風の記憶

≪記憶の葉っぱをそよがせる、風の言葉を見つけたい……小さな試みのブログです≫

春の匂いがしてくる

2024年03月30日 | 「2024 風のファミリー」



春はかすみに包まれる。かすみを吸ったり吐いたり、見えるものや見えないものが、夢の続きのように現れたり消えたりする。風はゆっくり温められて、うっすらと彩りもあり、やわらかいベールとなって、あまい匂いで包み込まれそうだ。
記憶の淀みからじわじわと滲み出してくる、曖昧に覚えのある匂いがある。いままた何処かで、花のようなものが咲いているのか。子どもの頃の私はそれが、まだ春浅い川から立ちのぼってくる水の匂い、だと思っていた。

水辺が恋しくなる頃、大きな岩の上から巻き癖のついた釣り糸をたれ、岩から顔だけ突き出して水面のウキを睨みつづける。はっきり川底が見えるまで水は澄みきっていて、魚の姿は見えるが動く気配もなく、誘っても餌には寄ってこない。まだ水の季節はひっそりとしているが、水の冷気とかすかに甘い匂いが顔を濡らしてくる。それが水の匂いだった。その季節の初めにだけ水から立ち上ってくるもの、あるいは風が運んでくるもの、周りのあらゆるものがかすみに包まれていて、すべてが漠然と春の匂いでもあった。

かすみの風景の中から、五軒ほどの集落が浮かんでくる。いたるところから清水が湧き出し、生け垣や道や草むらの間を浸し、流れはそのまま川にそそいでいた。
重い引き戸を開けて入る、いとこの家があった。梶原先生の家があり、同級生のエツ子の家もあった。授業中エツ子はまっ先に手を上げるが、彼女の答えは字引の文章をそのまま読み上げているようで、ただ声だけが耳に残った。

春霞のかすみとは、空気中の細かい粒子のせいで遠くがはっきり見えないこと。細かい粒子ってなんだろう。言葉だけが耳から入るが意味はかすみのままで、宿題もせずに私はいとことふたりで、大きな岩の上で黙って釣りをする。彼は釣り以外には興味がないので、私らは会話をすることもなく、ひたすら水面のウキを注視しながら、それぞれ勝手にひとり春霞のかすみに浸っている。
あまり家から出てこないエツ子は、釣りばかりしている男の子など関心がなく、思えば思うほど彼女はかすみの中で離れていく。

高校生になったころ集落の近くにダムができて、五軒ほどの家はぜんぶ移転することになり、集落は川の底に沈んでしまった。水は淀んで平べったくなって、水草も清流も消えた。釣り場だった大きな岩も、大きな頭をした魚も消えた。なにもかも水の底に沈んでしまった。 
あの春の匂いはどこへ行ってしまったか。
沈丁花という花のことを知ったのは、それからずっと後のことで、川の匂いだと思い込んでいたものは、沈丁花の花の匂いだったのだ。その花はたぶんエツ子の家の庭に咲いていたのだろう。その沈丁花も水に沈んだ。春霞のかすみとは、空気中の細かい粒子のせいで遠くがはっきり見えないこと。そうかそうだったのか、そして春のかすみの中から、春の匂いだけが今も漂ってくる。




「2024 風のファミリー」





白い花が咲いてた

2024年03月26日 | 「2024 風のファミリー」

 

白い花が咲いてた ふるさとの遠い夢の日……
そんな古い歌を思い出した。
遠い夢の日に、どんな白い花が咲いていたのだろうか。
近くの小学校で卒業式が行われていて、遠い夢の日の、小学生だった頃に引き戻された。
梶原先生、おげんきですか。

小学校の卒業式の日に、担任の梶原先生が『白い花の咲く頃』という歌を歌ってくれた。
いかつい大きな顔をした男の先生だったけれど、歌の声は低くて優しかった。
ふだん怒ると顔が真っ赤になったけれど、歌っている顔も真っ赤だった。声が少しかすれていた。
クラスのみんな、うつむいて泣いた。

