風の記憶

≪記憶の葉っぱをそよがせる、風の言葉を見つけたい……小さな試みのブログです≫

小さな記憶の欠片でも

2022年01月28日 | 「詩エッセイ2022」

 

家の中を片付けている夢を見る いつまでも片付かないので なかなか目覚めることが出来ず つい寝すぎてしまった 明け方の夢には 思いもかけない 状況や行動があったり 会ったこともない人に会って 親しく接したり 平素の自分ではない 別人格の自分がいたり なにかそこには現実の生活 との関連があるのだろうか と考えてみたりするが なかなか思い当たらない それぞれの夢の中では 気がかりになる部分もあって あまり好ましい気がかりではないが そんな精神的な部分が 日常生活と繋がりがあるのか ないのかもしれないし どうでもいいことなのだが この日々の行動を振り返ってみるに かつて撮影したビデオのファイルや DVDに保存したままのもの 古い手帳に書き記したまま それが古い日記だったり ゴミだか貴重だかわからない もろもろの記録の断片が 整理してもしきれないなかで それぞれは小さな欠片ではあるが そこから浮かび上がってくる記憶は 波紋のように広がって すっかり忘れていたことや 曖昧なまま残されていた 種々雑多な事象が 生々しく蘇ってきたりして もはやその場に戻ることや 改めて捉え直すことはできないが 記憶の道を辿るということは 夢の体験に近いかもしれない などと考えることはある いまは古い手帳を繰りながら パソコンにデータ入力しているが 手書きのものをデータ化するのは かなり手間だし時間もかかるので 日記というか日々の記録は スマホで残すことにしている これだと歩きながらでも 公園のベンチや芝生でも いつでもどこでも 気軽に打てるし パソコンと連結しているので 手直しも簡単にできる 日記を手直しするといっても 事実を書き換えるのではなく 言葉や表現の仕方を変えるだけで 記録をより事実に近付ける そのための手間であり 書いたり書き直したりする それが趣味でもあれば 楽しい作業だともいえる 夢の中であれば 誇張も飛躍も冒険も 自由に変換できそうだが そうもいかないことなど 夢も現実も同じかもしれない

カモかもしれない

 

 

 


十字架のような手術台の上で

2022年01月13日 | 「詩エッセイ2022」

 

