風の記憶

≪記憶の葉っぱをそよがせる、風の言葉を見つけたい……小さな試みのブログです≫

動くことば

2018年03月28日 | 「新エッセイ集2018」

 

日ごとに桜の花が満開に近づいている。
ユキヤナギやレンギョウも桜と競うようにして咲き誇っている。沈丁花もどこかから季節の香りを漂わせてくる。春に向かう自然の勢いに圧倒される。季節が大きく動いていることを実感する。

動くといえば、ある時期かなり熱中して、自作の詩を動画にして遊んだことがある。
言葉を動かし、言葉に絵(写真)を添えて動かしてみる。それに音楽を加えるとさらにイメージが広がり、意図しないものが創り出されて楽しかった。
言葉を離れて勝手に動いていくものがあった。勝手に動いていくから、それは自分の意図を超えたものであり、予期しない新しいことを発見できたりした。

詩を書くということは、言葉で何かを表現することだが、言葉にこだわりすぎると、なかなか言葉を超えることができない。自分の言葉の中で小さく収まってしまう。自分なりの意味づけをしてしまう。この悪癖から、なんとかして逃れたいともがき続けてきた。

言葉から解放されたい。
外からやってくる言葉ではなく、自分の内から湧き出してくる言葉が欲しい。まだ言葉になりきれていない言葉、曖昧な形のものを言葉に変えていく。言葉に近づけていく。言葉から解き放たれようとして言葉に近づいていく。とても矛盾した行為をしているのだった。

定着しても、なお動き続ける言葉を見つけたい。それは、言葉から解放され、同時に言葉を解放することでもあると思う。
森羅万象動くものばかりに取り囲まれている。動いているものを、動いているままに見つめ、捉えることはできないものだろうかと考える。
蕾から花へと、自然は大きく動いている。そんなまわりの動きを、ただ黙って見つめていることしかできないのは、実にじれったい気分だ。
春は、こころの躍動についていくのが難しい。

 


小さな旅立ち

2018年03月23日 | 「新エッセイ集2018」

 

見過ごしてしまうところだった。
眼を凝らさないとわからないほどの、小さいが凄まじい蠢きがおきていた。
ベランダの蛾の卵が孵ったのだ。

幼虫があまりに小さいので、虫メガネを通して見ないとわからない。
鉛筆で点を打ったような小さなものが、無数に見えない糸を引いてぶら下がり、風に吹かれて揺れている。よく見ると、点の幼虫はくの字になったり、しの字になったりしてくねっている。
強い風が吹いてくると、点の一団はどこかへ吹き飛ばされてしまう。するとまた、つぎの一団が降下部隊のように下りてくる。
そのようにして、小さな生き物の旅立ちが2日間つづいた。

風に飛ばされた幼虫はどこへ行くのだろうか。
どこかの草の上か土の中へ落ちて、鳥や虫に食われたりしながら、幾匹かは生き残るのだろうか。風まかせの旅立ちのすえに、翅の形を得て、やがて再び風にのる日がくるのだろうか。
ゴミのように小さな命の、あてどない行く末を思っている。

桜も咲きはじめた。虫も人も旅立ちの春だ。
いつかの春、ぼくもゴミのように旅立ったひとりだ。ゴミのように生きて、いまもまだゴミのままだ。
蛾という漢字は虫と我が合体したものにみえる。虫が我に返ったとき蛾になるのだろうか、などとこじつけてみる。ぼくもまた、もういちどゴミの中に我を探してみよう。春だから、できるならば新しく生まれてみたい。
いまは風まかせの小さな蛾の幼虫が、自らの意思で風にのる。そんな季節が始まっている。そのさきは風の物語だ。

 

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散文を行分けすれば詩になるか

2018年03月18日 | 「新エッセイ集2018」

 

ネットなどで最近、若い人たちの書いたものを読んでいると、センテンスが短くて改行が多く、さらには行間の空きなども多くとった文章が目立つ。一見すると詩のような形をしているのだが、読んでみると普通の文章なのだ。
文章の内容を別にして、読みやすい文章であることは確かだ。パソコンや携帯などでメールするときの文章の影響だろうか、話し言葉に近い。文学史上でのかつての言文一致体の動きに似たものが、いままた新しい形で始まっているのだろうか。
文章の形も詩に似ているが、もしかしたら内容的にも、詩に近いものを伝えているのかもしれない。彼らの文章は情報を伝えることよりも、気持や呼吸を伝えることに優れているようにもみえる。その面からみても、情感を重んじる詩という文学形式に近いともいえる。

