風の記憶

≪記憶の葉っぱをそよがせる、風の言葉を見つけたい……小さな試みのブログです≫

熟田津に船乗りせむと月待てば

2021年08月30日 | 「新エッセイ集2021」

 

うちつづく灼熱の太陽に焼かれた コンクリートの部屋を逃げ出し 行く川の流れに身を任せて 浮袋になって水に浮かんでいると 氷河の白熊ほどではなくとも 流し素麺くらいの生き心地は味わえ 川には瀬もあり淀みもあり ダムがあり吊り橋もあったり 笹舟を浮かべて世の泡沫(うたかた)と戯れ ボートに寝ころんでいと麗しき人をおもい 虚しく空ばかり眺めているうちに 雲は変幻自在に形相を変えて 八方その手が伸びてくるので こちらの手も水から引き剥がそうとしてみるが なかなか水の手が離してくれなくて 手の平は水かきになったようで だが魚のようにスイスイとはいかず いっそ体を空っぽにしてみると 浮袋の体は軽くなって良いのだけれど もしも魚であれば沈む力がなくなると 浮かんだままで終わってしまい そのとき魚は魚でなくなってしまうから 水面に浮いて喜んでいる身は いまは人でもなく魚でもないのか それでも浮かんだままでおれるから 平べったい木の葉か舟になったみたいで それならこのまま流れに任せて 瀬戸の海まで行きたいものだが あの伊予の熟田津(にぎたづ)は何処にあるのか 平目先生の古文解釈の授業で フネをコギつつ暗記した 新妻が待つというニギタヅを目指したいと 松山駅で電車にとび乗ったら 窓の景色が逆方向に流れだし 慌てて松山駅に巻き戻ってみたら なんたるこったてらこつた 同じホームの同じ番線 上りと下りの電車が発車するという 舟にも乗れず月の出を待つあいだ あかねさす平目先生の旧宅を訪ねて いま新妻は何処にいるのですかと愚問すると 平目先生は剣道部顧問でもあり 右肺の手術で背中の肋骨がないので 左手だけで竹刀を持って正眼の構え 潮もかなひぬ今は漕ぎ出でなと ヒラメのようにひらりひらりと身をかわす 力をためてメンだドウだと打ち掛かってみるが 砂地を舞い上がったヒラメ先生は 僕の竹刀を水のように打ちながし まだまだ君のシナイはしごきが足りないと 煉獄鬼滅の素振り百回を命じられ もう足も腰も萎えて立たず 大事なシナイはただの棒きれとなり 櫓を漕ぐ余力は更になく 舟は道後のぶんぶ(湯)でぶんぶく浸水 潮が叶ったニギタヅの新妻には 無念とうとう会えなかったぞな もし

 

 

 


わたくし的歩き身体改造論

2021年08月23日 | 「新エッセイ集2021」

 

わたくしは私であり僕であり あたしでありおれであり あたいでありおいらでもあるが ひげの吾輩ほど偉くもなく猫ほどに賢くもない わたくしの身体の査定はほぼポンコツでガタビシ 足はガクガク心臓はパクパク おまけにハートはビクビクヒヤヒヤ これまで暢気にとんとん拍子で 坂を下ってきたのは老ノ坂だったのか この青息吐息で四苦八苦のくたびれた身体を 今更ながら心機一転の補修でなんとか 南無三宝おんあぼきゃ曼斗羅 虫の神さま草の神さま八百万の 見えないちっちゃな神さまとも談合し 弱った臓腑には陀羅尼助丸やら正露丸をぶっかまし 冷水摩擦で皮膚をしばいて靴ひもしめて えっこらやっこら息継いで坂をのぼる朝夕 公園の鉄棒は腕は伸びきりただぶら下がるだけ 地面と足とのこのブランクが 伸ばしてみても縮めてみても 運動不足の怠惰が分銅に掛かり 針は動かず塵芥も舞わず 汗はぽたぽた涙もじわじわ 苦あれば楽ありとはほんまかいな 楽すれば転がるばかりの老いの坂あり そればかりは実感痛感遺憾息ぎれ 血中酸素濃度は大丈夫かな 超過敏に反応する昨今のわたくし デルタやラムダやサンミツは避けて きれいな空気で深呼吸すれば 胸は膨らみ前頭葉もフルオープン 高鳴る鼓動で幻惑サーフィン 光の彼女は遠距離交信かつ非公式 語りかけてもキスしてみても 四角で冷たいスマホの中だけ ゴリラガラスの鏡よ鏡さんと ぼくの想いを指恋タッチで発信するも ノーもイエスも以心伝心異心電信 雨あがりの青空には七色の迷路が ゆうべの夢の跡にはただ有明の月が 消えるでもなく冴えるでもなく まずは息ととのえて気をしずめて いまはこの坂道をのぼること 坂の上には何かあっぺか コップ一杯の水くらいあっかも 一滴の水でも花はぱっと咲くかも 歩き疲れて縮んだ脚かも 水を得た魚ぴんと張るかも 無理せずスローがマイブームのわたくし 超スローな負荷が筋肉を強くするとか 脚はゆっくりアップでゆっくりダウン 腰はゆっくり折ってゆっくり伸ばす 息はゆっくり吸ってゆっくり吐いて スローモーションで時間も暦も止めて 昨日も今日も歩くあるく なんだ坂こんな坂おいの坂 おらの坂おいらの坂わたくしの坂を どうしようもないわたしが歩いてゐる  