最後の日、先生は黒板に
「心に太陽を持て」とチョークで大きく書いた。
クラスのみんなに贈る、それが最後の言葉だと言った。
国語の教科書に載っていた、詩人のだれかの詩のことばだった。
白い花の歌と太陽の詩と、この季節になると、最後の日のことばかり思い出すのはなぜだろう。
最後の日は、始まりの日でもあったはずだ。あれからどれだけの、最後の日と始まりの日を繰り返してきただろうか。
気がつけば、あの頃の先生の年齢をとっくに超えてしまっている。

心に太陽は持てただろうか。
いつのまにか遠い日は、まさに夢のように霞んで遠い日になってしまった。
木造校舎の長い廊下を走りぬける。古いオルガンをいたずらで弾いた。ペダルの音ばかりがカタカタ響いて、音階が風になってブーブー抜ける。お昼近くになると、小使い室の調理場から給食のスープの匂いがしてくる。下校前には、ぼろぼろになった雑巾で拭き掃除をする。
工作ノリの匂いがする教室。なぜか小さな白い花がいっぱい咲いている。
「きみたちどうして、そんなに小さな花になってしまったんだ」
手に竹の鞭をもち、顔を真っ赤にした梶原先生の叱咤する声が聞こえてくる。




「2024 風のファミリー」





まだ虫だった頃

2024年03月20日 | 「2024 風のファミリー」

 

寒さにふるえているあいだに、時だけが木枯らしのように走り去っていった。
短い2月の、アンバランスな感覚に戸惑っていたら、いつのまにか3月も終わろうとしている。3月だからどうということもないのだが、急き立てられる思いが、やはり日常の感覚と歩調が合っていない。
3月のカレンダーで、啓蟄という言葉が目にとまった。
日付のところに小さく「啓蟄」(けいちつ)とあった。地中の虫が這い出してくる日だという。暖かくなったということか。地中にいても、虫は季節の変化をちゃんと知っているんだと感心する。

季節のことも曖昧で、啓蟄という言葉も知らなかった頃、九州の別府で、結核療養所に閉じ込められていたことがある。22歳から23歳の頃だった。あのころはまだ地上の明るさも見えない、地中の虫だったかもしれない。
療養所での生活は、閉じ込められているという意識が強かった。初めの頃は遮断された外界のことばかりが気になった。そのうち外も内もなくなって怠惰な生活にも慣れると、閉じ込められた生活もそれなりに快適になっていった。

時間はいくらでもあった。薬の副作用で体が熱くなったり痺れたりはしたが、肺の一部に病巣があるというだけで体は元気だった。
将棋を指したり碁を打ったり、楽器を弾いたり、チャチャチャやドドンパなどで適当に踊ったりする。相撲の本場所が始まると賭博で一喜一憂する。消灯後にはこっそりベッドを抜け出して街に下り、ラーメンの屋台をさがして歩いたりした。慣れない戸外ではふわふわとして足が地につかなかった。体に小さくて不器用な羽が生えているみたいだった。

病人なのに、元気でなければ楽しめない生活だった。しかし本物の元気になれば、この生活も終わるのだった。
それぞれのベッドには、古参の顔があり新参の顔があった。若者も年寄りもいた。元気な人も弱っている人もいた。朝刊を読んでいた人が夕方には血を吐いて死んでいたりした。
どの病室にも同じ壁がありドアがあり、長い廊下があった。上下関係もなく利害関係もない。同病相憐れむではないが、同じ境遇だから誰とでも親しくなれた。

眠れない夜に、病室の白い壁をコツコツとノックしてみる。するとすぐにコツコツと返事がかえってくる。それらの音に意味があったか無かったか、その残響を夢の入口で追い続けていると、鼓動が速くなって夜はますます遠くなるのだった。
白い壁をコツコツとノックしていたのは、外界に出ていく虫の言葉だったのかもしれないと、その意味を知ったのはずっと後のことだった。その当時は、その意味を確かめることもできなかった。まだ地中の虫である私には、地上の明るさも見えない臆病な虫だったから。

