風の記憶

≪記憶の葉っぱをそよがせる、風の言葉を見つけたい……小さな試みのブログです≫

はらをきるハラキリ腹を切った

2021年12月29日 | 「新エッセイ集2021」

 

オシッコが出えへんでも 心配せんかてええよ 管通したるよって 夜勤のナースのやさしい声 ええっええっ やさしいけれど怖いやんか それって詰まってるところ管通す ってことちゃうの そこって出口専用なのに 逆走するなんて道理に反する 腹は切っても さらに痛いのはご免こうむる 武士は食わねどなんとか そこは弱気の虫がオシッコちびる場面 とはいかず 食うも食わぬも ムスコはだんまり しゃあない奮い立つしかおへん ベッド脇の尿瓶を引き寄せて 寝ぼけたムスコを差し入れる なんかわびしい いったい何をしているんやら 腹の傷も痛いがオシッコも出したい なんと哀れな姿ではおます でも管を入れられるよりはええか 真夜中にひとり悩んでいると ムスコもよほどの哀れさに耐えきれず ふと一滴の涙をこぼす そして一滴はやがて数滴に それが希望の涙となって 水もれの如くちょろちょろと あとは出るは出るは溢れる涙 ムスコよ自力で貫通よくやった ふたたび見回りに現れたナースに オシッコ出たっと勝鬨の声発す まだ生温い尿瓶は 恥ずかし彼女の手にとられ また呼んでねと言われたが その言葉この場では 職務上の言葉だとは 思うけど思えず どんな言葉もやさしくて ついつい甘えてその夜は 溢れる涙の壺を4回も 白衣の天使に運ばせた

 


ひかりの旅

 

 

 

 

 


あしたはあしたの風が吹く

2021年12月19日 | 「新エッセイ集2021」

 

手術のため、1週間入院した。
重篤な病気の治療でもなかつたので、その間の状況はスマホで細かく記録した。
書くことが出来たことは、それだけでも、入院生活が充実したものになった。
これまで書くことは、パソコンが主体であったが、改めてスマホで記録することをしてみると、スマホはつねに身近にあって、何時でも手に取ることができるし、寝転がってても起きてても使え、交信もタイムリーにでき、スケッチするように写真撮影も即座にできて、むしろパソコンよりも便利であることがわかった。
これからは、生活を記録するパターンが変わり、それによって生活も、大きく変わりそうな予感がする。
あしたは明日の風が吹く。
どんな風が吹いてくるかは分からないが、これまで馴れあいになっていた日常生活に、新しい風が吹いてくるのを、いまは待ちたい。

 

光の言葉をもとめて

 

 


その森にはボクの木がある

2021年12月01日 | 「新エッセイ集2021」

 

勝手に名付けたボクの木が ボクを呼んでいる いやボクが木を呼んでいる 落葉を踏んで森を抜ける 待っているのはケヤキの木 枝も葉も空へと伸びて 森の闇をひらいていく ボクはただ見上げるだけ ボクの木はいつも静かに きょうの始まりに立っている その先には流れる雲があり 変わらぬ青空がある カラスの黒い羽がよぎり シラサギの白い翼が舞う 大きな白い羽は 1枚の大きな紙となって きょうのカレンダーは新しい 開いたり閉じたりの 12枚の最後の1枚で 1から31までの数字が 過ぎていく日々の 速さと重みを伝えてくる 昨日があり1年があり やるべきことは残されて 今日があり明日がある 昼の現実があり夜の夢もある どっちの道を行けばいいか 起きてても寝てても 迷いはある 見なれた細い川が流れていて 縁に沿って歩いていると いつも道は途切れてしまう 同じような夢の道を 迷いながら歩きつづける 目覚めて歩き始めると ボクの木が呼んでいる 木は池を眺めながら瞑想をしている 池の水面には さまざまな想いが浮かんでいる 迷想といった方がいいかもしれない 風のない静かな朝は 水面も鏡のようで 水に写った空の高みが そのまま池の深さのようにみえる その天空と水底の深みを ボクの木の葉の舟が ゆうべの夢の残滓のように漂っている ボクの木は大きいが 葉っぱは小さい ケヤキの葉はすっかり散って 空をあらわにしてきた 細かく分かれた細い枝先が まるで空の葉脈になって その先を白い雲がかすめていく たゆたう雲を 木の枝先は触れようとする 空の大きな動きの中で ボクの木も運ばれている 木の体はどこにあるのか きのうまでは空にあって きょうは水の上にあるのか あさの水面では 葉っぱの舟が行先を探している とつぜんシラサギが 空を目指して飛び立つ 細い体を一直線にして 長い脚をきちんと後ろに揃えて たしかな指針を その先に伸ばしていく 水面は静かだが空は動いている ケヤキであるボクの木の 木の葉の舟は ただ水の上で動けずに シラサギの風を欲しがっている

