風の記憶

≪記憶の葉っぱをそよがせる、風の言葉を見つけたい……小さな試みのブログです≫

もうひとつの川があった

2015年07月27日 | 「詩集2015」

目をつぶると、ひと筋の川が流れている……
という書き出しで、回想録を書いたことがある。
ひとつの川のある風景は、ぼくの記憶の原風景でもある。

「目をつぶると、ひと筋の川が流れている。夢の中でも夢の外でも、その流れはいつも変わらない。
私はときどき、魚になっている夢をみた。
川の水を、空気のように吸い込みながら泳いでいる。ひんやりとした水苔の匂いが胸いっぱいに満ちてくる。体が流れているような、漂っているような浮遊感が快かった。
梅雨の田植え期と秋の稲刈りの時期になると、学校は農繁休暇というのがあった。農家の子供が多かったから、農作業の手伝いをさせるために、学校は数日間休みとなった。家が商家の私は、この休暇はすることがないので思いきり遊べるのだった。
梅雨の頃はちょうど魚が産卵をする季節で、動きが活発になる魚を追って、私は終日川にいて釣り竿を振りまわしていた。魚は鮮やかな婚姻色に色づいていて、私の手の平は釣り上げた魚の白い精液や小粒の卵にまみれていく。雨あがりの湿った大気と増水した川のしぶきが融け合ったなかで、まるで魚と同じ匂いと空気を吸っているようだった。」

その頃のぼくは、容易に魚にもなれたかもしれない。
後年、それぞれの魚の顔を思い浮かべ、それぞれの魚の特性と釣り方を記録しておきたいと思ったのも、その頃の川も魚たちも、ぼくの生活のだいじな一部だったからだろう。記憶のなかの魚たちのすべてを、ぼくはもういちど記憶の川で追いかけたのだった。

「私の一日の釣りは、ときわ橋の下の瀬で終わるのが常だった。
ときわ橋は大きな滑らかな岩盤でできた地形で、川の流れはそこに集められて大きな瀬となって落ち込んでいた。この落ち込みには魚が集まっていた。
足もとの岩盤にはいく筋かの細い排水路ができていた。崖上の民家から台所排水が流れ出していたのだが、多くなったり途切れたりして、滑らかな岩の肌に縞模様を描いていた。そして日暮れ近くなると、岩盤を侵してくる排水が増えるのを見て、私は急かされるように、その日の釣りを切り上げる決心をするのだった。
そのような単調な日々を、いくど繰り返したことだろう。そして、いつか終わりのときがあったのだが、少年の歓喜を彩ってくれたさまざまな魚たちは、今でもときおり、私の夢の中まで泳ぎ出してくることがある。」

川は、夢ほどに遠くなった。
夢の中から泳ぎでてきた、一ぴきの美しい魚を釣り上げてみる。
雨の日は、雨の匂いがしている。










オニヤンマの夏がやってきた

2015年07月20日 | 「詩集2015」

夏の朝だ。
いつもの、いつかの夏の朝だ。
ことし初めての朝顔の花が咲いた。また騒がしいクマゼミが鳴きはじめた。澄みきった青い空、ふんわりした白い雲。
いつもの、いつかの夏が始まった。
だが、そう思うのは勝手な思い込みかもしれない。

けさ花開いた朝顔の花は、初めての夏の朝の光を知ったのだ。今朝のセミはやっと地上に這い出して、初めての夏の朝の風を知ったのだ。
花は細い蔓のさきに、初めて自分の色を浮かべ、虫は初めて自分の声を発したのだ。
古い古いぼくのような人間にとっては、繰り返されたお馴染みの夏で、暑い暑いとぼやいてばかりいるが、自然界にあるほとんどのものたちは、新しい初めての夏を迎えているのだろう。

朝の公園で、いつものようにいい加減な瞑想をしていると、視界をさかんに横切っていくものがある。
まるでぼくの雑念を切り裂くように、夏草の上をすれすれに行ったり来たりする。よく見ると大きなトンボのオニヤンマだ。
去年の夏もそうだった。同じところで同じようにオニヤンマが徘徊していた。まさか去年のオニヤンマがまた戻ってきたとも思えないが、この光景はそっくり同じだ。この行動の記憶を、彼はどうやって受け継いでいるのだろうか。それとも単なる虫の習性なのだろうか。

オニヤンマは、凶悪なスズメバチでも捕らえて食べてしまうらしい。だが、まっすぐに飛んでくるその先に、ひょいと竹竿を差し出しただけでも、ぶつかって落下してしまう脆さもある。そんな古い夏の記憶が、罪悪感をともなって蘇る。
繰り返される古いことと新しいことが交錯する、夏の朝。
オニヤンマが切り裂いた朝の光の中に、ぼくもまたなにか新しいことが見いだせるだろうか。できれば新しい風を吸いこんで、風景の記憶を新しく塗り替えたいものだ。














雨が降りつづいている

2015年07月09日 | 「詩集2015」

もう止まないかもしれない
そんな雨が降りつづいている
街も道路も車も人も
みんな水浸しになっている
ほんとに誰かが
大きなバケツの水をぶちまけたのだろうか
梅雨の終わりの最後には
雨の神さまがバケツを空っぽにして騒ぐんや
そう言ってた祖母はいまや雨よりも高いところにいて
ぶちまけた水で溺れそうになった父も
すでに雨の向こうへ行ってしまった

裏には山があり前には川がある
年老いた母はひとりぼっちで泣いているかもしれない
家財道具を2度も川にさらわれた
タンスやフスマが流されてゆくのを呆然と見ていた父が
海釣りの竿が浮いているのを見つけて
慌ててどろ水のなかに飛び込んだ
がらんどうになった家の中に残ったのは
壊れた冷蔵庫と釣竿だけ
あれから父は
黒鯛をなんびき釣っただろう

生き残った人間だけが水浸しになっている
もう魚になって生き延びるしかないかもしれない
山が崩れ家が埋まり橋が壊れる
雨戸を閉じて母は川の音を聞いている
山の音を聞いている たぶん
誰も帰ってこないと嘆いている たぶん
雨が降っても降らなくても嘆いている たぶん
電話の呼び出し音が鳴っている
痛い痛いと腰を曲げたまま母は立ち上がる たぶん
急に起きたので貧血でぼんやりしている たぶん
黒い受話器まであと数歩 たぶん
それともすでに
母も雨の向こうまで行ってしまったか
電話の呼び出し音はつづいている
雨も降りつづいている