 

 

 


眠りの道は暗中模索支離滅裂

2021年08月19日 | 「新エッセイ集2021」

 

眠りに入るということは 日常の意識がなくなるということで 生きていながら一時的に死んでいるのではないかなどと 考えたりすることがあるが 寝床に入ってすぐに眠ってしまうことはまれで しばらくは体は静かに横たわっているが 頭の中では無意識に 何かの思考が巡っていたりしていて 考えたり想ったりしていることが いつのまにか飛躍するというか沈降していくというか ふとなんで そんなことを考えたりしていたのか そんな脇道のようなところへ彷徨いだしていたのかと 我に返ったりして そのときは すでに夢の淵を浮遊していたのだが あらためて枕の位置を変えたり体を横向きにしたりして 本格的な睡眠の舟底に思考を沈め 夢の波間へ漂い出すのに身を任せようとすると すでに自分は自分ではなく 覚醒や睡眠の感覚も失われていき その瞬間を ここちよく受け入れていることもあるし その境目もわからずに すとんと眠りの海中に落ちてしまうこともあったりして 自己を失うときの いや意識を失うときの快感とはこんなものかと それはやはり生から死への ほんのちょっぴりの貴重な体験かなと思ったりするが このときの死の体験は すでに夢の世界の出来ごとであるかもしれず そこは異世界であり 日常生活からは引き離された空間であって それなりに愉しい感じもあり苦しい感じもありで ときには夢を見ながらも 夢であることがわかってしまい こんなつまらない夢から目を覚ましてしまおうと 冷静な自分が 夢の浅瀬で藻掻いたりするけれど 大概はお仕着せの向こう任せで 久しぶりに学校へ行くと席がなかったり 電車に乗ったら座席をさがしてウロウロ 車両から車両を危うくヨロヨロするばかり ハンドル掴んでアクセル踏んだら 車が勝手に猛スピードで走り出したり おとうちゃんおかあちゃんと おもわず声を出して呼びかけているのは いつの頃の自分であるか やっぱり親は親であり子は子であったと 驚き実感するのも光陰矢の如し なにがなんでそうなるのか 記憶の古いところから川は流れつづけて そこが誰にも内緒の魚の集まる秘密の淀みであると くねくねと大きな魚は群れて泳いでいるが 竿を振っても雑魚いっぴきかからず 帰り道は迷いに迷って 石灰岩のような白い山道を登ることに たしか柱状節理とか学んだ記憶あり その刃物のような崖の上に立ちすくんでいたりするのだが そこは夢の中だけでお馴じみの恐山で 気味が悪いのでさっさと去りたいのだが なかなか足が動かずじれったい 足まで深くバクに喰われてしまったのか お前はいったい全体かたつむり こんなおどろおどろしい企みは ポケットの奥深くに隠していたのに 寝る前に脱ぎ捨てたズボンのポケットから抜け出した 弱虫さみしんぼうの仕業かと 心が傷んだそのショックで つかのま忘失の死から此の世の生に引き戻されて 無事にふたたび この朝の始まりは 線状降水帯とやらの雲に包まれ どうやら寝ぼけて朝顔も開ききらず 夢のなごりの水たまりでは 雨あめ降れふれ賑やかに 雨だれ輪っかが胸騒ぎして 渦巻き現世はどうなることやら どんでん返しもあればとか でんでんむし虫むし暑い

 

 

 


泥の中にも四季はあったかも

2021年08月14日 | 「新エッセイ集2021」

 

