風の記憶

≪記憶の葉っぱをそよがせる、風の言葉を見つけたい……小さな試みのブログです≫

神々を探したころもあった

2015年12月27日 | 「詩集2015」

冬至も過ぎた。
これから少しずつ光が満ちてくるのだろうか。
まだ天体の不思議も知らなかった古代人は、次第に光が失われていく天然自然の変化に、大きな恐れを抱いてはいなかっただろうか。
寒くて暗いと、気持ちは沈んでいくし、体の力も失われていくように感じる。なにか熱いものや光るものを求めてしまう。目に見えない恐怖から逃れるために、目に見えない力を求めたくなってしまう。
それは神といわれるようなものだったかもしれない。神というほど崇高なものではなく、もっとひとやけものの近くにいる、神様といわれるようなものだったかもしれない。
この季節になると、だんだん古代人のこころに近づいていく。いや、そういう頃があったことを思い返すことになる。

最近は、正月くらいしか神様と向き合うことがなくなった。
いつからか、すっかり神様から遠ざかってしまった。すでにこの世にいない親と同じくらい、神様のことを遠くに思っている。ぼくのそばから、いや、ぼくの中から神様はいなくなったのだろうか。ふと、そんなことを考える。
ひとは言葉で神様に祈るが、そのとき神様からの応えがあるとすれば、それは言葉ではないもので返ってくるのだろう。
ぼくはときどき詩を書くが、詩の言葉は、日常の意識よりも深いところから生まれてくるように思う。たぶん詩の言葉というものも、神様の領域の近くにあるものかもしれない。詩の言葉になかなか手が届かないのは、神様との間に距離ができてしまったことと、どこかで通じるものがあるかもしれない。
詩神という言葉がある。詩の神様もきっと深い森の奥にいるのだろう。詩の言葉をさがすということは、神様をさがすことかもしれないのだ。
けれども詩の神様もまた、深い森の奥に隠れてしまったままだ。


*北の神様*

北の国アイヌの世界にも神様はいた。
アイヌ語では神様はカムイと呼ばれたが、われわれが考える神様とはすこし違うようだった。神様を表現するカムイという言葉に対して、アイヌという人間を意味する言葉があった。アイヌとカムイのふたつの世界があった。アイヌ人にとっては、人間以外のものはすべてカムイ(神様)だったのだ。
カムイとは、人間にないような力をもったものすべての総称だった。それは梟や狐などの生物だけでなく、一木一草、山や川、風や太陽、さらには天然痘などの病気までがカムイだった。アイヌ人は、神様に取り囲まれて生活していたのだ。
カムイとアイヌの関係は対等だった。お互いに持ちつ持たれつの関係とみられていた。人間からみれば自分勝手な考えのようだが、狩猟民族であるアイヌが、飢えから逃れるための生きる知恵だったのだろう。
神と人間が対等であるということは、人間は神の罰を受けると同時に、神を罰することもできるということで、たとえば子どもが川で溺死したりすると、川の神様の不注意だということで、人間は川の神様を糾弾したという。
アイヌの世界では、人間と神様は日常の中でともに暮らしている、ごく近しい関係だったようである。


*山の神様*

「倭(大和)は 國のまほろば たたなづく 青垣 山隱(こも)れる 倭しうるはし」
倭建命(やまとたける)が遠征からの帰途の最期に、郷里の大和を偲んで詠んだ歌だと伝えられている。
白鳥になった倭建命の魂は、大和の隣りの河内の国まで飛んで戻ったとされている。たたなづく青垣の大和の国までは帰れなかったのだろうか。
古代の人々は、奈良の大和平野を囲む山なみを青垣と呼んだ。その青い垣根の南東部に鎮座するのが、なだらかな円錐形のかたちをした三輪山だ。標高は500メートルにも及ばない低い山が神の山とされる。
三輪山そのものを神体とする三輪神社には、本殿はなく拝殿のみがある。神は神社にいるのではなく山にいるのだ。山が神であるとする古代信仰の形を残す、日本最古の神社であるといわれている。
ご神体である山を覆う松や杉、檜などの大樹はすべて神が宿る木とされ、斧は一切入れないそうだから、古代の神はいまも安泰かもしれない。
山はただそこにあるだけで懐かしく、こころが慰められるものだ。大いなる自然の力だろうか。それは言葉やかたちではなく、目には見えず空気のように触れてくるもの、日本人が古代から信じ続けてきたものがあるようだ。神を信じる信じないは別にして、そこには神様と呼べるような何かがあるにちがいなかった。


