風の記憶

≪記憶の葉っぱをそよがせる、風の言葉を見つけたい……小さな試みのブログです≫

月天心貧しき町を通りけり

2021年09月25日 | 「新エッセイ集2021」

 

先日は中秋の名月だとかで フォローしているブログの多くに きれいな満月の写真がいっぱい載っていたので そうなんや とばかり夜空を見上げたら ほんまや まん丸で綺麗な月がぽつんと輝いており 月はどこで見ても同じなんや みんな同じ月を見てるんやと 久しぶりにしみじみと眺めるうち そうそう写真を撮らねばと思いたったが なんせ月は近いようで遠いようで ケータイではなかなかピントも合わず 埃だらけの三脚を出すのも億劫で 物干し竿を支えにしてシャッター押すも 画像はくずれた目玉焼きのような名月 いや迷月になってしまい 気まぐれ雲もまだらにボケて すこし怪しげな月スナップになったかも 取り敢えずはこんなものかと こんやの月見を終わりにしようとしたら 月天心貧しき町を通りけり 柄にもなく蕪村の句が思い浮かんできて そういえば子どもの頃のわが町も 貧しき町だったかなあと しみじみ 街灯もない暗い夜道を歩いていると 月がどこまでもついてきて 小さな影を追いかけてくる あれは怖くて淋しい謎なぞだったが 大人になってからは もっと賑やかで豊かな街に住みたいと 明るくて便利な今のところに なんとか住みついているわけだが いつのまにか 近所のスーパーは無くなり ときどきピザを食べに寄った ファミリーレストランも無くなり 大型家電店やおしゃれの店も閉まって ショップ街は テナント募集の貼り紙だらけ 通りは歯抜けのように寂れてしまい 昼間は老人ばかりが目立つ街となり 自分もそのうちの一人なのだが この街までが ますます貧しき町になりつつある中で 昔と変わらぬ綺麗な月を見たせいで 月ロケットで貧しき街から町へ タイムスリップしてしまったか 月見れば千々にものこそ悲しけれ 懐かしかったり心細かったり 美しいものは人の心を惑わすものかと もういちどベランダに出て 月みる月はこの月の月 いつのまにか惑わす雲もなくなって 孤高の月はただ静かに光を放つばかり まさに与謝蕪村の月天心となりにけり 後年の蕪村が落ち着いた京都は 桃源の路次の細さよ冬ごもり そんな路地のある町てどないやったろ たしか祇園も近くにあったりして 芸妓・小糸に熱い想いを寄せてはみたが 老いが恋わすれんとすれば時雨かな すでに64歳の老俳人の想い叶わず ただ色街の塀の外をとぼとぼと さ迷うばかりの時雨かな ああ侘しきかな侘しきかな 月天心はあれども わが街に路地などはなく せめて露店でもあったらなあと 露頭に迷うほど貧しうもなく 路地のある町に住みとうなって どこまでも執拗についてくる 月のウサギとかくれんぼ ときには路地に隠れてみたり こっそり路地を通り抜けたり 貧しき街の貧しき影が 月夜の晩にひとりごちけり






見知らぬ街を歩いていると

2021年09月20日 | 「新エッセイ集2021」

 

夢の中でしばしば 屋根や塀の上を歩いていたりするが これって猫にでもなってるんかなあ 昔の人なら 前世はきっと猫だったよと言いそうだが 周りは見知らない街や人ばかりで とりあえず駅までの道順を尋ねたりするところは まるっきりの猫でもないらしく 猫が迷子になったりもしないだろうから いやいや 猫以下になってるのかもしれないが それにしても なんでこんな夢を見たりするんだろうか 見知らぬ土地の 初めての街を歩いたりするのって 楽しいことのはずなのに 迷子になって歩き回った感覚は 疲労感ばかりが残ってしまい 目覚めたあともまだ 迷いの感覚が漂っていて その朦朧としたなかで キーボードを叩きながら言葉を探っていると 夢と現実が混濁したり 過去と現在が交錯したりして その混沌としたものを そのまま言葉に変換しようとしたり 浮かんだ言葉を繋げたりしながら そのときどきの記録を 残していく日常生活のなかで 夢にしろ現にしろ 見知らぬ所で迷っていると とても遠くから ときどき声をかけてくれる人がいて その彼は古い友人だが 手紙しか書かない人で インターネットなどには ほとんど無縁な人だから ぼくのブログをみることはなく もっぱら手紙という すこし古い形式で文通をすることはあり ぼくの文章というか 書くものには関心をもってくれていて 近況や心境を知らせるついでに ときどきブログをプリントして送ることがあると それに対して感想らしいものをくれるのを 楽しみにしていたり 励みにしたりしているのだが ごく最近のぼくが書いたものは 句読点がないので読みづらく しばしば内容もあちこち 飛躍するのでついていけない という批判をもらうことが多く とてもまじめに読んでくれる人に 読みづらいものを読ませて申しわけなく 試行錯誤をつづける夢猫の 言葉の遊びに付き合わせたりして ただ謝ることしかできないけれど 夢でも迷い 目覚めても迷ったりしている人間が 迷いながら書いてるものだから とりあえずは許してほしいと 自分としてはまじめに真剣に 言葉の表現に向き合っているつもりでいて パソコンとスマホを グーグルキープで繋げては 家ではキーボードを打ち 外ではスマホを指タッチして 相互で続きを打ったり修整したりしながら 果てしない電波の海を 言葉の舟に乗って遊泳しているというか と言えるほど優雅なものでもないけれど 溺れないように波のまにまに 言葉の櫂を漕いでいると 舟はどこへ向かっているのやら ふたたび迷い路に入ってしまうことも あるのです ではまた






