風の記憶

≪記憶の葉っぱをそよがせる、風の言葉を見つけたい……小さな試みのブログです≫

かくれんぼ

2015年04月20日 | 「詩集2015」

むすめはきょう
幼稚園で泣いたらしい

でもどうして泣いたのか
言おうとしない

けど泣いたの

むすめは小さな幼稚園バッグの中を
なんべんもなんべんものぞく
おともだちの泣き虫が
どこかに隠れているかのように

むすめが眠ったあとで
むすめの幼稚園バッグの中を
私もそっとのぞいてみる
バッグの底には
小さくなって
両手で顔をかくしたむすめがいて
もういいかい、と小声で言う

まあだだよ、と応えて
それから
もういいよ、と言って

私も泣いた



   *娘の中に自分をさがしてしまう。小さな自分すら見つけられないひとが…。







吉野の桜

2015年04月09日 | 「詩集2015」

桜が満開の吉野をはじめて訪ねた。
いくどか吉野には行ったことがあるが、桜の季節に訪ねたのは今回がはじめてだ。中千本、奥千本などと千本単位で数えられる吉野の桜、その桜に負けないほどの人出の多さを思うと、ついついこの時期の吉野は敬遠してしまうのだった。
やっと桜の吉野、満開の吉野の桜を見ることができた。
快晴ではないが薄雲を透かした軟らかい陽射しをうけて、山を覆うように一面の桜色が浮かび上がり、山そのものが桜になってしまったようだった。

近くの桜、遠くの桜を眺めながら山上の道を歩く。
中空にただよう桜のほのかな薫りに誘われて、しばし日常を離れた夢幻の道を歩いているような錯覚をする。花とともにある、華やかだが短くて儚くもある、そんな吉野の一日があった。
吉野にいて吉野の桜を見ていると、かりそめという言葉が浮かんでくる。

   ここにても雲井の桜さきにけり
        ただかりそめの宿を思へと

吉野の行宮(あんぐう)は、かりそめの住まいと思っていた後醍醐天皇。京を脱出して吉野に朝廷(南朝)を興すが、京の北朝との戦いは次第に劣勢になっていく。かりそめの宿・吉野での、悲嘆のなかの最期の3年間だった。

西の海に平家を滅ぼした、義経の栄光も短かった。頼朝の追手を逃れて冬の吉野に身を隠した義経にとっても、吉野はかりそめの宿にすぎなかった。いっときの平安もなくわずかな手勢のみで山を下りたが、そのあと長い苦難の逃避行が始まる。

日本の心が、そのままここに、生きている――
修験道の総本山とされる金峰山寺(きんぷせんじ)の紹介キャッチコピーだ。
蔵王堂の特別開帳中の秘仏・金剛蔵王大権現を拝観する。1300年余の昔、修験道を始めた役行者が、厳しい修行の末に祈り出されたのが金剛蔵王権現だという。
権現とは仮に現れるという意味があり、仏が仮に神の形をして現れたことを示すらしい。
青い顔をした忿怒相の蔵王権現の巨大な像は、世間虚仮(せけんこけ)かりそめのこの世の欲に堕落する、われわれ俗人の煩惱を一喝するほどの威厳があった。

吉野の桜の開花は、低地から高地へと山を少しずつ登っていくように進む。いま下千本や中千本の桜は満開だが、吉野奥千本の桜はまだ蕾らしい。
奥千本のさらに奥に、吉野の桜を愛したという西行の小さな庵があるが、今回はそこまでは行かなかった。
この小さな庵での西行の隠棲は3年ほどだった。西行にとっても吉野はかりそめの宿だったのかもしれない。

   吉野山こずゑの花を見し日より
        心は身にもそはずなりにき

桜の花が咲いているのは、わずかに数日にすぎない。一瞬ともいえる。その一瞬の花の姿が、かりそめの歌の旅人の心をとらえて身にもそわず落ち着かなくしてしまった。
そんな桜の花のあやしい華やぎと静かなざわめきが、吉野を後にしたいまも残像として、ぼくの心のなかに明かりを残している。


吉野の桜




さみしい桜

2015年04月03日 | 「詩集2015」

ことしも
その桜は咲いているだろう
スギ花粉の舞う山ふかく
退屈すぎる美しさで
たぶん

風は吹いているだろう
雲も流れているだろう

乾杯もなく
贈ることばもなく
記念撮影もない
古い古い木の椅子に腰かけている
桜はそうして
ふたたび賑わいを求めて
百年の山へ帰る