12月は手術台の上で 右向き横になって できるだけ背中を丸めて 海老になっていると 医師の指が背骨をなぞる 腰椎の凹み部分を なにやら慎重に探っている そこは骨と骨の繋ぎ目 まずは表皮を麻酔するための 軽い注射が打たれた様子 その後ここぞと脊髄麻酔の針 麻酔薬を注入します という合図と 指先に電気が走るように感じたら すぐに知らせてくださいと なにやら危険そうな注射を だが電気が走ることもなく つぎは仰向けにされ 両腕を真横に伸ばして固定され 十字架に貼り付けになった人に あとは処刑もされるがままだ 血圧計だか心電図計だかの コードが腕や胸などにべたべたと 広い手術室のどこかで 心臓の鼓動らしい音が 規則的に共鳴している 冷たいものが医師の手で 腹部や胸部に当てられ 麻酔の効きを確認しようとする それに応じて 感じます感じません と応答していると メッチャ効いてるという 医師の確認の声がなぜか 嬉しそうで滑稽で シートに隔てられて 医師らの様子は見えないが 頭上には大きな照明灯があり 小さな丸い電球が無数に張り付き どれも眩しさはない弱い明かりで その明かりから目をずらせば 照明灯の端っこに 医師の手の動きが映っている ほんの一部なので曖昧だが ハサミやペンのようなものが その手の中で忙しく動いている 様々な器具を要求する医師の声 どんなことがされているのか どのくらい進行しているのか 切開部の感覚はまったくない 照明灯に映る医師の手の わずかな動きから わずかな想像力を働かす ペンのようなものは電気メスか 器具を操作する音に反応して どこかでブーという音がする 肉が焼けるような臭いもする 医師たちの話し声はするが 内容まではわからない たまに笑い声が起きて 何がおかしいのかと 気になって推測するも それだけの余裕があるのかと すこし安心したりもする 白いガーゼのような 長い布切れが出し入れされ 血も付いているようだ 細かいことは分からない もどかしさのうちに 時間の経過がとてものろい ときどき腕の血圧計が強く絞まる それら計器類の表示は なにをどう示しているのか 緊張感も長くは続かず これまでの気持や思考の配分が 集中から散漫になっている 5センチ角のメッシュ という医師の声 そのメッシュとはあれか それで穴が塞がれるのかと 前日のナースの説明を思い出し あれがそれかと想像する 過ぎ去った時間は早い そしてふり返れば その時もすぐに来て 手術室までは歩いて ナースと娘に付き添われ 7階からエレベーターで下り 3階のひっそりとした廊下を進んでいくと 手術室の大きな扉の前 そこまでで娘は談話室に戻らされ 付き添いのナースが点滴の袋を持ち しばし扉が開くのを待って ふたりで広い手術室に入る がらんとした工場のような空間 何人かのスタッフが居て ふたりのナースから 本日の看護担当であると いきなり自己紹介されたが 名前は覚えていない 様々な装置や器具やメーターなど わっと目に入ってきたが それも一瞬のことで そこから時間は 脈絡なくきれぎれに 2時間ほどが過ぎて いま手術室の電話が鳴っている 誰かが受けて もうすぐ終わると告げている お腹に力を入れて 力を抜いて と医師の要求を受けて 力を入れたら 反応したのは自分の腹で たしかに自分の体で やっと自分を取り戻したなどと 気分も和らいだところに 医師の顔が近づいてきて 大変やったが予定通り 穴がけっこう大きかった と告げられ言葉を探したが 見つからずに頷いただけ 器具やコードが外され ベッドに移しますと 幾人かの手でシーツごと 横のベッドに移される すぐに天井が動き出し ガタンゴトンと背中から レールを越える響きを受けて 手術室の外に運ばれたことを知る そこに娘は待っていて 医師の術後説明があるはずだったが ただ予定通りに終わったという ごく簡単な説明だけだった

 

天然のスイーツ

 

 

 


足の指はほぼ深海魚だった

2022年01月05日 | 「詩エッセイ2022」




左足の指先がかすかに動いた 昼から夜へしばらくは 腰から下が魚になった 半人間で麻酔の海に沈んだまま やっと尾びれの端から 足の指先が覗いたような 指の先に自分の分身が垣間見えて 低い声で応えようとしているが その声はまだ深い水の底にあり 不安な深海魚は眠りつづけ 指だけが泳いでいる その指を動かしてみる たしかに指がある 脳から一番遠いところに あるものがそこにある 足の先からゆっくりと 自分の体を取り戻している 魚からヒトへ 鱗の不安が剥がれていく 右足はまだ指の先も感覚がない 左足は踝まで動くようになっている そのあと膝も動いて曲がった 遅れて右足の指先も応えはじめた 指の先でもがいてみる 失われたものを取り戻していく 半身は水の上だが まだ半身は水の中にある いまは水の中を漂っているが これなら痺れた鱗を剥がしながら そのうち海面に浮き上がれるか 不明なままで待っている ゆっくりだが待つしかない 左足は太腿まで 来るものがやって来た 右足は足首まで 待っていたものがやっと来た この左右遅速の差は 腹部の傷口が右寄りにあるからか そこに痛みはないが 無いところに無いものを探っても 無いものはまだ無い その無いところに有るものが だんだん浸食してくれば 両足が自分のものになって もう泳がなくても歩けるはずだ だが要の腰がまだ戻ってこず 体の中心が動かない 臀部に触ってみる 睾丸に触ってみる ペニスに触ってみる どれも無情に応答がない ああ無情 出るものが出なくなったら 出口はなんのための出口なのか まる一日絶食のあとで コップ一杯の水をもらう 至福のおいしさが沁みわたる 水となって水から脱出し 水はやがて血となるか 入ってくるものは入れたい 出せるものは出したい 兎にも角にも 水よりも血となって 流れとなって足となって 生きることを生きたいものだ




鳥鳴き魚の目は泪