風の記憶

≪記憶の葉っぱをそよがせる、風の言葉を見つけたい……小さな試みのブログです≫

終わりはなく始まりばかり

2016年12月28日 | 「詩集2016」

今年もあとわずかになりました。
やり終えたことややり残したことなど、また、やり終えたと思っていてもやり残していたり、やり残していると思っていても勘違いだったり、要するに、よく分からないまま、また1年が終わろうとしているようです。
だから1年を総括しようなどとも考えないし、この1年は再びだらだらと次の1年に続いていくことになるのでしょう。どこまでも終わりはなく始まりばかりのようです。
とりあえず詩集の整理と加筆修正などは一段落したので、次はこれまでに書きためたエッセーや、日記風の日常雑記などの見直しや整理に取りかかるつもりにしています。

こんな自己満足のようなブログに、貴重なお時間を割いてお付き合いいただきました方々には、心からお礼を申しあげます。
ありがとうございました。
引き続いてお付き合いくださいますよう、よろしくお願い申しあげます。



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ライフ

2016年12月21日 | 「詩集2016」

1日がはやい
1週間がはやい
1か月がはやい
1年がはやい
神さま早回しはやめてください

それなのに
3秒はおそい
3分もおそい
明日もおそい
良い知らせはもっとおそい

越冬する蝶の
時計は夜中の0時で止まっている
昨日でもなく明日でもなく
思い出したり忘れたり
花びらの夢を乱舞している



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かたちになるまで

2016年12月12日 | 「新詩集2016」

やっと一段落した。
これまでの10年間に書いてきた詩をすべて読みかえし、手を加えたり削除したりして、分類整理する作業がやっと終わった。
あえて廃棄したものもあるし、まったくの別物になってしまったものもある。それで良くなったのか悪くなったのかは自分ではわからない。いずれにしてもひと区切りがついた感じがしている。
誰かに読んでもらうためではなく、また期待して読んでくれる人もいないだろうけれど、次は詩集としての本らしいイメージが熟したら、発行のための準備編集にとりかかることにしよう。
あわせて、これまでブログに書いてきたエッセーや日記風のものも、読み返しながら加筆修正していく予定にしている。
いずれも自己完結な作業だから、はたして形になるものやらならないものやら、まだ仕上がりの目途すらたっていないが、集大成としての自分なりの方向がみえてくることを期待して、苦しみながら楽しみながら進めていきたいと思っている。



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夢の淵をあるく

2016年12月05日 | 「新詩集2016」


  

ながい腕を
まっすぐに伸ばして
陽ざしをさえぎり
さらにずんずん伸ばして
父は
雲のはしっこをつまんでみせた

お父さん
いちどきりでした
あなたの背中で
パンの匂いがする軟らかい雲に
その時ぼくも
たしかに触れたのです

*

  

崖の下から海がひろがる
寄せてくる波が岩に砕けている
風に押し出されそうになって
踏んばる足に力がはいる
まだ奈落に逆らう力がある
それが生きる力であるかのように
勘違いする余裕もあった

崖は陸地と海を切断し
ときには生と死をきり分ける
追い詰められたひとたちが
そこから海へ向かって消えたという

崖はいつも女をまっさかさまにする…

そんな詩のことばが浮かんでくる
なん十年たっても
まだ一人も海にとどかないという
まっすぐに海までの
測っても測れない距離がある

ときには引き返そうとして
ひとは空に向かって
まっさかさまに落ちる
崖の上にも深い海はある

*

  夢の淵

おなじ夢をよくみる
岩場の深い淵に立っている
とても飛び降りられる高さではない
以前にもそんな夢をみた時期があった
どうにでもなれと
思いきって飛び降りてみた
すると崖は
あっけなく消えた

目覚めるために
あしたの詩を書いている
深い淵のように
見えないものがいっぱいある
崖の上に立って投げるのは
言葉ことば言葉
なかなか海までは届かない
夢と現実のはざまで
立ち止まったままでいるから
夢の淵からも
なかなか飛び降りることができない

*

  目覚めよと呼ぶ声がきこえる

黄色い魁の
小さな灯がともる
一日がすこし明るくなる
ひんやりと花の奥にひそむ
はるかな香りに
浮き立つ

夢の中から夢が

花の木の下では
凍えながら眠りつづける
ぼくの蒼白な虫たち
ぽつぽつと灯をともし
咲いては落ちる
無明の音を聞いている



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