風の記憶

≪記憶の葉っぱをそよがせる、風の言葉を見つけたい……小さな試みのブログです≫

瞑想する椅子

2018年04月27日 | 「新エッセイ集2018」

 

近くの公園に、丸い形をした石の椅子がある。
椅子は数個あり、それぞれの座面にいろいろなわらべ唄がプリントされている。そのひとつに座って、ぼくは瞑想もどきをすることがある。
今朝の椅子には、次のような唄があった。

    おさらじゃないよ
    はっぱだよ
    はっぱじゃないよ
    かえるだよ
    かえるじゃないよ
    あひるだよ
    あひるじゃないよ
    かっぱだよ

解るようで解らない唄だ。ややこしい椅子に座ってしまった。ぼくの雑念が始まる。
椅子は一所不動。それ自体が常に瞑想状態にあるといえる。その椅子に腰掛けて瞑想しようとするぼくは、迷走する椅子と対峙し、すぐさま雑念に捉われることになる。
瞑想が極まれば、木の葉が地面に落ちる音が聞こえるそうだが、ぼくの耳に聞こえるのは、はっぱじゃないよ、という雑音ばかりだ。
はっぱでなければ何なんだ。おさらだよ、という声が聞こえる。そして、すぐさまそれを否定する声が聞こえてくる。かえるだよ、あひるだよ、いや、かっぱだよ。あひる、かえる、かっぱ。そうじゃない、あれだ。あれじゃない、こうだ。

視乎冥冥 聴乎無声とは荘子の言葉だったかな。見えないものを見、声なき声を聞けと言われても、見えるものは、目の前の雑草と子ども達が書きなぐった落書きがのこる地面。
ネットで瞑想という言葉を検索したら、ぼくのパソコンでは、まず「迷走」と出てくるのが皮肉だ。これまでどれだけ多くの「迷走」を打ち込んだものやら。そのあと「目を閉じて静かに考えること。眼前の世界を離れてひたすら思いにふけること」とあった。
だが眼前を離れたもう一つの世界は、黄砂の空のずっと彼方にぼやけたままだ。

椅子は冷たく固く、ぼくの尻の下で静かに瞑想する。その椅子が捨てていく、おさらやはっぱの雑念が、ぼくの想念をつぎつぎに浸食してくる。 瞑想しているのは椅子なのか、ぼくなのか分らない。とても硬い石の椅子には叶わない。
ついにはタイムアップ。ぼくは雑念そのものの塊となって立ち上がる。
この雑念を背負って、きょう一日が始まることになる。おさらやはっぱを、今日一日の活力にできるのだろうか。

雑念は濁った水のようなもので、ぼくの体の中を駆けめぐる。
朝から昼へ、昼から夜へ、すこしずつ濾過されて、蒸留されて、一滴の澄んだ水が残るときもある、残らないときもある。 今日という日が残るときもある、残らないときもある。
おさらであるか、はっぱであるか、あるいはかっぱであるか、こうして日々は、雑念の中で雑念と闘いながら過ぎてゆく。

 

コメント (2)

潮の流れに

2018年04月22日 | 「新エッセイ集2018」

 

何日か留守にしていた間の新聞を、あとになって拾い読みしていたら、4月19日は旧暦の3月24日で、壇ノ浦の戦いがあった日だとの記事が目に入った。
およそ800年後のその日、ぼくは瀬戸内海を航行するフェリーの船上にいたのだった。

次々に移り変わる大小の島々の風景が、いま思い返すと無数の船団にもみえてくる。
祇園精舎の鐘の声、平家軍は一ノ谷の合戦に破れ、海を渡った屋島の戦いでも大敗。瀬戸の海を西へ西へと敗走する。そして旧暦3月のこの日、8歳の安徳帝を抱いた清盛の妻二位尼が海に身を投げ、盛者必衰の理(ことわり)、一族の栄華はついに海の藻屑となったのだった。

時の天下の動静が移り変わるように、穏やかにみえる瀬戸内海の潮の流れも定まってはいない。
手漕ぎ舟の時代の舟戦さは、潮の流れを見ることが勝負の決め手となった。
潮を見るということは、月を見るということでもある。月の満ち欠けによって、潮の流れは大きく変わる。とくに瀬戸内海のような小島が多い狭い海域では、場所によって川の激流のようにもなる。いつだったかしまなみ海道を渡ったとき、そんな光景を見たことがある。

