風の記憶

≪記憶の葉っぱをそよがせる、風の言葉を見つけたい……小さな試みのブログです≫

新しい朝は新しい匂いがする

2015年11月27日 | 「詩集2015」

新聞


僕たちは退屈なので
仲間が集まると新聞をよむ
四角くて大きな新聞紙のまわりを
楽しいゲームをするようにとりかこむ
それは本当に新聞だろうか
誰かがそれは新聞だと言った
だからそれは新聞なのだ

新聞の文字は小さくてかたい
まいにち新しいフォントが作られるから
知らない言葉や記号がたくさんある
新しい国が生まれ
新しい街の名前が作られ
新しい顔写真と古い顔写真がさしかえられ
僕たちは混乱する

水たまりのように
暗いニュースを跳び越える
きっと水たまりの中には死体がある
たくさんあるのを戦争という
数えられるのを殺人という
誰かがそういって解説するので
水たまりはどんどん増える

この新聞は古いと誰かが言う
古くても新しくても同じだと誰かが言う
変わるのは日付だけだと誰かが言う
日付はいちばん新しい
新しいけれど退屈だ
僕たちはもう遊ぶのも退屈だけど
鳥みたいに空も飛べないから
新聞紙を紙ヒコーキにして
公民館の屋上にあがる

風はくまなく街の屋根に吹いている
屋根はまだ目覚めない
瓦の下には死体もないとおもう
誰かがひそかに隠しているとしても
そのていどなら戦争ではない
新しい朝のニュースをのせて
紙ヒコーキは平和な屋根を滑空する
新しい朝は新しい匂いがする

















村の話をしよう

2015年11月19日 | 「詩集2015」

大阪府には、村がひとつだけある。千早赤阪村である。
「一冊の絵本のような村」というのが、村のキャッチフレーズである。
絵本の古いページを開くと、鎌倉幕府から「悪党」と呼ばれた楠正成が現れる。今から700年ほども遡らなければならない。後醍醐天皇の倒幕計画に加担、後醍醐天皇が隠岐島に流罪となってからも、河内国の千早城に籠城して、独特のゲリラ戦法で幕府の大軍と戦った。大阪府内で一番高い山とされる金剛山の山懐に、いまも古い城跡が残っている。
村にコンビニはない。

大阪市内にも、村がひとつだけある。アメリカ村である。
大阪ミナミの繁華街である心斎橋のすぐ近くに、この村はある。村ではあるが、いつも若者たちが集まって賑わっている。若者たちの村ともいえる。
村の始まりは、アメリカ西海岸やハワイなどから輸入した衣服類が販売されていたことで、アメリカ村と呼ばれるようになったらしい。
その一角で、大阪W選挙の演説が行われていた。
「若者よ、戦場へ行こう!」ではなく、「書を捨てよ、町へ出よう!」でもない。若い候補者が若者たちに訴えていたのは、ただひとつ「若者よ、選挙へ行こう!」だった。
いま大阪で最も新しいニュースが、この村にあった。



”大阪アメリカ村RIBIAから”













秋は酸っぱい香りがする

2015年11月18日 | 「詩集2015」

九州の妹から、カボスが送られてきた。
今年は豊作だったとかで、あおくて懐かしい形をした柑橘が、大きな段ボール箱にいっぱい入っていた。

カボスといえば大分が産地だが、なかでも臼杵と竹田で多く栽培されているようだ。臼杵には樹齢200年ともいわれるカボスの古木もあるが、臼杵は海に面した土地なのでミカンのほうが多く、カボスもミカンに近くて酸味が少ないような気がする。潮風のせいもあるかもしれない。
それに比べて山間地の竹田のカボスは、酸味が強くて香りも勝っているようだ。この酸味が、子どもの頃はあまり好きではなかったが、年とともに記憶の味というものは熟成されていくものらしく、いつしか馴染みの味に落ち着いていくのだった。

秋の味覚といえば、サンマの塩焼きには欠かせないし、寒い日の鍋物もカボスがないと始まらない。そのうちカボス中毒みたいになって、味噌汁から漬物まで何にでも掛けないと間が抜けた感じになってしまう。ぼくは舐める程度にしか呑めないが、二階堂の麦焼酎にもカボスの相性はいい。
ほろ酔い気分になったところで、古い詩のことを思い出した。10年ほども以前に書いた詩だが、どこかでカボスの酸味と繋がっていたのかもしれない。

*

  わらべうた<ぶんご編>

I

ねんむれ ねんむれ 猫ん子
うっつけ うっつけ 兎ん子

猫ん原の 猫ばらみ
夜が更けたら夜這いじゃ 婚(よばい)
穴森様の岩穴ん中
草履持ちが待っちょるき
うちん恋しい人な婿孕み(むこばらみ)
うなぎを捕りよっち川流れ あらま


II

ねんむれ ねんむれ 猫ん子
うっつけ うっつけ 兎ん子

猫ん原の 猫ばらみ
子取り婆さん(産婆)な慣れた手つき
足なか草履をうらがえし
赤子ん臍の緒を竹へごでちょん切る
ミツメ(三日)に名付け 戌の日の悪戯始め
百日たったらモモカ(食い初め)の祝い


III

ねんむれ ねんむれ 猫ん子
うっつけ うっつけ 兎ん子

猫ん原の 猫ばらみ
キチボジン(鬼子母神)で乳もらい
夜泣き、癇(かん)の虫にゃあネギノ様
よだれ(涎)くりにゃあアマリジャコ(カマキリの卵)
ねしょんべんにゃあネズミん黒焼き
それでん駄目なら竹藪にほたりこむ あらま

*****

参考文献=大分県『竹田市史』(民俗編)。
穴森様=同市の嫗岳地区にある池社のこと。『平家物語』にも登場する古い社。
キチボジン=同市内の円福寺境内にある鬼子母神。
ネギノ様=同市の菅生地区にある禰疑野(ねぎの)神社。『日本書紀』の景行天皇記に記述あり。













コスモスの風が吹いている

2015年11月05日 | 「詩集2015」

林を抜けると、とつぜん新しい世界が眩いばかりに出現した。
そこは、コスモスの花ざかりだった。
かつて出会ったものやいま目の前にあるもの、さまざまな季節の記憶がゆるやかに揺らいでいる。どこから来てどこへ行くのか、賑わいと静けさの風が通りすぎていく田舎の、無人駅のような花の駅である。
風が吹くと花の旅立ちがはじまる。どこかにもっと、すてきな世界があるのだろうか。夢想しながら、コスモスの風に運ばれていく。


*

  コスモス

ネットオークションで
小さな駅を買った
小さな駅には
小さな電車しか停まらなかった

小さな電車には
家族がいっしょに乗ることができない
いつのまにか一人ずつ
手を振りながら家を出ていった

せっせと駅のまわりに
コスモスを植える
秋になると満開になって
小さな駅は見えなくなった

風が吹くと
コスモスの花がくるくる回る
耳をすますと遠くで
かすかに電車の音がしている

           (2011)