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風の記憶

≪記憶の葉っぱをそよがせる、風の言葉を見つけたい……小さな試みのブログです≫

てっぽう

2020年07月30日 | 「新エッセイ集2020」

 

とうにもう
枯野の向こうへ行きやったけど
おれに初めてフグを食わしてくれたんは
おんじゃん(おじいちゃん)やった

唇がぴりぴりしたら言いや
フグの毒がまわったゆうことやさかいにな
おれはフグの味なんか
ちっともわからへんかった

フグみたいに
喋るまえに口をぱくぱくしよる
おんじゃんの口はがま口と変わらへんねん
いつも腹巻のどんづまりに入っとった
グチが出よるかゼニが出よるか
そんな腹巻は好きやったけどな

おれたちは引きこもりやった
おんじゃんは関節と入れ歯ががたがたで
おれは背骨と前頭葉がゆるんどった

朝おきて顔をあろうて飯食うて
おれが五七調でじゃれたりしとると
おんじゃんの顔が宗匠づらになりよった
われはあほか
俳句には季語ゆうもんがないとあかんのや
春には春の秋には秋の花が咲きよるやろ

春夏秋冬
のんべんだらりのおれ
花の名前も知らへんかった
念仏のような俳句がなんぼのもんや
おんじゃんの腹巻の中へ突っ返してやった
ほしたら宗匠はきんたまかきながら
口をぱくぱくしとったもんや

五七五や
たったの十七文字や
われはそんなんもでけへんのか言うて
大根でも切るように切って削って
言葉を五七五に揃えようとしとった
ほんでもって言葉がだんだん少のうなって
俳句ひとつぶんくらいになってしもた
それがおんじゃんの一日や
おれの一日も似たようなもんやったけどな

唇がぴりぴりしたら
そのあとどうなるゆうねん
旅に病んで夢は枯野をかけ廻る
とうとう盗作やらかして
おんじゃんを怒らしてしもた
そうやねん枯野をかけ廻ってたんや
おんじゃんの夢もおれの夢も
ほいで四日後におんじゃんが死んでまうなんて
なんでやねん
あほな頭じゃ考えられへんかった

おんじゃんは
辞世の句も残さへんかった
もちろん
フグの毒にあたったんでもない
ほんまにあほや

 

 

 

 

 


桂馬の高とび歩の餌じき

2020年07月21日 | 「新エッセイ集2020」

 

昔は近所に子どもがいっぱいいた。
親戚の家もそうではない家も、いずれの家にも子どもが沢山いた。みんな似通った年齢だったので、ごっちゃになって遊んでいた。ときには大人や老人や犬までも混じっていた。

母の実家は隣にあった。
母が子どもの頃、家は餅屋をしていたので、その名残りだったのだろうか、家の前に大きな縁台があった。餅を買ったり食べたりする通りがかりの客が、その縁台で一服する、そのためのもだったのだろう。
夏の夕方など、その縁台で将棋をする。始めのうちは子どもたちだけで、遊びのヘボ将棋をしているのだが、だんだん大人まで集まってきて、ああだこうだと指図を始める。
岡目八目という言葉もあるが、周りや高みから見ている方が、形勢判断がしやすいようだった。それで周りがうるさくなって、いつのまにか誰が将棋を指しているのか分からなくなるほどだった。

そんな場に父が出てくると、父はぼくの味方をすることになる。
それがぼくは嫌だった。わざと父の指図とはちがう駒を動かそうと必死で考える。自分が思ったように駒を動かしたいのだ。だが父より良い手が浮かばなくて焦ってしまう。
父親がわが子の味方をするのは自然なことだったのかもしれないが、相手にも相手の応援がつく。次第に誰が将棋を指しているのか分からなくなり、勝敗の楽しみも失われていくのだった。

あの縁台将棋の日々は、もう遠い夏の記憶になってしまった。
いつも決まった相手と、決まった手ばかり指しているうち、たぶん将棋にも飽きてしまったのだろう。それに子どもたちも成長し、縁台の夏も忘れられることになったのだろう。
桂馬が歩の餌食になってしまうのは悔しい。飛車手王手はさらに悔しい。飛車はどんなことがあっても相手に取られたくはない。
結局は飛車も桂馬もうまく使いこなせなくて、その悔しさだけが、いまも心のどこかに残っている。

いま将棋の天才が勝ち進んでいる。
おかげで将棋への関心がすこし戻ってきて、棋譜をのぞいてみたりする。プロもアマも飛車は飛車だし桂馬は桂馬、歩もまったく同じ歩であることが懐かしい。でも駒の動きはまったく違う。やはり天才は天才なのだ。棋士は勝っても負けても静かに頭を下げる。そして黙ってお茶を飲む。
ぼくらの、あの縁台は騒然としていたが、それぞれの駒の動かし方だけは覚えた。その駒をうまく使うことまでは届かなかった。いまは将棋でごまかせる相手もいない。



 

 

 


川のある風景

2020年07月10日 | 「新エッセイ集2020」

 

九州の川が氾濫している。
懐かしい川の名前がでてくるたびに、テレビの映像に見入ってしまう。
山の木々が流され、橋が流され、車が流され、家が流されている。
その土地で何十年も生きつづけてきた人が、こんな災害ははじめてだと嘆いている。
川の姿もまわりの風景も、もはや自然の、いつもの風景ではない。
川も風景も、泥だらけ傷だらけになっている。