現代では、一般的に詩は敬遠される。
詩であるというだけで、なにか難解なものを読まされるような気がしてしまう。書かれた言葉の裏まで読まないといけないような、ある種の緊張感を強いられるのだ。
そんなしんどいものに、普通は誰も近づきたくはない。ぼくの場合は、詩と触れ合う機会が多い方だと思うが、それでも詩を読むよりも、小説やエッセーを読むことの方がリラックスできる。
しかし、多くの人にそっぽを向かれながらも、詩と分類される文学ジャンルは存在し続けているし、ぼくはしばしば詩や詩のようなものを書きたくなる。
もちろん普通の文章も書く。詩を書いたり散文を書いたりしていると、詩と散文とどう違うのだろうかという疑問に突き当たる。実のところ、詩と散文に明確な区別はあるのだろうか。

ぼくたちは日常、散文あるいは散文系の言語形式に慣れている。詩のかたちには慣れていないのだ。だが、
「散文がどんな場合にも人間の心理に直接するものなのかどうか。そのことにも注意しなくてはならない」と、現代詩作家の荒川洋治氏も書いている。「詩を思うことは、散文を思うことである。散文を思うときには、詩が思われなくてはならない」(『詩とことば』)と。
いかなるものであっても、読む人の心に通じる真理を含むものであれば、それは素晴らしい散文であり詩であると言えるのだろう。それでぼくも、すこしだけ散文のことを思いながら詩のことを思ってみることにした。

 

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英文のおみくじは「Very Good」

2018年03月13日 | 「新エッセイ集2018」

 

観光パンフレットを整理していたら、道後の伊佐爾波(いさにわ)神社で引いた英文のおみくじが出てきた。
すっかり忘れていたので、改めて興味をもって読み返してみる。おもてが英文で裏が日本文になっている。
同じおみくじでも、わが家の近くにある神社のおみくじは漢文で表記されている。四国と大阪、なにか文化のちがいでもあるのだろうか。
もともと日本文であっても、おみくじの言葉には曖昧な部分があるのだが、外国語である英文や漢文でも、しつかり読みとれない曖昧なところがあるからこそ、雲がかかった神の言葉が宿っているともいえそうだ。限定しない言葉の裏に、ひとは夢をもってしまうのかもしれない。

始めに歌が載っている。カミサマもやはり平安文化を継承している。
「Past their best are the cherry blossoms in the garden, falling to the ground with the rain in the setting sun.」。
元の歌の日本文は「桜花盛りはすぎてふりそそぐ雨にちりゆく夕暮の庭」とある。英文表記はただ情景を述べているだけにみえるが、和歌の方は音律があるので、それだけ美しい情緒を感じてしまう。
だが、おみくじの内容としてみると、花の盛りが過ぎて、雨に散りゆく夕暮れの庭ときては、なんだか淋しい風景がみえる。

花の盛りが過ぎたのだから、これはもしや「凶」ではないかと暗い気分で次をみると、
「Your Fortune」(運勢)は「 Very Good」とある。Very Goodとくれば大吉かと思ったが、裏がえして日本文をみると「中吉」だった。
それでは、英語で大吉はどんな表現になるのかと考えたが、Very Very Goodくらいしか思いつかない。とりあえず関心のあるところだけ読み返してみることにした。

「Wish」(願望)は、「Someone will help you realize your wish. Take it easy.」。日本文は「他人の助けにより望み事叶ういそぐな」とある。他人の助けで何とかなるってことらしい。自力では何ともならんということでもあろうか。おまけに「いそぐな」とまで念押しされる。
「Love」(恋愛)は「Control your feeling.」。日本文は「自己を抑えよ」とある。ビートルズの「I've got a feeling」ではないけれど、Feeling が合うってことがLove じゃないのか。「抑えよ」とはいかにもジャパニーズすぎる。いつも抑えて抑えて片思いばかりの身には、すこしさみしい。

