いまは落葉の季節。
秋は英語ではautumnだが、アメリカではfallを使うことが多いらしい。fallというのは落ちるという意味があり、木の葉がさかんに落ちる晩秋の風情を連想する。秋にはfallのほうが似つかわしいかもしれない。
詩の用語としても、fallのほうがよく使われるようだし、fallには“fall in love”などという美しい慣用句もある。
だらだらとでも生きておれば、“fall in love”な穴ぼこにだって、誤って落ちることもある。ぼくだって、いくどかは落ちた。
深い穴ぼこも浅い穴ぼこもあった。どちらも落ちるショックに変わりはない。軽い失神くらいは起きる。ときには目の前が真っ暗になる。そんなとき、妄想もまた真実だということを知ることになる。
だがいつも、自分がどこに落ちたのか、落ちた先に何があったのか、それがよく解らないまま、傷だけを残して終ってしまう。
ぼくのようなアホな人間に比べると、木の葉はじつに静かに落ちる。木の葉にとって、落ちるということは死であるから、その状態は静かにならざるをえないのかもしれない。
人間にとって落ちるとは、ときに堕落を意味する。
若いころ愛読した坂口安吾の『堕落論』には、堕ちよ堕ちよと励まされた。落ちるところまで落ちてこそ人間は救われ、そこから素晴らしい再起があるはずだった。
散ってゆく落葉を見ていると、木の葉のようにひらひらと、ときには枝から離れて落ちてみたい衝動にかられることもある。
その心は、落葉のように静かではないけれど。
コメントありがとうございます。
近くの公園で、どんぐりがいっぱい落ちていました。
子どもの頃は、喜んで拾いましたけどね。