 

 

 

 


ひとさし指がしめす先には

2021年11月23日 | 「新エッセイ集2021」




誰かに何かを指し示す ほらあれだよとか あそこにあるものとか あっちへ行けばとか あのようにしたらとか あるいは観念として 自分自身の指針を確かめるとか いつからか そのようなことは少なくなったが ひとさし指で何かをさし示す その自分の指の形に ふと父の指先を見ることがある 自分の手に父の手を見たり 咳払いをするときも 父の咳払いを感じることがある 父の咳払いは勢いがあったし 父の手は大きかった 父は背も高く 僕よりも1センチ高かった 体形は痩身であったが 華奢ではなく 骨太でしっかりしていて 背筋もしゃんと伸びていた 足も大きくて 父の靴はいつも 僕の靴を威圧していた 子供の頃は 父の大きな声が怖かった 僕を呼ぶ父の声が 今でもときおり聞こえてきて 僕は思わず緊張してしまう とっくに この世には居ない父の 声をもう聞くことはないのだが 記憶の中で 父の叫び声は続いている 泣いてはいかん 好き嫌いを言うな 言いわけをするな もっと早くしろ おりおりにさまざまに 父の声が 背中から追いかけてきて つい足早になる 18歳で父の元から離れたが その後もずっと 父の声はどこからか どこまでも追ってきた そんな父は86歳で死んだが その死に方も潔かった 前夜ヒゲを剃って床についたが そのまま朝は来なかった 死に方においても 生き方においても 父を凌駕することは難しそう 父は80歳で店の看板を下ろした 僕は60歳で力尽きた 金を稼ぐことにおいても 父に負けた この20年のハンデを どう克服するか いくら考えても 泣き言しか出てこない すると即座に 泣いてはいかん 父の声が聞こえてくる この泣き虫をどう退治するか あるいは折り合いをつけるか そんなことを考えていると 父のひとさし指が見えてくる 何かを指さすとき はっとして自分のひとさし指に 視線が止まってしまう それは 僕のひとさし指であるが 父のひとさし指でもある と見えてしまう その指の先にあるもの それは 僕が示しているものなのか 父が示しているものなのか ほんの瞬間ではあるが 錯覚してしまう指があり しばし指の先が霧にかすみ 指の先が迷っている


父の帽子




冬の風は歌を知らなかった

2021年11月15日 | 「新エッセイ集2021」

 

風が吹いている 雲が重そうに流れている 鳥も吹かれて飛んでいく 枯葉がはしる音がする マスクを外すと 冬の匂いがする なにかを運んでくるのは 何か 重そうだが軽いもの 土俵の櫓だけが残っていた 小学校の校庭の端っこの 土手の枯草にすわって 日向ぼっこをしていた頃 晴れたり曇ったりの 雲のいたずら 太陽を隠してやろうか すこしだけ出してやろうかとか 冬の日差しはそんなもので わずかな温もりを かじかんだ手で取り合っていた 喧嘩でもなく遊びでもなく ドウクリなんて言ったかな 漢字で書けば胴繰りかな 子犬のようにじゃれ合ったり 木造校舎の 吹きっさらしの廊下の 教室の古いオルガンは 板の重いペダルを踏んでも 音が出たり出なかったり 風は歌を知らないのか それとも風そのものが歌なのか やたら廊下を走り回っていたのは 風だったか風の子だったか 銀杏の葉っぱを輝かし 銀杏の葉っぱをさんざん散らし 少年老い易く学成り難し パン屋のマエダくんも 材木屋のヒロ坊も 心に太陽をもったまま みんな何処かへ行ってしまった 霜柱の道はもう無いけれど タロウもジョンも居ないけれど いつかの朝は いつもやって来る そしてときどきは マエダくんもヒロ坊もやって来る 少年のままの野球帽をかぶって 寒そうに襟を立てて 風に吹かれながら そのまま風と共に去りぬ なんだかなあ 今朝の風は干し柿の あのワラの匂いもするなあ 深くて大きな米櫃の底に おばあちゃんの内緒の熟柿が とろりと甘くて冷やっこくて あの家の北側の棚に ぽつんと残されていた 土人形の冷たい記憶なんか いつから其処にそのまんま 置かれたまんま だったのか いまは誰も知らない