風の記憶

≪記憶の葉っぱをそよがせる、風の言葉を見つけたい……小さな試みのブログです≫

てっぽう

2010年05月19日 | 詩集「かぶとむし通信」



とっくにもう
枯野の向こうへ行っちまったけど
俺に初めてフグを食わせてくれたのは
おんじゃん(おじいちゃん)だった


唇がぴりぴりしたら言わなあかんで
フグの毒がまわったゆうことやさかいにな
ぴりぴりするフグの味なんか
俺にはちっともわからなかったよ


まるでフグみたいに
喋るまえに口をぱくぱくする
おんじゃんの言葉は蟇口といっしょで
腹巻のどんづまりからひっぱりだしてくる
言葉が出てくるか銭(ぜに)が出てくるか
俺は銭だけを待ってたけれど


俺たちは引きこもりだった
おんじゃんは入れ歯と腰ががたがたで
俺は前頭葉がばらばらだった
あさおきてかおをあろうてめしくうて
俺が五七調で口ずさむ
宗匠づらのおんじゃんがあらわれる
われはあほか
俳句には季語ゆうもんがあんのや
春には春の
秋には秋の
花ゆうもんが咲くやろが


春夏秋冬
俺にはただ
だらんとした暑い日と寒い日があるだけだった
だから花びらみたいな俳句なんか
お地蔵さんの腹巻へつっ返してやる
宗匠はフグの口になって
きんたまなんか掻いてやがる


五七五や
たったの十七文字や
われはそんなんもでけへんのか
かまぼこでも切るように
おんじゃんは言葉をきっちり揃えようとする
切って削って五七五にして
だんだん言葉が少なくなってゆくんだ
口ばかりぱくぱくやっても
言葉なんか泡ぶくみたいなもんだ
とうとう俳句ふたつぶんくらいしか喋べれなくなった
それがおんじゃんの一日だ
そして俺の一日も似たようなもんだった


唇がぴりぴりになったら
そのあと
どうなるんだろう


旅に病んで夢は枯野をかけ廻る
おんじゃんの句もなかなかのもんだ
そう言って怒らしてしまった
われはほんまのあほや


そうだよ枯野をかけ廻っていたんだ
おんじゃんの夢も俺の夢も
それから四日後におんじゃんが死ぬなんて
あほな俺には考えられなかった


おんじゃんは
辞世の句も残さなかった
もちろん
フグの毒にあたったのでもなかった


     (大阪では、フグのことをてっぽうともいう)


(2004)


なまず

2010年04月28日 | 詩集「かぶとむし通信」
Touki


ええにおいやなあ
ええにおいやなあ
庭のぶどう棚の日陰で
おばあちゃんがなまずを焼いている
かんてき(七輪)の炭がこげている
なまずの蒲焼はおばあちゃんしかできない


なんでそんなに
ええにおいなんやろ
なまずは憎らしい顔をしている
大きな頭に小さな目
長いひげとぬるぬるの尾びれ
生きているのか死んでいるのか
ふてぶてしさが憎らしい


あの人が釣ったなまずだから
よけいに憎らしい
自分は食べないくせに
のんべんだらりの大なまずばかり釣って
ほかには何もできない


なまずを焼くおばあちゃんの
背中の丸みがかなしい
私はからだをぜんぶあずけたくなって
おばあちゃんの後ろから抱きついてしまう


ああ チエ子や
かんにん かんにん
おまえいきなり何すんねや
うまいこと焼かれへんやないか


あのなあ おばあちゃん
あとの言葉が出てこない
涙でおばあちゃんの背中を濡らしている
ええにおいやなあ
ええにおいやなあ
なんでこんな言葉ばかり
もう私の声じゃない


チエ子や おまえ
ややこ(赤子)でもでけたんとちゃうか
おばあちゃんの声がおなかに響く
涙がとまらない


(2004)


夏は、山の水が澄みわたるので

2010年04月28日 | 詩集「かぶとむし通信」
Kawa2


納戸の隅とか仏壇とかに
小さな暗やみがいっぱいあったけれど
おばあさんがいつも居た
土間につづく流しにも闇があった


汽車が駅に着いたときだけ
家の前の道を
村人がかたまって通りすぎる
勝手口からおばあさんの大きな声が
ときどき村人の足をとめた


夏は
山の水が澄みわたるので
ひとも魚も沢をのぼる
わんどの暗い淀みに
ザリガニのむき身を放り込むと
深い川底がぐるるんと動く


おばあさんがナマズを焼く
夏はいつしか
細い畦道をかえってゆくようだ


虫のように草を分けて
山を越える
足の下の土がやわらかい
そこにおばあさんは眠る
季節を越えて骨になり
山の水になって澄みわたる
おばあさんは死者がふたつの墓に眠る
古い習俗の最後の人になった


夏は
山の水が澄みわたるので
遠い川も近くなる
ときどき大きなさかなが現れて
ぼくの夢の泥をまきあげる
深くて暗い
水の底がみえる


(2007)


つくつくぼうし

2010年04月28日 | 詩集「かぶとむし通信」
Kabutomushi


夏は
山がすこし高くなる
祖父は麦藁帽子をとって頭をかいた


わしには何もないきに
あん山ば
おまえにやっとよ


そんな話を彼女にしたら
彼女の耳の中には海があると言った


その夏
レモンのような海で
ぼく達はいっぱい泳いだけれど
夜は砂の上にねて
耳から耳へ
遠い海鳴りをきいた


いま
山の上には祖父の墓がある
あれから夏がくるたびに
ぼくは片足でけんけんをして
耳の水をそっと出す


(2007)


河童

2010年04月22日 | 詩集「かぶとむし通信」
Kabosu


ひさしぶりに親父に会った


釣ったばかりの岩魚をぶらさげて
反りかえって山道を下りてくる
いつかの河童に似ていた
秋になると
川からあがって山へ帰ってゆくという
そんな河童を村人はセコと呼んだ


親父とはあまり話をしたことがない
河童のことも
俺にはよくわからないのだった


親父は俺よりも二センチ背が高い
肩幅も広いし脚も長い
草の匂いと水の匂いがした
きっと人間の臭いも親父のほうが濃い


おふくろは河童が大嫌いだ
親父は河童に毛まで抜かれてしまったという
腐った鯖のはらわたで団子をこねて
親父はそっと夜釣りに出かける
川には尻(けつ)の穴を吸いにくる河童がいるらしい


雨あがりの山道
牛の足跡の水たまりに
なんと千匹もの河童の目が光っていたという
そんなものを見た村人はもういない
じつは親父もとっくに死んでいる


頭のはげたセコの話をすると
老いた雌の河童が泣くという


親父とはもっと
だいじな話をしたかった


(2005)