風の記憶

≪記憶の葉っぱをそよがせる、風の言葉を見つけたい……小さな試みのブログです≫

恋する水鳥たち

2018年01月28日 | 「新エッセイ集2018」

 

近くの池で、水鳥がひときわ変わった泳ぎをしていることがある。
2羽で追いかけっこをしている。それも、どちらが追いかけて、どちらが追いかけられているのか判らない。ぐるぐるとコマが回っているような円を描いている。その動きは激しくて、池のその部分だけが沸騰しているようにみえる。

水鳥が恋をしているのだと思った。
雄と雌の2羽は相思相愛の仲。その円い動きが証明している。
片思いであれば、どちらかが追いかけ、どちらかが逃げる。その動きは直線になるはずだ。
だが、この2羽はひたすら円を描いている。もう何も見えないといった激しさで、渦巻きつづける。恋というものを、目に見える形にすると、このようになるのかもしれないと思った。

また、ある時は20羽くらいが集団で渦巻いている。
こちらも激しい動きで熱気がある。さしずめ、合コンといったところだろうか。渦巻きは、1羽2羽と他の水鳥も巻きこんで、次第に大きくなっていくようだ。
これは、スポーツに近い恋といえないだろうか。
かつて祭りの夜に、若い男女が集まって、踊ったり歌ったりして恋が生まれたような、おおらかで原始的な恋のロンドをみるようだ。

もちろん、水鳥が恋をしているなどとは、水鳥の生態を知らない、ぼくの勝手な想像だ。
こんな寒い朝に、そこに春の気配をみている馬鹿は、たぶんぼくだけだろうな。
鳥たちの水掻きでかき混ぜられた、春の渦潮が、ぼくの頭の中でうずまいているようだ。
まもなく水鳥たちは、春を残して飛びたつ。

 

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いま森の神はどこに

2018年01月23日 | 「新エッセイ集2018」

 

ぼくの森は、いまは冬の森だ。
落葉樹はすっかり裸になって、細い枝々が葉脈のように冬空にとり残されている。深い海のような空があらわになって、そのぶん森は明るくなったけれど、森にひそむ神秘な影が薄くなった。
この森はとても小さな森なのだが、冬はいちだんと侘しくなったみたいだ。
シカもリスもいない。ヘビくらいはいるかもしれないが、いまは地中に隠れて冬眠中なので、この森の中で動くものは小鳥しかいない。

森といっても、ぼくだけが勝手にそう呼んでいるだけで、造成地に残された、かつての山林のわずかな名残りにすぎない。そこが森だなどという人は誰もいない。だからそこは、ぼくだけの森でもある。
サワグルミやトチノキ、ヒマラヤスギなどの大木も幾本かはある。落葉や倒木なども放置されたままなのが、かえって原始的な森にみえる。ぼくが森であると容易に錯覚できる所以でもある。
ぼくの日々は錯覚することで、幾分かの生活の空白を満たしているようなものだから、この森はある意味、ぼくの生活の大事な一部分であり象徴でもあるといえる。
それは単なる森であるけれど、森でもない。そんな幻想にちかい森が、そこにある。

このところ、熊楠の本を読んでいた。
熊楠とは南方熊楠(1867-1941)のことだが、和歌山の熊野の森にこもって粘菌の研究をした学者である。
ぼくの森の妄想は、熊楠がえがく森の残像に侵されているのかもしれない。
熊楠の森に比べると、ぼくの森など、すぐに消えてしまいそうな貧弱な森だけど、熊楠の深い森を想うとき、ぼくの森は無限の森へと広がっていくような気がする。

熊楠の森には、「奇態の生物」というものがいる。
熊楠は、柳田國男への手紙の中で、「粘菌は、動植物いずれともつかぬ奇態の生物」だと書いている。
この「奇態の生物」は、生きているかとみれば死んでいる。死んでいるかとみれば生きている。この変形体の生物は、動物のように捕食活動もするところから、熊楠は粘菌を「原始動物」と呼んだ。
このような粘菌の不思議の中に、彼は生命の神秘を見、さらには仏教的な輪廻の思想にまで接近していったようだ。

熊楠が粘菌の活動の中に、重層構造をもつマンダラをみていたとするのは、宗教学者の中沢新一だ。
「粘菌と森が、彼をして、生命の秘密をにぎるマンダラの中心部へと、導いていった」(『解題 森の思想』)と述べている。
「鬱蒼と生い茂る熊野の森。そこで、熊楠は生と死の向こう側にある、マンダラとしての生命の本質を見たのである」と。
熊楠にとって、熊野の森は単なる森ではなかったのだ。
「森の樹木に包まれて、生命の秘密儀に向かって自分を開いているときにだけ、熊楠は実存の輝きを体験することができたのだ」という。

