goo blog サービス終了のお知らせ 

風の記憶

≪記憶の葉っぱをそよがせる、風の言葉を見つけたい……小さな試みのブログです≫

夢に続きはあるか

2025年06月12日 | 「2025 風のファミリー」



眠りに入ったら目が覚めるまで、夢など一切みないという人もいるが、私は就眠中ずっと夢を見ているような気がする。もしかすると、目覚める直前だけ夢を見ているのかもしれないが、夢から開放されてぐっすり眠ったと感じることは少ない。ときには夢に疲れて起きてしまうこともある。
記憶に残らない夢もあるし、妙に鮮明に残る夢もある。どちらかというと記憶に残るような夢をみるときは、体調や情緒が不安定なときが多い気がする。それに反して、楽しい夢で目が覚めるときは体も心も安定している。もちろん、私の勝手な夢解釈ではあるが。

このところ頻繁にみる夢は、乗りたい電車の行き先がわからずに乗り遅れるとか、道に迷ってしまってなかなか家に帰れないとか、注文を受けた仕事が複雑すぎて、しきりに頭を悩ませているとか、後ろ向きな夢が多い。
焦っていたり自分の弱さを責めたりしているのは、夢の中だけではなさそうで、気温が不安定で季節的にも眠りづらい環境ではあるが、日常生活で言葉が曖昧になりつつある妻との対話で、戸惑いやすれ違いも多くて、自分でも意識できない深いところで気持ちが淀んでいるのかもしれない。

子供の頃のように、ライオンや妖怪に追いかけられる夢はもう見ないし、親が死んで悲しんでいる夢ももう見ない。無知で臆病だった子供の時代はとっくに過ぎたし、両親ともすでにこの世に居ない。
それでも、子供がえりしたり、死んだ親と会えたりするのが夢の世界だ。夢の続きをさらに見たいと思ったりする、そんな夢を見るときは心身ともに穏やかなようだ。
いろいろな生活の変化にも少しずつ慣れて、ぼちぼち平穏な夢が戻ってくることを今は期待している。

人間は眠ることによって脳も再生すると言われている。できることなら、夢の中では自分が思うがままの夢をみて、思いきり充足されたいものだが、夢の中で、夢を自由に操作することはできないものだろうか。
そんなことも考えて、自己催眠とやらの訓練をしたことがある。手や足がだんだん温かくなるなどと、意識するが意識しないという、意識の深いところで意識するという難しい訓練である。すると手足が次第に温かくなってくる。
そのようなやり方で意識下の意識を動かすことによって、夢の世界も自分の思うように動かせたら楽しいかもしれない。馬鹿な寝言か夢物語と言われそうだが。




ブログの移転先に「はてなブログ」を選びました。

しばらくは試行中ですが、引き続きよろしくお願いします。


はてなブログ『風のファミリー』

 

 

この記事についてブログを書く
« 6月の風が吹いている | トップ | 風立ちぬ、いざ生きめやも »
最新の画像もっと見る

「2025 風のファミリー」」カテゴリの最新記事