*森の神様*

ぼくの森も冬だった。
木々の葉っぱは散りつくして、細い枝の先には漠とした空がすけて見えるだけ。森といっても、ぼくだけがそう呼んでいるのであって、そこが森だなどという人は誰もいない。だからそこは、ぼくだけの森でもあるわけだが、冬は格別にわびしい。シカもリスもいない。ヘビくらいはいるかもしれないが冬眠中なので、この森の中で動くものは小鳥だけしかいない。そんな森だった。
サワグルミやトチノキ、ヒマラヤスギなどの大木も幾本かはあるので、そこが森であると錯覚することは容易だった。錯覚とは夢に似ていて、ぼくの日々は錯覚することで、幾分かの生活の充実感を味わっているようなものだから、この森はある意味、ぼくの生活の象徴でもあったといえる。それは森でもあり、森でもない。生活でもあり、生活でもない。そんな幻想にちかい森だった。
そのころ、熊楠の本を読んでいた。熊楠とは南方熊楠(1867-1941)のことで、和歌山の熊野の森にこもって粘菌の研究をした学者のことだ。
熊楠の森に比べると、ぼくの森など、恥しくてすぐに消えてしまいそうな森だけど、熊楠の深い森を想うとき、ぼくの森はより広大な、無限の森へと拡がっていくのだった。
熊楠は、「粘菌は、動植物いずれともつかぬ奇態の生物」とみていた。この「奇態の生物」は、生きているかとみれば死んでいる。死んでいるかとみれば生きている。動物のように捕食活動もした。
このような粘菌の不思議の中に、彼は生命の神秘を見、さらには仏教的な輪廻の思想にまで接近していった。熊楠にとって、熊野の森は単なる森ではなかった。森の中にいるとき、熊楠は真に生きていることを実感していた。
森は、真性に出会える聖域として、日本人が古代から手つかずで護ってきたものであり、神の鎮まる場所だった。その森の深くで、熊楠は実存の輝きを見つめていたのだ。彼の森は、神そのものでもあった。
ぼくの貧しい森を散策しながら、ぼくがいつも考えていたことは、熊楠の森はいまも生きているのだろうかということだった。真に森が生きていなければ、森の神様も存在しないだろう。古くから日本人が持っていた宇宙的な宗教感覚が目覚めるとしたら、あらゆるものが有機的なつながりをもって生きている、そんな森がなければならないと思うのだった。


*星の神様*

ある詩人の書いた本に出合ったのは、満天の星空の中に、偶然ひとつの星を発見したようなものだったかもしれない。
彼の名前は山尾三省。年譜によると、彼は1977年に一家で屋久島に移住し、それから2001年に63歳で亡くなるまで、ずっと島での生活を続けたようだった。屋久島の原生林や海や風と向き合いながら、彼は哲学的宗教的な思考を深めていったようだ。
彼は書いている。
「ある種の岩なり草なり木達が、実際に声を放って語りかけてくるわけではない。草や木達、特に寡黙な岩がなにごとかをささやきはじめるのは、こちらの気持が人間や自我であることを放棄して、その対象に属しはじめる瞬間においてのことであり、実際にはこちらの胸におのずから湧き起こるこちらの言葉として、それはささやかれるのである」(『森羅万象の中へ』)。「ぼく達は、そのような岩達の無言の声に導かれて、なぜかは知らぬが、より深い生命の原点と感じられる世界へとおのずから踏み入っていくのである」と。
そのようにして、森羅万象の中から三省が見つけ出したものこそ神だった。彼はそれを、カミと表現した。
「太古以来、地上のすべての民族がカミを持ちつづけてきたのは、カミというものが「意識」にとって最終の智慧であり、科学でもあったからにほかならない」。「「意識」に支配されている人間という生きものは、自分の根というものを持たないと、深く生きることも安心して死ぬこともできない特殊な生きものである」。
彼にとっては、彼が焚きつける五右衛門風呂の焚き口で燃える火もカミであった。「火というカミは、教義や教条を持たない。また教会も寺院も持たない」。彼のカミとは、そのような神だった。
やがて三省の意識は、銀河系や太陽系の宇宙へと広がっていく。彼は夜空の星座に向かって、「あなたがぼくの星ですか」と問いつづける。そして死の間際になって、彼の意識が還っていける、母星ともいえる自分の星を見つけることができた。自分そのものでもある星を持つことができたのだった。それは彼の究極の「星遊び」(沖縄の言葉)でもあった。彼は星の輝きに永劫を見たことを確信する。
「星は、眼で見ることのできる永劫である。この森羅万象は、永劫から生まれて永劫に還る森羅万象であるが、星はその永劫そのものをぼく達にじかに光として見せてくれるのである」と。
彼は、祈っている自分自身の状態がいちばん好きであると、詩の中で書いている。

    僕が いちばん好きな僕の状態は
    祈っている 僕である
    両掌を合わせ
    より深く より高いものに
    かなしく光りつつ祈っている時である

そのように、かなしく光る星は、今もどこかで輝いているのだろうか。










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サバイバルゲームの木

2015年12月18日 | 「詩集2015」

秋は
さよならの声にとまどう
一本の木だった
小さな葉っぱは小さなさよならを
大きな葉っぱは大きなさよならを
掌のような葉っぱは
手を振りながら

さよならした
葉っぱの青空から
たくさんの風の声が降ってくる
木の耳を伝って
はるかな中空から地中へと
水がしたたる音もする

すっかり軽くなって
葉っぱは木ノ川を流れていく
物語の始まりは
小さな一本の木だった
大きな風の手で植えられた
小さな木だった
そして物語の終わりも
一本の木だった

ふたたび物語が始まる
その日まで
北風が語る夢のつづきを
木はじっと聞いている








ラヂオの声が遠くから聞こえた

2015年12月08日 | 「詩集2015」

深夜のラヂオを抱きしめる
真空管がぴいぴい鳴る
5球スーパーマジック付
温かくて懐かしい冬のにおい
なかなか合わないダイヤル
逃げまわる電波を
けものの耳が追いかける

波の音が聞こえる
ニュースも音楽も
揺れる小舟に乗ってやってくる
世界というものは遠いところにあるようだ
光のような明るい声が
夜の弦をふるわせる

砂のような
雑音にくるまれた未知の言葉を
拾い集めていく
小瓶の中のかすかな煌めき
夜を明るくするのは
始まるかもしれない予感ばかり
虚ろなのに頭だけが熱いのだ

冷たい線路に耳をあてる
汽車は遠くを走っている
旅のトンネルをいくつも抜けて
やがて山を越えてくるのだろうか
そんな風景のなかで
古いラヂオが鳴りつづけている

波のように押し寄せてくる
波のように遠ざかっていく
残されたものは
無音の中をひたすら漂っている
夜になるとラヂオのスイッチを入れ
やがて捨てられる短い闇を
ひととき抱きしめる