連日あつい真夏日が続いているが、百日紅の花も負けずに燃えるように咲いている。
あちこちで白い花や黄色い花、小さな花や大きな花など、名前もわからないが、それぞれの花が、それぞれの花の時季を迎えて咲いているようだ。こんなただ暑いばかりの夏も、花の季節なのだろうか。
炎天下で咲き誇っている、真夏の花の強さを感じる。
キハナ(季華)という名の女の子の孫がいる。いつのまにか、女の子とも言えないほど成長してしまったけれど。
その命名には、ぼくも関わりがある。四季折々に咲いている花のようにあってほしい、という思いを込めた名前だった。
彼女が、花のように育っているかどうかは、まだわからない。いつのまにか高校生になったと思ったら、もうすぐ卒業しようとしている。
何かをたずねると、「わからへん(わからない)」という答えがかえってくる。それが口癖になっているのかもしれない。
本当にわからないのかわかっているのか、よくわからない。「わからへん」と言いながら、何事もすいすいとこなしているようにもみえる。
脳天気ともいえるが、善意に解釈すれば、いつも自分でわかっていることよりも、さらに先の未知の部分をみつめているのかもしれない、ともいえる。未知のことは、誰でもわからへん(わからない)ものなのだ。
この夏には、通っている高校の学園祭があり、招待券をもらったので参観に行った。
クラスで創作劇をすることになり、彼女は尻込みしたが、皆んなに背中を押されて出ることになったと聞いた。
劇が始まってみると、彼女はなんと劇中のヒロイン役だった。
演技はいまいちだったが、現代っ子らしい激しい動きのダンスや、さまざまな場面転換の雰囲気を、それなりに楽しんでこなしているようにみえた。
いつからか、大学は東京に出たいというのが彼女の夢になった。
家庭の経済のことも考えて、寮のある国立の某女子大がターゲットになった。
かなり手ごわい大学だが、推薦入学の一次審査を通り、先日は東京の大学まで二次の面接試験を受けに行った。
あいかわらず、どこまでわかっているのかわかっていないのか、試験が楽しみだと言いながら、るんるん気分で出かけていったようだ。
だが面接試験が終わると、とたんにどん底に落ち込んでしまった。
まさか面接官の質問に「わからへん」とは答えなかったと思うが、面接官に椅子をすすめられる前に、さっさと自分から座ってしまったし、終わったあとも、お礼の挨拶もしなかったような気がするという。前もって高校で指導された、面接の基本的なことをミスしてしまった。だからもう駄目だという。
本人は緊張することもなかったというが、あがっていることもわからへんほど、舞い上がっていたのかもしれない。
それから3週間、彼女の暗い日々がつづいた。
合格発表は大学のホームページにアップされると聞いていたので、指定された日のその時間を待ってアクセスしてみた。
そこには彼女の受験番号があった。なんども確かめた。
まるで受験生本人のように動悸がした。さっそく彼女に電話をすると、ほんまに?ほんまに?と、信じられないといった声。
パソコンがなぜか繋がらなくて焦っていたという。パソコンが悪かったのか彼女の操作が悪かったのか、そのことはたぶん、彼女にも「わかれへん」かっただろう。
かくて、彼女の新しい進路も決まった。
いまは喜びが大きすぎて、どう喜んでいいのかわからずに戸惑っているようだ。
東京での生活は、ほんとの「わかれへん」ものが、もっとたくさん待っているだろう。そこでも「わかれへん」という呪文で、なんとか乗り切っていくのだろうか。
大都会でも、東京は大阪よりも緑地が多いように思う。いま頃はたぶん、色々な花も咲いているだろう。
学生だった頃のぼくは、東京で花に目をとめたことがあっただろうか。というよりも、花や花の名前などほとんど関心がなかった。だが年々歳々花相似たり、いつのまにか色々な花の名前もおぼえた。
それでもまだまだ、名前のわかれへん花は、たくさんある。