ぼくはときどき泥んこになって 泥と夢中で遊んでいたけれど あるいは無心で泥を見つめていたりしたけれど 泥は土と水がいいあんばいに混じりあい やわやわでぬるぬるでつるっと滑りやすく その感触というか体感というかは 触れていると気持ちが良かったり悪かったりするので いっそ裸になって泥の上を滑走してみたが 体じゅうが泥まみれになって 自分の体が自分の体ではないような 体の皮がひび割れて粘土みたいで 乾くと人の埴輪になってしまい びっくりして目と口を開いているものだから 見るものは空と雲とぼんやりと霧だったり 口にするものは味のない綿毛のようなものばかりで 吐いても吸っても体の中は空洞なので 古い言葉で語りかけてくる風が吹き抜けていくと それが埴輪になった人間の記憶なのだけれど なかなか埴輪の気持はイメージできず 春は泥の中から どじょうが目とヒゲだけを出して まだまだ眠っているうちに 泥ごと両手ですくいあげると 泥だって春は春の匂いがしてわくわくし ずっと忘れていたものを思い出すような そんな懐かしい匂いを含んでいて 何かが変わり何かが始まるときみたいに いきなり知らないおじさんがやってきて 寝ぼけたどじょうなんか泥んこのまま逃してやれと いきなり大声で怒鳴ったりするので その人はたぶん子供の神様だったのか それとも どじょうの神様だったのか 森の奥の神社の柱や床の匂いがしたっけな 春はいろんなものが近づいてきて 知らない言葉で知らないことを教えてくれる人がいたりして すれ違ったあと振り返ってみると それは人だったり人でないような人だったりして どこかいいところに連れて行ってくれないかなどと きゅうに羽が生えてトンボになったみたいで すこしだけ空が近くなったりすると 美しい虹だ ばらあら ばらあ 濡れた葉陰から蛙のように地上を覗いてみると もうセミの夏が始まっていて ぼくは汗をかきかきメスを追いかけたりして ただただ追いかけているうちに短い夏は終わってしまうから 川で冷えきった体を 熱くなった田んぼの水で温めながら 孵ったばかりのフナの子を畦の草むらに追いつめると 平べったくなって跳ねているのは 小さくても奴はサカナのままの遺伝子で やがて入道雲が空いっぱいに太い腕を伸ばして 大きな雨粒の夕立を引き連れてくると そのあとは再び 美しい虹だ ばらあら ばらあ いくどかため息をついてるうちに ぱらぱら木の葉が落ちると空も落ちて 満月の夜は誰かがひそひそ話をしてくるので ワクワクしたりドキドキしたり ひとつの体がふたつの体になって とうとう虫になってしまうときがあると 歓喜で草笛を一日じゅう吹いているが 秋のような真似をするのは無駄なことで さっと風が吹いたら木枯しの中 泥の団子を作るのが上手な女の子と出会って 丸い団子はとてもまん丸で 小さな手で撫でるうちにますます真ん丸になって ピカピカのテカテカの美しい玉をいっぱい作ったが どれもこれもなにもかも まん丸な玉のままで忘れ去られてしまい 誰だいったい全体 楽しいけれど淋しいことってなんだったんだ やっぱり ばらあら ばらあ やさしい手は傷だらけ


(ばらあら ばらあ=草野心平の詩に出てくる蛙語)

 

 


日々をつくす夏はあったか

2021年08月04日 | 「新エッセイ集2021」

 

この夏もあの夏も夏は暑すぎて おろおろおろち けろけろカエルのお腹は白くてやわやわ ばらあら ばらあ 緑陰のふかい影ばかり探して 薄暗いところに籠っていると これまでずっと日向を避けるガマだったような ともすれば暗くて湿った蛇穴に落ちて 反省ガエルで悔いたくなってしまうが どれも些細なことばかりとぐろを巻いて 巻き戻すと トンボの羽を半分切って飛ばして遊んだことだったり あのときトンボは半分の空しか飛べなかったのかなと 絵日記を半分残してしまった虚しさ悔しさ オニヤンマの通り道で待ち伏せし 竹のムチを振りかざしたら 気絶して落下したヤンマは羽と目玉を開いたままで 見上げるとむくむく入道雲が百面相になって いつかどこかで会った人の顔に似ていたり すみませんすみませんと謝ってしまう ばらあら ばらあ そろばん教室の帰り道で下駄の鼻緒が切れて片足けんけんしていたら 布切れを持って手招きする人がいて 黙って直してくれた人は病弱そうで母に似て その人の白くて細い指ばかり見ていたら 逃げ出したくなったが片足を取られていて動けず 女の人の指の動きが恥ずかしかったのか 帰り道は雲の白さも穏やかになって 夢の続きはとぎれとぎれのばらばらで ばらあら ばらあ 朝顔の花を数えて夏の朝が始まるころ 記憶ばかりで花のゆくえを追っているのも果てしなく 朝はクマゼミ昼間はアブラゼミ 日暮れはツクツクボウシが灼熱の一日を食べつくし 羽は透きとおり胴体は空っぽになって あっという間のツクヅク一生 無為と無駄な日々ばかりだったと 虫は七日の木を嘆き 人は明日の汗に溺れて木にすがり 熱いような冷たいような 入道雲はどんどん空を広げ すくい取った掌の水はぬるくて飲めないと吐き出した山の道で 青くて太いミミズがいっぱい干からびずに伸びていたっけ 夏草が山火事のごとく燃え上がっていた陽炎のなかで バッタを追いかけ追いかけする夢を早送りしたらフェイドアウト なんでもあったがなんにもなかった ばらあら ばらあ 美しい夕べだ カナカナかなかなカナカナ