 


古い記憶の断片を拾ってみると

2021年09月14日 | 「新エッセイ集2021」

 

6歳まで大阪で育ったので 幼児期の記憶は大阪にあるが その時期の古い記憶というものは 断片しかなくて それでいて鮮やかに存在していて 何故こま切れの その部分だけが蘇ってくるのか もはやそれは スナップ写真に似たものかもしれなくて 何らかの深い意味が 含まれているとも思えないのに 1枚の写真のようなものが幾枚かあって 1枚目の記憶の写真は 2階に上がる階段の一番上で 父とふたりで黙って座っている もうすぐ妹が生まれるらしかった それだけの静かなシーンが ぽつんとある 祖父に押さえつけられ 灸をすえられて泣き叫んでいる 祖父の家に泊まると 敷布の糊がばりばりに効いていて それが嫌だった 小さなボートに乗っていて 父は魚釣りをしているらしく ぼくはボートの縁で水中を覗いている 船べりに小さな蟹が無数にへばりついている それをじっと見つめている それだけのことで 前後は何もなく 何らの繋がりもない また別の1枚は お釈迦様の小さな像に 小さな柄杓で甘茶を掛けている 幼稚園の行事のようだが 幼稚園の記憶はそれだけしかない 同じ頃に近所にいた ミノルちゃんというハンコ屋の子から 木のハンコをいっぱい貰ったことがある あまりに沢山だったし 親にも内緒だったことが怖くなって こっそり便所に捨てた いつのどんな地震だったのかはわからない 家が壊れると思って 玄関から裸足で表にとび出した そのとき手に持っていた食器から 食べていた炒り豆がパラパラこぼれた パラパラと散乱した感じが忘れられない 向かいの家の人が 戸外にコンロを出して煮物をしていた その煮炊き中の鍋だけを とつぜん知らない人がやってきて さっと持ち去っていくのを ただ黙って見ていた 匂いの記憶もある 父に背負われている その時の父の背中からは パンの匂いがしていた 音の記憶もある 裏の塀に打たれた釘を見ていたら その釘からミーンミーンと音がしてきた あまりに不思議な光景なので これは夢でみたことだったかもしれない どこのどんな家だったか 床一面が黒いインクに浸されていた 地下への階段を下りると そこを川が流れていた キンキチクキンキチク というラジオの音声の その部分だけが耳に残っている 警告するような甲高い音が 記憶の耳に突き刺さっている 家の床下には避難壕のようなものがあり 底に水が溜まっていることがあった 母に手を引っぱられて 長い桟橋を駆けている そのあと船に乗った記憶はない 九州に疎開したときのことらしい 古い家の雨戸の溝に 初めて椎の実を見つけたとき 木の実も帽子をかぶっているんだと思った このときから記憶は 大阪から九州に切り替わる 2階には朝鮮人の家族が生活していた 古い家の窓は板張りで 押し上げて突っかい棒をする 裏は田んぼだった その畦で母と野草取りをしている そのときヨメナとセリの名前を教えられて 今でもヨメナとセリは憶えている 杉の皮がうず高く積んであった 家のそばの土手に いつもぽつんとあった白くて小さな 袋のようなものを 昆虫か鳥の巣だと思っていた それがホタルブクロという 花だと知ったのは 大人になってからだ






 


あしたの朝顔 はないちもんめ

2021年09月10日 | 「新エッセイ集2021」

 