ワンモアおまけで、「Illness」(病気)にも目を通してみる。「You'll recover from it. Be faithful.」。日本文は簡潔に「信神せよ治る」とある。「信心」ではなくて「信神」ときた。しっかり神を信じなさいということだろうか。さすが、神社のおみくじの言葉だと感心した。
古いおみくじだから賞味期限はとっくに過ぎているだろう。だが、バイリンガルに神の言葉に接してみると、ダブルでご利益を授かったみたいだ。Very Good! Very God!かしこみ、かしこみ。

 


道後のぶんぶ(湯)で泳ぐ

2018年03月09日 | 「新エッセイ集2018」

 

姪の結婚式で四国の松山に行ったことがある。
ぼくにとっては漱石と子規の松山でもあり、四国行きはこころ浮き立つものだった。
漱石と子規は親友だった。神経を病んでいた漱石を気遣って、子規が松山中学の先生の職を用意して漱石を呼び寄せた。その松山である。温暖な風土とのんびりした人情の町は、漱石の病いを癒すのには最適な土地だったのではないか。快癒する中で、漱石は都会と辺境との文明の落差に戸惑いながらも、そこから『坊っちゃん』という、ユーモアとシニカルに満ちた文学作品を生み出したのだった。

明治の日本は、虫のように触角を伸ばしていた。
その触角の先にはヨーロッパがあった。かつての遣唐使のようにロンドンへ遣られた漱石は、文明の先端を真面目に吸収しようとして苦闘し、心身ともに疲れ果てた。
文明という怪物は、研ぎ澄まされた刃物を持っていた。人が集まる都会では、文明が生み出す便利さや速さというものは、人が生き易いためだけにあるのではなく、ただ欲望を満たすためにあったりもする。都会人は刃物の先っちょで生きているようなものだから、しばしば傷つかなければならない。文明の先端は、とても生きにくく疲れる環境でもあったのだ。

漱石が癒された松山の1年間は、ぼくにとってはたった2日間の松山だった。
ぼくの神経もそのころは少々傷みかけていた。だからぼくは城山のカラスになって、せっせと道後の湯(ぶんぶ)に通った。
道後温泉本館の建物は、漱石が通っていた頃は、ちょうど新築されたばかりだったはずだ。それから百年以上もたっているから古い。
建物が古いということは、中にこもっている空気が違う。時間が淀んで後戻りし人の呼吸もゆっくりになる。漱石の時代までタイムスリップできれば、かなりのんびりとくつろげるはずだ。聖徳太子も浸かったというお湯だから、その気になれば千年以上の時空を超えることだって不可能ではない。
浴室の壁には「坊っちゃん泳ぐべからず」と書かれた木札が架かっていた。そんな木札を見ると、坊っちゃんならずとも反骨心が煽られて、しばし道後の湯と戯れてみたくなるのだった。

愛媛とは不思議に縁がある。娘の相手も愛媛の出身だし、ぼくの母方の祖父は今治出身の人だった。
祖父の名字は珍しい方だと思うが、以前に『今治の歴史』という本を読んでいたら、ある城の城主に祖父と同じ名字があった。もしかしたら先祖は城持ちだったのかもしれない。城といっても大阪城や姫路城を想像してはいけない。かつて今治には城が40余りもあったそうだから、せいぜい庄屋屋敷程度のものだったにちがいない。
それも400年ほど昔の天正の陣で、秀吉の軍勢にことごとく踏み潰されてしまったのだから、どのていど交戦できる武力があったんだか。祇園精舎の鐘の声、ただ春の世の夢のごとし……、そのとき、伊予の国主河野氏も滅んでしまったという。

あかん。温泉に行ったんじゃなかった。結婚式に行ったんじゃった。
幸せな新婚カップルは、ハワイの海で手をつないで泳いだにちがいない。若い河野水軍の末裔は泳げばええ。海賊は海で泳ぐ、それでええ。
傷ついた文明人は、ただただ、道後の湯(ぶんぶ)で泳ぐ。
「泳ギヲ知ラヌ者ハ動物デ無イ」と、漱石先生もおっしゃったぞな、もし。

 

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