風の記憶

≪記憶の葉っぱをそよがせる、風の言葉を見つけたい……小さな試みのブログです≫

ひとさし指がしめす先には

2021年11月23日 | 「新エッセイ集2021」




誰かに何かを指し示す ほらあれだよとか あそこにあるものとか あっちへ行けばとか あのようにしたらとか あるいは観念として 自分自身の指針を確かめるとか いつからか そのようなことは少なくなったが ひとさし指で何かをさし示す その自分の指の形に ふと父の指先を見ることがある 自分の手に父の手を見たり 咳払いをするときも 父の咳払いを感じることがある 父の咳払いは勢いがあったし 父の手は大きかった 父は背も高く 僕よりも1センチ高かった 体形は痩身であったが 華奢ではなく 骨太でしっかりしていて 背筋もしゃんと伸びていた 足も大きくて 父の靴はいつも 僕の靴を威圧していた 子供の頃は 父の大きな声が怖かった 僕を呼ぶ父の声が 今でもときおり聞こえてきて 僕は思わず緊張してしまう とっくに この世には居ない父の 声をもう聞くことはないのだが 記憶の中で 父の叫び声は続いている 泣いてはいかん 好き嫌いを言うな 言いわけをするな もっと早くしろ おりおりにさまざまに 父の声が 背中から追いかけてきて つい足早になる 18歳で父の元から離れたが その後もずっと 父の声はどこからか どこまでも追ってきた そんな父は86歳で死んだが その死に方も潔かった 前夜ヒゲを剃って床についたが そのまま朝は来なかった 死に方においても 生き方においても 父を凌駕することは難しそう 父は80歳で店の看板を下ろした 僕は60歳で力尽きた 金を稼ぐことにおいても 父に負けた この20年のハンデを どう克服するか いくら考えても 泣き言しか出てこない すると即座に 泣いてはいかん 父の声が聞こえてくる この泣き虫をどう退治するか あるいは折り合いをつけるか そんなことを考えていると 父のひとさし指が見えてくる 何かを指さすとき はっとして自分のひとさし指に 視線が止まってしまう それは 僕のひとさし指であるが 父のひとさし指でもある と見えてしまう その指の先にあるもの それは 僕が示しているものなのか 父が示しているものなのか ほんの瞬間ではあるが 錯覚してしまう指があり しばし指の先が霧にかすみ 指の先が迷っている


父の帽子




冬の風は歌を知らなかった

2021年11月15日 | 「新エッセイ集2021」

 

風が吹いている 雲が重そうに流れている 鳥も吹かれて飛んでいく 枯葉がはしる音がする マスクを外すと 冬の匂いがする なにかを運んでくるのは 何か 重そうだが軽いもの 土俵の櫓だけが残っていた 小学校の校庭の端っこの 土手の枯草にすわって 日向ぼっこをしていた頃 晴れたり曇ったりの 雲のいたずら 太陽を隠してやろうか すこしだけ出してやろうかとか 冬の日差しはそんなもので わずかな温もりを かじかんだ手で取り合っていた 喧嘩でもなく遊びでもなく ドウクリなんて言ったかな 漢字で書けば胴繰りかな 子犬のようにじゃれ合ったり 木造校舎の 吹きっさらしの廊下の 教室の古いオルガンは 板の重いペダルを踏んでも 音が出たり出なかったり 風は歌を知らないのか それとも風そのものが歌なのか やたら廊下を走り回っていたのは 風だったか風の子だったか 銀杏の葉っぱを輝かし 銀杏の葉っぱをさんざん散らし 少年老い易く学成り難し パン屋のマエダくんも 材木屋のヒロ坊も 心に太陽をもったまま みんな何処かへ行ってしまった 霜柱の道はもう無いけれど タロウもジョンも居ないけれど いつかの朝は いつもやって来る そしてときどきは マエダくんもヒロ坊もやって来る 少年のままの野球帽をかぶって 寒そうに襟を立てて 風に吹かれながら そのまま風と共に去りぬ なんだかなあ 今朝の風は干し柿の あのワラの匂いもするなあ 深くて大きな米櫃の底に おばあちゃんの内緒の熟柿が とろりと甘くて冷やっこくて あの家の北側の棚に ぽつんと残されていた 土人形の冷たい記憶なんか いつから其処にそのまんま 置かれたまんま だったのか いまは誰も知らない






 


ひたすら空を飛んでみたい

2021年11月07日 | 「新エッセイ集2021」

 

ブログにカラスのことを書いてから カラスのことが好きになった というか カラスのことが気になってしようがない それまでは あまり好きな鳥ではなかった というよりも 嫌いな鳥の部類だった 真っ黒で面白くない羽の色や 大きな嘴や可愛くない鳴き声 ゴミやケモノなどの死骸をあさる姿など どれをとっても好きにはなれなかった だが空をゆったりと飛ぶのを見ているうちに ああ あのように飛べたら気分がいいだろうなあ 行きたいところに 好きなように飛んでいける 今ごろは金木犀の風がおいしいし 雲も様々に変化して綺麗だし その中を飛翔するには カラスはちょうど良い大きさだし 夕映えの雲の背景を活かすには 黒い羽も悪くはない そんなことを考えながら ぼんやり空を眺めることが多くなった さらに高じて もっと大きな鳥のような 飛行機を見るのも好きになった 西の空から現れて東の空へまっすぐに 雲を切りながら飛行する物体に見惚れる 小さく見えるが実際は大きい そんな大きなものが人をいっぱい乗せて 雲の上を飛べるなんて いまでも信じられないが それでも飛んでいるんだから それはもう 僕の想像力の外を飛んでいるので そのことは 手の届かない夢のようなもので 僕の頭の宇宙は だんだん真空になっていき まさに天空の領域に近づいていく ついにはユーチューブに 飛行場のライブ映像があることを知り 関空や羽田空港 成田や新千歳空港 福岡空港や那覇空港と いろいろな空港をサーフィンすることに 美しく巨大なフォルムが ゆっくりと滑走路を滑走する エンジン音が高くなり 次第にスピードが上がって この巨体がうまく持ち上がるか その瞬間の興奮がマックスになったところで 嘘のように軽く地面から浮き上がり 空に向かって斜めになって 機体はどんどん高度を上げ 地上の風景を大きく引き離し あっという間に雲を突き抜ける 気流にのって大きな翼が揺れ 白い雲を引きながら 地図のようになった街を俯瞰し 地形図のようになった山々や海や島々を ゆっくり眼下に流していく ふと我にかえると 機影はだんだん小さくなって 遠く一羽の鳥になっている それを眺めているのは あるときは ベランダの僕だったり 公園の僕だったり どこかでカラスが鳴いていたり