うちつづく灼熱の太陽に焼かれた コンクリートの部屋を逃げ出し 行く川の流れに身を任せて 浮袋になって水に浮かんでいると 氷河の白熊ほどではなくとも 流し素麺くらいの生き心地は味わえ 川には瀬もあり淀みもあり ダムがあり吊り橋もあったり 笹舟を浮かべて世の泡沫(うたかた)と戯れ ボートに寝ころんでいと麗しき人をおもい 虚しく空ばかり眺めているうちに 雲は変幻自在に形相を変えて 八方その手が伸びてくるので こちらの手も水から引き剥がそうとしてみるが なかなか水の手が離してくれなくて 手の平は水かきになったようで だが魚のようにスイスイとはいかず いっそ体を空っぽにしてみると 浮袋の体は軽くなって良いのだけれど もしも魚であれば沈む力がなくなると 浮かんだままで終わってしまい そのとき魚は魚でなくなってしまうから 水面に浮いて喜んでいる身は いまは人でもなく魚でもないのか それでも浮かんだままでおれるから 平べったい木の葉か舟になったみたいで それならこのまま流れに任せて 瀬戸の海まで行きたいものだが あの伊予の熟田津(にぎたづ)は何処にあるのか 平目先生の古文解釈の授業で フネをコギつつ暗記した 新妻が待つというニギタヅを目指したいと 松山駅で電車にとび乗ったら 窓の景色が逆方向に流れだし 慌てて松山駅に巻き戻ってみたら なんたるこったてらこつた 同じホームの同じ番線 上りと下りの電車が発車するという 舟にも乗れず月の出を待つあいだ あかねさす平目先生の旧宅を訪ねて いま新妻は何処にいるのですかと愚問すると 平目先生は剣道部顧問でもあり 右肺の手術で背中の肋骨がないので 左手だけで竹刀を持って正眼の構え 潮もかなひぬ今は漕ぎ出でなと ヒラメのようにひらりひらりと身をかわす 力をためてメンだドウだと打ち掛かってみるが 砂地を舞い上がったヒラメ先生は 僕の竹刀を水のように打ちながし まだまだ君のシナイはしごきが足りないと 煉獄鬼滅の素振り百回を命じられ もう足も腰も萎えて立たず 大事なシナイはただの棒きれとなり 櫓を漕ぐ余力は更になく 舟は道後のぶんぶ(湯)でぶんぶく浸水 潮が叶ったニギタヅの新妻には 無念とうとう会えなかったぞな もし