地図に記された幾筋もの川が、浮き上がった静脈のようにみえる。
その中の1本の川こそは、その川の水を飲み、その川の水を浴び、その川の魚と戯れて遊んだ、ぼくの血脈のような川、である。
川は、少年の日のぼくの風景、ぼくの心の故郷そのものとして、記憶の野を流れつづけている。だから今、どんなに暴れていても、川は生き物のように懐かしい。
たぶん、川はいま病んでいる。

その川の名前は、玉来川(たまらいがわ)。
とくに美しい川でもなく、大きな川でもない。
阿蘇の外輪山に降った雨水を元とする、小さな流れが源流である。そこから高原を東へとなだらかに下りながら、途中でいくつかの川を吸収したのち、玉来という古い街道に沿うように流れ込んでくる。そのあたりの川を玉来川と呼ぶ。
古代の大阿蘇の溶岩流の流れをたどるように、川は流れているようでもあった。しばしば噴火性の白い軽石が川面に浮いて流れていた。川底の石も、軽い石と重い石があった。軽い石は簡単に割れる花崗岩だった。

玉来(たまらい)という地名は珍しいかもしれない。
民俗学者の柳田國男も「豊後竹田町の西一里に玉来という町がある。湯桶訓(ゆとうよみ)の珍しい地名であるから、その後注意しているがいまだ同例を見ない。」(『地名の話』)と述べている。
同地名の語源について、狩りのために人が集まった場所「狩溜ライ」だと推理している。集まることをタマリと言い、阿蘇の地方では「リ」を「ライ」という風があったので「タマリ」が「タマライ」となったものだという。
いつの時代か、阿蘇の広大な裾野であった玉来のあたりでは、狩人が集まって盛んに狩猟が行われていたのだろうか。

また、地元の伝承を記録した『竹田奇聞』という古い書物には、700年ほど前の志賀氏が統治していた時代の話が載っている。
地元の豪族・入田丹後の守の城下町として賑わっていた頃のある夜、2個の隕石が後藤某の庭に落ちてきた。天から玉が降ったというので界隈の評判となり、「何かの吉兆祥瑞」ということで、その玉を裏の川で洗った。それから町名を「玉洗」と名付け、後に「玉来」となったという。

吉兆祥瑞の玉を洗った川で、芋の子のようになって小さな体を洗って遊んだ子供時代。その水の匂いと冷たさは、ぼくの体の芯から抜けることはない。
子供の頃も、玉来川が氾濫することはあった。
四軒家というは川のそばにあったので、洪水になると家が水に浸かっていた。だが、その辺りは川幅が広くなっていて家が流されることはなかった。
中学校も川のそばにあった。台風の時など校庭が増水した川に吸収されて、校舎だけが浮島のように孤立していた。水が引いたあとは生徒全員が駆りだされて、荒れたグランドの整備をさせられたものだった。

のちに、父の店も大きな水害に遭っている。
その時はJRの鉄橋も流され、橋のそばの民家も流されて死者が出た。
家の裏の石垣の上に避難していた父は、雨戸や家具が軽々と濁流に浮いて流されていくのを見ていたのだが、大事にしていた釣竿が浮いて流れるのを見つけると、それだけは必死で掬いとったという。
店の商品はぜんぶ流されてしまったのに、釣竿だけが手元に残った。そのときの父の行動は、何がそうさせたのだろうか。もしかすると商売よりも釣りの方が、父にとっては生きがいだったのかもしれない。
年のせいもあったが、そのあと父の商売は長くは続かなかった。

川はときには生き物のように暴れることがある。だが、いまも記憶の中の川は、変わらずに静かに流れつづけている。

 

 

 

 


雨がひどく降っている

2020年07月04日 | 「新エッセイ集2020」

 

この雨はもう止まないのかもしれない
街も道路も車も人も水浸しになっている
ほんとに誰かがバケツの水をぶちまけたのだろうか
梅雨の終わりには雨の神さまが
バケツの水を空っぽにして騒ぐのや
そう言ってた祖母は
とっくに雨よりも高いところに行ってしまったが
バケツの水で溺れかかった父も
いつのまにか雨の向こうへ隠れてしまった

裏には山があり前には川がある
年老いた母がひとりぼっちで泣いている
家財道具を2度も川にさらわれた
タンスが流れてゆくのを呆然と見ていた父が
海釣りの竿が浮いているのを見つけて
慌ててどろ水のなかに飛び込んだ
がらんどうの家のなかに残ったのは
壊れた冷蔵庫と釣竿だけだった
あれから父は黒鯛をなんびき釣っただろうか

生き残った人間だけが水浸しになっている
母が川の音を聞いている
山の音を聞いている
誰も帰ってこないと嘆いているだろう
雨が降らなくても嘆いているだろう
黒い電話器が鳴っている
母はベッドからゆっくりと体を起こすだろう
急に起きたので貧血でぼうっとしているだろう
痛い痛いと腰をさすっているだろう

黒電話まであと数歩
それともすでに
水に流されてしまったか
電話の呼び出し音は続いている
雨も降り続いている

 

 

 

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