親しかった人が退院する日をカレンダーで確かめた。そのとき啓蟄という漢字をはじめて知った。太陽の下で飛び立とうとする虫は美しかった。
小さなテントウムシが、私の掌のうえで羽を広げようとしていた。虫はいくどもいくども飛びたつ試みをしたのち、やっと思いたったように私の手から離れていった。突然の別れ、そうやって新しい季節が始まろうとするのを、ただ黙って見送るしかなかった。
いまでも地中では、虫たちが白い壁をノックしているにちがいない。春の扉をたたくコツコツという音が、どこからか聞こえてくるような気がする。




「2024 風のファミリー」





水が濡れる

2024年03月17日 | 「2024 風のファミリー」



春の水は、濡れているそうだ。水に濡れる、ということは普通のことだ。しかし、水が濡れているというのは、新しい驚きの感覚で、次のような俳句を、目にしたときのことだった。

   春の水とは濡れてゐるみづのこと

これでも俳句なのかと驚いたので、つよく記憶に残っている。たしか作者は、俳人の長谷川 櫂だったとおもう。水の生々しさをとらえている、と俳人の坪内稔典氏が解説していた。「みづ」と仮名書きして、水の濡れた存在感を強調した技も見事だ、と。

散歩の途中、そんなことを思い出して改めて池の水を見た。日毎に数は減っているが、あいかわらず水鳥が水面をかき回している。池の水がやわらかくなっているように見えた。池面の小さな波立ちも、光を含んで艶っぽい。真冬の頃のように、冷たく張りつめた硬さはない。水が濡れる、という言葉がよみがえってきて、こころなしか、水が濡れているように見えた。新しい知識は、物の見方も変えるようだ。

娘がまだ小さかった頃、涙が濡れる、と言ったことがある。言葉をまだ十分に会得していないせいで、そのような表現をしたのだと思った。
そのとき、娘の目からは涙が溢れそうになっていた。娘は自分の涙に戸惑っているようにみえた。それまでは、泣くということは、不服だとか悲しみだとか、ただ何かを訴えることだったのだ。だがその時は、今までとは違う、なにかよく解らない感情に突き動かされているようだった。体の深いところから、水のように湧き出してくるものを、娘はどうしていいのか解らないようだった。

涙が濡れる、は娘の戸惑いから咄嗟に生まれた、まだ未熟なままの言葉だったのだろう。水が濡れるという言葉とかさねて、そんな娘の幼い言葉が、新しい意味をもって思い返された。
きょう、池の水に指を浸してみた。春の水はまだ冷たい。




「2024 風のファミリー」





だったん(春の足音がする二月堂)

2024年03月13日 | 「2024 風のファミリー」

 

ちょうど阪神大震災が起きた年だった。
東大寺二月堂の舞台から、暮れてゆく奈良盆地の夕景を眺めているうちに、そのままその場所にとり残されてしまった。いつのまにか大松明の炎の行が始まったのだ。舞台上でまじかに、この壮烈で荘厳な儀式を体感することになったのだった。はるか大仏開眼の時から欠かさずに行われてきたという、冬から春へと季節がうごく3月初旬の、14日間おこなわれる修二会(お水取り)の行である。