朝顔の花には朝がある 朝顔姫の挨拶はオハヨーだけ もしもし姫よ花さんよ 花はどこからやって来るのか よくもぱあっと突然に 次から次と咲けるもの 日ごとに小さくなってはいるが それでも形は朝顔のまま 空に向かって花びら全開 そのアンテナは何を受信するのか 混線模様で開けないのもあり 閉じた傘のような蕾のままで 大事な朝が終わってしまうのもあり 誰かの一日もそんな朝顔で 天気が気になって咲けなかったり 茂みのなかで閉じこもったまま 大きな葉っぱを押しのけられず この朝はこれっきりの朝なのに 咲けない朝顔が哀れになって すこし手助けしてやろうとしたが 花には花の道理があるようで うまくいかずに気分一新と いつものウォーキングへいざ発進 さくら落葉の遊歩道 黄色い帽子の通学路 黒猫にゃんこの池畔の道の 水面には亀の頭がポカリスエッと よくよく見ると周りでいくつも どれも揃って平べったい 水掻きの四肢をだらんと伸ばして 水には水の心地よさありと 温泉気取りでのんびりと 至福のときを浴しているらし こちらは汗をたらたら浴びながら なんのため歩き続けているのやら もしもし亀よ亀さんよ 花の命はみじかくて 亀は万年どうなってんねん なんでもええねんカメへんねん 夏は涼しく水冷の亀で 冬はぬくぬく惰眠の亀だんねん 熱波で咲くのは朝顔だすねん 四季をてくてく馬鹿だすねん 年中無休で汗かいてまんねん 日々の苦行は石だん百だん 青息吐息で登ってまんねん ときには亀に抜かれてああ脱兎 のろまの亀がなんでやねん あの水掻きの足でどうやって 百段の山を登ったんやら はや百段の頂上で産卵までして 生まれる子亀は百段を どんぐりころころ転がって お池にぽちゃんと目出たく亀に かめへんかめへんと亀は慢心 こちかめ仰天おもわず脱帽 山のあなたの空とおく 花の朝顔アーアーアーと 山の亀やんホーホーホーと 亀もおだてりゃ空まで泳ぐか 無残ざんねん雨さんざん 残心霧消の朝顔は あしたの朝も花いちもんめ


 

 

 


ふと星の数をかぞえてみたら

2021年09月04日 | 「新エッセイ集2021」

 

夏の夜はベランダに出て 夜空を見上げることもしばしば この街では星は たったの三つしか見つからなくて 満天の星なんてすでに死語で 星明かりの下でなんていう ほのかな情緒もなくなった都会は 地上ばかりが明るすぎて 天空の光は消えてしまって 暗い夜空の奥の方で いまも星の時間が流れているとしたら そんな星の過去へと舞い戻って 記憶の中の星を拾い集めてみたくなって いつだったかは言葉の遊びで ガラス玉のように星を集めて ポケットをいっぱいにしたこともあり 夜道を自転車に乗って 友人に会いにいった頃は 星空なんてとんと関心もなく ぼくらは夜の深みに溺れていたのか やはりホントのことは見えていなくて 美しすぎて神秘すぎてなんて 全部うそばっかりだと 友情も壊してしまいそうになって それきり星のことなど忘れてしまっていたが 初めて本物の星空を見たのは 23歳のぼくが初めて登った 1700メートルの夜の山頂で そこにはただ星空だけがあって 他には見えない何かがいっぱいあって いきなり異界のてっぺんに ひとりで放り出されたみたいで ギラギラキンキンの星屑が いまにも天からこぼれ落ちてきそうで 美しいというよりも怖くなって震えていたら そのとき不思議な楽器の響きが聞こえてきて それは足元の小さな草の 葉っぱに付着した氷の皮膜が 風に吹かれて触れあう音のようで まるで虫が鳴いてるみたいな 誰かが細い金属の棒に やさしく触れているみたいな 初めて聞く音の響きに包まれていると 星が一粒一粒の光となって降り注いできた と錯覚した一瞬があって あのときから星は 光になったり音になったりしたが いくつかの山を越えたあとに ふたたび星の光が気になって 漆黒の夜空を彷徨いながら ぶ厚い本の扉を開いてみたら 久しぶりに星の王子さまに会えて 暗い夜の浜辺で 星の砂ばかり集めている 引きこもりの王女さまにも会いたくなり 彼女の好きなリンゴをプレゼントしたり 三つ星ではなく五つ星でもなく 彼女のすてきな白いページには いいねのホシを七つタッチして そこで本を閉じたらこの街には あいも変わらず星は三つしかなく ぼくが書いた星の話はスルーされて いいねのホシも貰えなかったから どうやって星を七つ集めたらよいのか しゃもじの北斗七星の 七ツの星を数えることもできず 頼りの北極星も灯りを失くして 夜の街を徘徊もできず 天の川の流れも定かならず 川をわたって織り姫にも会えず 幸運の流れ星もキャッチできず 七夕さまの子どものように 星にお願いすることもできず オロオロしながらぼやいていたら 寝言は寝て言えといわれてしまって 寝ても覚めてもこの街には 星はやっぱり三つしかなかった