なんだか難解な森に迷い込みそうだ。
要するに、森の中にいるとき、熊楠は真に生きていることを実感していた、ということだろうか。
森は、真性に出会える聖域として、日本人が古代から手つかずで護ってきたものであり、神の鎮まる場所でもあった。その森の深くで、熊楠は実存の輝きを見つめていたのだ。
彼の森は、神そのものでもあったといえる。だから、そんな森を冒涜しようとするものは許せなかった。
明治政府による神社合祀の動きに、いち早く反対運動を起こしたのも熊楠だった。

村々の小さな神社が壊され、粘菌が棲息する森が失われるということは、熊楠の研究にとっては切迫した問題だった。それまで保たれてきた自然の有機的なバランスが崩れてしまうことを、彼は何よりも危惧したのだった。
さらには「神社合祀は国民の慰安を奪い、人情を薄うし、風俗を害することおびただし」(『神社合祀に関する意見』)と、熊楠は書き残している。
それは自然界のバランスのみでなく、そこに暮らす人々の心のバランスまで壊してしまうというものだった。

小さな森を散策しながら、ぼくがいつも考えることは、熊楠の森はいまも生き続けているだろうかということだ。
自然のあらゆるものに八百万(やおよろず)の神が宿るという、日本人の宇宙的な宗教感覚が育まれるとしたら、あらゆるものが有機的なつながりをもって生きている、そんな森の存在が大きいと思われる。
いま、ぼくの森は冬で、この索漠とした寂しさは、熊楠のいう奇態の生物も森の神も、どこかに隠れてしまつているからだろうか。

 

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鳥啼き魚の目は泪

2018年01月18日 | 「新エッセイ集2018」

 

毎日ぼくは、琵琶湖の水を飲んでいる。
といっても、湖水を掬って飲んでいるわけではない。
琵琶湖の水は、瀬田川から宇治川へ、そして淀川となって大阪湾に流れ込んでいる。その途中で取水され浄化されたものが、水道管を通ってわが家まで来る。それをぼくは蛇口から頂戴する。
ただの水道水を飲んでいるのだ。けれども時には、「ああ、琵琶湖の水を飲んでるんだなあ」と思うことがある。

遠くにある、とてつもなくでっかい水がめを想像する。
日本で最大の淡水湖、琵琶湖を取り囲む山々の風景を思いながら、山頭火のように「へうへうとして水を味はふ」。そのとき水はただの水ではなくなる。へうへうとして気分がいい。
水によって生かされているのは、ひとも魚も変わらないのだと思う。
琵琶湖に棲息する百種もの魚や貝と、ぼくは水を分け合って生きていることになる。魚たちが口に含み、吐き出した水をぼくは飲んでいる。水を飲むとき、ぼくは魚になつている。

湖水の魚になったぼくは、以前に読んだ新聞記事が気になってしまう。
琵琶湖で「大変なことが起きている」という、センセーショナルな記事だった。
琵琶湖固有の魚でハゼによく似たイサザという魚が、水深90mの湖底で腹を上にして死んでいるのを、水中ロボットカメラがとらえたという。約2kmにわたって2千匹余りの死骸が映っていたらしい。
琵琶湖の環境を監視する研究員は、「死因は酸欠だ」と直感したという。

「琵琶湖の深呼吸」という言葉があるらしい。
「琵琶湖では、冬場の寒さで、酸素が豊富な表層水が冷やされる。冷えて比重を増した水は湖底に向かって下降し、反対に深層部の水が上昇する」。
この循環が、湖水に酸素を行き渡らせる。表層の水温が下がらないと、循環が弱まって湖は窒息する。
琵琶湖は20年間で平均水温が2℃も上昇したという。湖水が温められることによって、琵琶湖は魚とともに、目に見えない底の方から死んでいく。
そんなことを知ったあとで、今日の水は心なしか少ししょっぱい。魚たちの涙が混じっているのかもしれなかった。

   「行く春や鳥啼き魚の目は泪」(松尾芭蕉『奥の細道』より)

 


時間の糸

2018年01月13日 | 「新エッセイ集2018」

 