旧暦の3月24日頃は下弦の月で、比較的おだやかな小潮。
それでも関門海峡の潮の流れは、大きく動いたにちがいない。午後の1時頃には東へと流れて平家に有利だったのが、3時頃には一転して西へと逆流を始めた。流れに乗るのと流れに逆らうのとでは大きな違いだ。潮の流れに乗った源氏の勢いに押されて、平家の船団は総崩れとなったという。

現代の大型フェリーは、ほとんどコンピューターで操舵されているらしい。
潮も月も関係なさそうだ。予定時刻どおり正確に、瀬戸内海にかかる三つの大きな橋を潜り抜ける。人の力を超えた巨大な船は、目に見えない手によって動かされているようで、暗い夜の海上ではかえって不気味でもある。

真夜中、ごうという音に体が揺り動かされ、とつぜん目が覚めた。遠くで低いエンジン音が響いていたが、船はあいかわらず静かに航行をつづけていた。
大きな波をかぶったような衝撃で起こされたのは、耳慣れないエンジンの音と振動に、寝ぼけた体が異常を感じたせいだったからかもしれない。あるいは夢の中で聞いた、古い海戦の鬨の声だったのだろうか。
眠れなくなって船窓に顔を近づけてみると、そこも夢の続きでもあるかのように、闇の中に半分欠けた月が海に浮かんでみえた。

 


海の道

2018年04月18日 | 「新エッセイ集2018」

 

姪の結婚式があり、九州に帰ってきた。
ぼくの九州への道は、瀬戸内海の海で繋がっている。そこにはいつもの慣れた道がある。遥かなとき海で生きた海賊の血が、細々と流れているのかもしれない。海を渡ることによって、体の中の血も動くような気がする。

航行は夜なので、点在する島々の小さな明かりしか見えない。闇に浮遊する、あやふやな道しるべに誘導されるのが心地いい。
おだやかな潮の流れに浮いて、日常とは違う波動で、夢のなかを西へ西へと運ばれていく。海の道は、遠いどこかへ戻ってゆくような緩やかな夢路でもある。

早朝のもやった海に浮かび上がってくる、山の容(かたち)と風のにおいが懐かしい。深く深呼吸をして、すべての風景を吸い込みたくなる。穏やかな波に乗って山が街が空が近づいてくる。
フェリーのエンジン音がいちだんと高くなって、大きな船腹がすこしずつ岸壁に寄っていく。港の人や車やコンテナや、もろもろを引き寄せているようにも見える。ほとんどコンピューターで航行するという9000トンの巨大な船体が、細いロープで岸壁に繋がれていくおかしさ。ここから海の道は陸の道に切り替わる。
地上に降り立つと、そこから九州の朝がゆっくりと始まる。

快晴。逆光を受けて山が輝いている。知った顔や知らない顔。ひととき、新緑の明るい丘の上に集まる。神父もいない、仲人もいない。セレモニーは若い感覚と熱気で演出され進行されていく。
会堂の大きくて白い壁面がスクリーンとなり、ふたりのそれぞれの成長の記録と、ふたりの出会いとその後のスナップが映し出される。いくどもフェードインし、フェードアウトする。
過去から現在へと、長いカーテンがいっせいに開かれると、戸外がオープンになり、緑色の陽光がとび込んでくる。自然のスポットライトは、ふたりだけで独占するには明るすぎる。高い窓から降りそそぐいっぱいの光が会場に満ちる。

華やぎは、光の中で光を放ちながら始まり、光のように速やかに過ぎる。
木々の緑と風と、花々の輝きとゆらぎと、歓声と喧騒と嘆息と、初夏の季節のように豊穣なざわめきがあった。
最後にふたたび暗転。
壁面にはふたりのスナップを背景に、映画のエンドロールのように、つぎつぎと列席者の名前が映し出される。それぞれが自分の名前を見つけては、きょうのキャストの一人だったことに満足する。そして、感動を共有しながらフィナーレへ。

車椅子で参列した母は、だれの結婚式や、と会う人ごとにたずねる。生まれた時から近くで育った孫の花嫁姿をなかなか認識できない。2階で跳びはねて天井の埃を散らしていた、おてんばな女の子しか知らないと言う。
母の記憶は、とおい過去の波間を漂いつづけている。今日という日に居て、今日に居ない。明かりの見えない海を渡ろうとし始めているのかもしれない。
年寄りの忘却の向こうに、若いふたりの、新しい記憶の始まりはある。
重すぎるほどの楽しい記憶を背負って、沖縄の小さな島へと海を渡る。そこではもう夏の海が始まっているだろう。海の道はどこまでも続いている。