眼下の境内のあちこちに点灯された照明が、集中するように二月堂に向かっていて眩しい。その頃には、明かりの海と化した奈良盆地から、透明な水のように夜の冷気があがってくる。欄干から下をのぞいてみると、境内はいつのまにか人で埋め尽くされていた。
7時ちょうどに大鐘が撞かれると、境内の照明がすべて消された。芝居の拍子木のように鐘が連打され、これから始まる儀式への期待が高まっていく。とつぜん視界の右手下方の一角が明るくなって、大松明が勢いよく燃えながら、暗くて長い登廊の階段を上がってくる。大きな炎の固まりは、階段の途中で止まっているようにも見え、動いているようにも見え、逡巡する何か大きな生き物のようだ。大松明は上堂する練行衆の道明かりで、それぞれの大松明に錬行衆がひとりずつ導かれて登ってくる。練行衆とは、修二会の行に参籠する僧のことらしい。

やがて階段を上りきった大松明は、本堂の舞台に勢いよく登場し、童子(松明を運ぶ僧)が長くて太い真竹の柄を欄干で支えるようにして、燃えさかる炎を中空の闇へ突き出す。どっと沸きあがる歓声。つづいて太い真竹の柄を抱えるようにしてぐるぐると回すと、四方八方に飛び散る火の粉を浴びた観衆の、さらに大きな歓声が炎の闇を突き上げてくる。
10メートルほどもある大松明が目の前を走り抜けていく。あたりが燃えあがるように明るくなって熱気が広がる。炎となった杉の葉のはじける音と香ばしい匂いが充満し、板敷きの上では飛び散った火の粉が燃えている。それを東大寺の法被を着た雑司が、忙しく箒で掃いて消していく。回廊の端まで到達した大松明が、最後の火の粉を振り払って脇へと下がると、反対側から次の大松明を抱えた童子が、再び勢いよく火の粉を散らしながら駆け抜けていく。

背後の本殿からは、鉦の音と声明が聞こえてくる。本殿奥の内陣は薄暗く、白い帳を透して灯明の明かりだけがぼんやり見える。その暗がりで一体なにが行われているのか、静かになったり騒がしくなったりする。練行衆たちが駆け回っているらしく、いっとき床を踏みならす木沓のかん高い音、そして再び静寂。達陀(だったん)の行法というものが行われているらしい。
このとき光と音に包まれた二月堂は、冬から春へと季節が分かれる闇の窪みで、生まれ出ようとする生き物がうごめいているようだった。
地軸が傾き、大地が揺れ動く。
この冬に遭遇した、その感覚と恐怖は、いまも体の中で揺れつづけているものだった。

マンション9階のまだ薄暗い部屋で、大揺れに揺さぶられた。何が起きているのか分からなかった。とほうもない大きな怪物が、建物を壊そうとしていると思った。大きな手がベランダの戸を、ガタガタとこじ開けようとしている。何本もの手が、食器棚の食器を床に投げつけている。次は私の体が、コンクリートの壁とともに、大地に叩きつけられるにちがいない。ああ何もかも終わってしまう、と絶望か恐怖かわからない巨大なものに掴まれていた。
さまざまな音が襲ってきた。体が揺れた。一瞬いま居る場所を忘れていた。闇の中を炎が走り抜けた。つぎつぎに大松明が火と煙をふりまいて駆け抜けた。

火の儀式は終わった。二月堂に静かなもとの夜が戻ってきた。眼下の闇を水のように人々の影が引いてゆく。そのあとも薄暗い内陣では儀式が続けられている。帳を透かして白く浮いた灯明の前を、ときどき黒い影が遮り、床を踏みならす木沓の音も、なお続いている。千数百年前と同じ行法が、そこでは行われているのだろう。平重衡の南都焼き討ちのあとも、大仏殿が焼け落ちたあとも、そしてさまざまな災害や大震災のあとも、儀式は途切れることなく引き継がれてきたのだ。
古都の夜を明るく照らし、駆け抜けていった大きな炎をみた。千年の歴史を運びつづけてきたという、火の軌跡をみた。人々の命を燃やした、火の輝きをみた。心の内に熱く燃える炎が残った。
お水取りが終わると、近畿には春が来るといわれている。だったんの沓音が、命の扉を叩きつづけた、そんな春の始まりだった。




「2024 風のファミリー」