードは格段に速くなった。
最近は、もっぱらネット上のブログに雑文や詩をアップすることを続けているが、私の場合、キーボードで文字を打つ時間のほうが長い。そして出来上がった言葉の塊をネット上に放り出すのは一瞬だ。ただその時に、無明の中で私の発した言葉が輝いてくれればいい。そんな光の幻想をいつも抱いてしまう。

そのときの言葉とは、光なのだろうか。
それとも、光と影の中間に立っている木のようなものなのだろうか。光がなければ影もない。木はたんなる一本の木にすぎない。
やはり言葉にも光が当たってこそ、その存在が輝くのだろう。自分の発した言葉が、なんの反応もなく消えてしまうのは虚しい。
いつのまにか、光る文字や言葉を追いながら、その流れる中にどっぷりと浸ってしまっている。気がつけば、時間や歳月の流れも光のように速かった。

 


ブログの移転先に「はてなブログ」を選びました。

しばらくは試行中ですが、引き続きよろしくお願いします。


はてなブログ『風の記憶』