風の記憶

≪記憶の葉っぱをそよがせる、風の言葉を見つけたい……小さな試みのブログです≫

心に観ずるに明星口に入り

2022年12月22日 | 「詩エッセイ2022」




ほとんど水平に近い角度で やっとその星を とらえたことがあった まもなく見えなくなるという なんとか彗星という星だった あれはたしか何処かで オリンピックがあった年 深夜の競技のことは あまり関心がなかったけれど ホップ ステップ ジャンプ 海峡をまたぐ二つの 大きな橋を渡った 幾星霜の昼も夜も 降りつもる星の歳月 あれから星霜という言葉も知った いつしか僕の宇宙も 白い霜に覆われてしまったか さいごの星が 尾を引きながら海に 落ちていった光の かすかな軌跡をいまも 探してしまうことがある 星の言葉はいつも 降るようで降らなくて 星の王子さまは 星の国を探しつづける 七つの星に住むという 星の言葉しか語れない すてきに臆病なひとを 星の王女さまと呼んでみるが ふたりは未だ会ったこともない 幾億光年を経たその時に ボクはほとんど青い水だ と彼は言うだろう 手の水をひろげ足の水をのばす 水は水として生き やがて一本の川となれば 新しい水と出会う ミルク色した彼女は言うだろう わたしたち丸くてやわらかい 水から生まれ水を孕めば 始まりはいつも一滴のしずく さらに大きなものを 宇宙の川と呼べるかしら いくつも星が流れた頃の 流れ星のような話 星は一瞬の妄想を生んで その影だけが闇に残るけれど ふたたび幾星霜 北限の珊瑚と熱帯魚が まどろんでいるあたり 貝殻が一面に打ち上げられた 海岸線をひたすら 星の岬へ向かって車を走らせた ウインドウを下げれば シトラスの香り 文旦色の風の 囁きも聞こえたようで 星と霜が降り積もる かつて地の果て人の果て と言われた道の果てに 古い岬の洞窟が 海に向かって 大きな口を開けていた 心ニ観ズルニ明星口ニ入リ 星を知った偉いお坊さんの 言葉の痕を訪ねてみたが ただ空洞のうす暗い 洞窟の外は果てのない 太平洋の青い海原 鯨の海をさまようのは 砕け散った真昼の星ばかり 波の騒めきがまばゆくて やがて深く沈まる夕まずめ いっときの夢を曳航する 空と海がひとつになれば ふたたび闇を裂いて 奇跡の星が見えたかもしれない





*「心ニ観ズルニ、明星口ニ入リ」は、弘法大師・空海の言葉。「土佐ノ室生門崎ニ寂留ス。心ニ観ズルニ、明星口ニ入リ、虚空蔵光明照シ来ツテ、菩薩ノ威ヲ顕ス」(『御遺告』)より引用。



 


風の言葉を探したこともあった

2022年12月10日 | 「詩エッセイ2022」




西へ西へと みじかい眠りを繋ぎながら 渦潮の海をわたって 風のくにへと向かう 古い記憶が甦えるように 海原の向こうから 山々が近づいてくる 活火山は豊かな鋭角で 休火山はやさしい放物線で とおい風の声を運んでくる 昔からそれらは いつもそこに そのままで寝そべっていて だんだん近づいていくと 寝返りをうつように 姿を変え隠れてしまう 空は山を越えて広く どこまでも雲のためにあり 夏の一日をかけて 雲はひたすら膨らみつづけ やがて雲は空になった 風のくにでは 生者よりも死者のほうが多く 明るすぎる山の尾根で 父もまた眠っている 迎え火を焚いたら 家の中が賑やかになった 伝えたくて伝えられない そんな言葉はなかったかと 下戸だった仏と酒を酌む かたわらで母が 声が遠いとぼやいている 耳の中に豆粒が入っていると 同じことばかり言うので 子供らも耳の中に豆粒を入れた ひぐらしの声で一日が明けて ひぐらしの声で一日が暮れた 蝉の翅は虚しく透きとおり 蝉の腹は空っぽだった ぼうぼうと風に運ばれて 終日ぼくは夏草の中へ 草はそよいで ぼくの中で風になった 風には言葉がなく 言葉にならないものばかりが 渦巻いて吹き過ぎた 風の背中を追って ぼくの中の言葉を振り返る 隠れキリシタンの洞窟から とつとつと祈りをおくってみるが ゼウスのように 風の姿は見えないまま ひぐらしの声がはや 白く近くなるころ 欠けた土器に送り火を焚いて ひとつだけ夏が終わったので 耳の中の豆粒を取り出すと 母の読経が聞こえてきた きょうは目が痛いと言う きのうは眩暈がし おとといは便秘じゃった 薬が多すぎて 飲み方がわからないと泣いている くりかえし繰り返し もう語る言葉もなくなり 母の目薬はさがしてやれないまま 汽車はいくつもトンネルを抜けて ぼくはまたフェリーに乗る とうとう風の言葉は聞けなかった



自作詩『風の十六羅漢』