すっかり裸木になったケヤキの枝先に、白い凧が引っ掛かっていた。
凧糸が枝に絡んでいるから、風に煽られると凧はもがいているように見えた。
その木の根元では、数人の子どもたちが輪になって凧を見上げている。細い木切れを伸ばしている子もいるが、大人でも無理な高さだから凧までははるかに届かない。凧の枝まで木登りができる子もいないようだった。
凧は糸がついているから高く上がるのだが、その糸が厄介なこともある。

ウォーキングコースの途中に、太陽電池で動いている時計がある。そこでいつも時間を確かめる。とくに確かめる必要もないのだが、時間を確認するという安心感がある。
コースは大体決まっているので、時間を気にすることもないのだが、その場所で時計を見ることが習慣になっていて、いつも何気なく見ている。そして、なんとなく納得して通り過ぎる。

時間を確認したつもりが、ときどき、時間の記憶が残っていないことがある。時計を見たことは確かなのだが、何時だったかがどうしても思い出せない。
朝のさまざまな風景を何気なく見過ごしているように、見てはいるのだが、いちいち記憶には残っていないものがある。公園の時計も、そのようにして記憶から消えていることがある。

確認したものが思い出せない。そのことだけで、だいじな目印を失ったような心もとなさを覚える。
歩きながら、半分の意識が時間をさがしている。歩き慣れている道なのに、足裏の感覚が地面から浮きあがって不安定になる。
歩くということからも自由に歩きたいから、時計も万歩計も持たずに歩くことにしている。でも、意識を自由にして歩くというのは難しいものだ。

時間から解き放たれているはずでも、体の中の時間感覚に動かされている。ときどき時間を確認して安心する。そんな習性をなかなか捨てきれない。
凧の糸のように、時間の糸にしっかり繋がれているのかもしれない。頭の隅で凧のことも気になっていた。
時間を見失った瞬間から、時間をさがす感覚と道を踏みしめる感覚が交雑しはじめる。無意識のうちに2本の糸が絡み合って歩調を乱してしまう。

 


なぜ霜柱はできるのか

2018年01月08日 | 「新エッセイ集2018」

 

冷え込んだ今朝は、公園の草むら一面に霜が降りていた。
草の葉っぱのひとつひとつが、白く化粧をしたように美しくみえた。
地面がむき出しになった部分では、よく見ると小さな霜柱も立っている。なんだか久しぶりに見たので、それが霜柱だとは信じられなかった。

子どもの頃は、よく霜柱を踏み砕きながら登校した。
夜中の間に、地面を持ち上げて出来る氷の柱が不思議だった。地中にいる虫のようなものが悪戯をしているのではないか、と思ったこともある。
小さな足裏に、誰かが作ったものを踏み砕いていく快感があった。誰がどうやって作るのか、それが解らない少年には、壊すことで疑問を解いていくしかなかった。

父の剃刀の刃を折ってしまったのも、カミソリというものが不思議な刃物だったからだ。
父のその剃刀は、折りたためるようになっていた。床屋にあるようなベルト式の皮の砥石で、父はいつも剃刀を丁寧に研いでいた。
そのような父の習慣も不思議だったが、髭のような硬いものが切れるのに、父の肌を傷つけることがない、そのことの方がもっと不思議だった。

父が居ない隙に、その剃刀で色々なものを切ってみた。そして、とうとう刃を折ってしまったのだ。
ぼくは父が怖かった。いつも些細なことでも叱られた。ましてや父が大事にしていた剃刀のことだ。
まず母に見つかった。父が独身の頃から大切に持っていたものだと、母は言った。どれだけがっかりするだろうか、と母も嘆いた。
ぼくは毎日びくびくしていたが、けっきょく父からの咎めはなかった。ぼくの落胆ぶりをみて、母が何らかの手を回したようだった。

ぼくは父の万年筆も何本も駄目にした。
ペン先からインクが出てくるのが不思議だったからだ。ペン先の部分をばらし、ペン先を広げてしまったり、曲げてしまったりした。
万年筆はどれも、ふだん父が使っていないものだったので、ぼくの悪戯がばれることはなかった。
目覚まし時計も分解してみた。ばらばらになって元には戻らなかった。小さなネジまですべて、こっそり裏山に捨てた。

ぼくはいつも壊すばかりで、どれひとつ不思議を解決することは出来なかったのだ。
いまのぼくは、霜柱ができる原理をすこしは知っている。不思議な世界のいろいろな仕組みを、いつのまにか知るようになった。
けれども、今朝も霜柱を見つけたとき、ぼくはまた少年の不思議に戻っていた。
こんな細工を誰がしたんだろう、と一瞬おもったのだった。