 


妄想のゴミ

2018年04月15日 | 「新エッセイ集2018」

 

朝日を浴びながら公園で瞑想をする。
ぼくの場合は、迷想あるいは妄想といった方がいいだろう。晴れた日は妄想も明るい。明るすぎて眩すぎて雑念ばかりがみえすぎる。

「きょうもお日さんが昇りよったな」と、いきなり声をかけられた。
ゴミを拾って歩くおじさんだ。小さな買い物車に箒などの清掃具を積んで、炭バサミでゴミを拾って歩く。
「生きとるかぎりは元気で居なあかん」
ひとりごとのようでも、ぼくに話しかけてるようでもある、そんな話し方をして笑っていた。

おじさんはいつも、軍歌を歌いながら作業をしている。そういう世代なんだろう。演歌もフォークも素通りして、軍歌のリズムしか受け付けない。そのリズムが体に浸透している。そのリズムの時代と感覚が、いまも、おじさんの背中を押し続けているのかもしれない。
その頃は、食べ物もなかったがゴミもなかったのではないだろうか。いまは食べ物も余っているがゴミも溢れている。公園に散らかっているゴミのひとつひとつが、おじさんには、信じられない落し物にみえるかもしれない。

撃ちてしやまん。そんな古い言葉が浮かんできた。
ぼくの朝の妄想の中で、おじさんは静かに戦っている。生きとるかぎりは、と言う。それはある時代に生き残った人の、強い決意の言葉のように聞こえる。
陽は昇り、陽は沈む。公園のゴミは、拾っても拾っても際限なく捨てられていく。それを、おじさんは黙々と拾いつづける。生きてるかぎり、戦いつづける。
だが戦うおじさんも、ぼくがまき散らした妄想のゴミは拾えない。

 


満開の桜は悩ましい

2018年04月10日 | 「新エッセイ集2018」

 

ことしの桜の花は、季節をすこし早く来て、早くに去った。
あの豊穣な咲き方はなんだったのだろう。すべての枝の先の先まで花を付けて、空を覆いつくそうとした。
その勢いを、黙って見過ごすことができなかった。桜は生きて呼吸して叫んでいるようだった。
その発している言葉を、聞いてやらなければいけないような気持にさせられた。だが、ぼくには花の言葉がわからなかった。

  吉野山こずゑの花を見し日より心は身にもそはずなりにき  (西行)

花と出会った西行は、心と体とがばらばらになってしまったようだ。
花を恋したひとは、すっかり心身のバランスを崩してしまった。「花みればそのいはれとはなけれども心のうちぞくるしかりける」と、わけもなく苦しみの感情が湧き出してきたのだった。それは本当に苦しみだったのだろうか。歓びだったのかもしれない。西行は、そこまで花と交感しあうことができたのだから。

桜の花に魂があるとしても、ぼくにはただ見つめることしかできなかった。百花繚乱あるいは狂乱、ともに狂えそうで狂えなかった。残念に思う。
花を啄む鳥を真似て、桜の花の蜜を吸ってみた。かすかに甘みがあるようだが、やはり鳥のような細い嘴と舌でなければ、その繊細な味には届かなかった。
香りも嗅いでみた。懐かしいがなかなか思い出せない、遠くて淡いものだった。ぼくらは異質の魂を持っているのか、近づけない苛立ちばかりが募ってしまった。

詩人の谷川俊太郎なら、西行のように花と一体になれたかもしれない。
彼は詩の中で、植物の羊歯とも交合できてしまう(『コカコーラ・レッスン』)。
わずかな風に首を振っている羊歯との出会い、「私は言語を持たぬ生物にも或る種の自己表現とも言うべきもののあるのに気づいた」という。
「私はその葉に手を触れずにはいられなかった」。その「指先から安らぎというしかない平明な感覚が伝わってきた。その感覚を失いたくないと思った」という。そうして、
「私の身体の中の私でない生きもの」が羊歯(しだ)との交合を始める。

満開の桜は悩ましい。
その光りかがやく魂に触れたいと思った。だが、ぼくの中のぼくでない生きものが、ぼくには見つけられない。身に添いすぎた心を引き離すことができない。
ことしも桜の花に再会し、その豊穣な季節の輝きを浴びた。けれども、またしても桜をモノにすることはできなかった。そんな、もやもやとした気分で花を眺めるばかりだった。そして、あっという間に、緑葉の萌える世界に代わってしまう。
ことしの春も、桜の花との距離は縮まらないままだった。