風の記憶

≪記憶の葉っぱをそよがせる、風の言葉を見つけたい……小さな試みのブログです≫

ラブレター

2020年11月25日 | 「新エッセイ集2020」

 

ラブレターにまつわる思い出は、どれもほろ苦くて、心に痛みを伴うものばかりだ。
最初の関わりは小学生の時だった。
5~6人のグループでいたずらを考えた。クラスのある男子からある女子にラブレターを出す。そんな架空の手紙を、ぼくが清掃委員だというだけで、書き役にされてしまったのだ。
好きだとかキスしょうとか、それぞれが好き勝手に言い出す内容を、作文の才もないぼくが手紙らしくまとめていく。内容は覚えていないが、とても幼稚なものだったと思う。
その手紙を、グループのひとりが紛失してしまった。

担任は若い男の先生だった。ひとりひとり詰問されて、気の弱い子が白状してしまった。結局、書いたぼくが犯人ということになった。
昼休みに教室にひとりだけ残された。いきなり先生のびんたが顔に飛んできた。ぼくはそばの机で体を支えているのがやっとだった。
自分では悪いことをしたという認識はなかった。けれども、先生の怒りは尋常ではなかった。きっとぼくは悪い奴なんだ。もう誰もぼくと遊んではくれないかもしれないと思った。

ひとり教室に残って弁当を食べていたら、先生がそばに来て、さっきは痛かったか、と慰めるように声をかけてきた。その声は優しかった。まるで別の先生のようだった。それまで必死に堪えていた悲しさが、一気に涙になって溢れ出てきた。
そのあと、しょんぼりして校庭に出ていくと、みんなは何事もなかったように遊びに入れてくれた。
結局、ぼくは悪いことをしたのかどうか自分でも解らず、先生の怒りの意味もよく解らないままだった。

中学生になったばかりで、またもやラブレター事件に関わってしまった。
クラスのある女子が、誰かに宛てたラブレターを持っているという。友人がそのことを気にしていて、その女子からラブレターを奪うことに、ぼくも加勢してしまった。
その手紙は、奪った友人当人へ宛てたものだった。彼はそのことに感づいていて、ただ確かめたかったのかもしれない。
お前なんか嫌いだと言って、彼は彼女を殴ったり蹴ったりした。
ぼくは彼女のことが嫌いではなかったので、この展開は残念なことだった。じっと耐えている彼女がかわいそうだったが、共犯者になってしまったぼくは、彼に味方することしかできなかった。

恋というものが解るようになって、ぼくは初めて自分のラブレターを書いた。藤村の『初恋』の詩を引用したりして、どきどきしながら投函した。
すぐに返事は来た。優しい言葉で拒絶されていた。
すっかり自信をなくしてしまったので、次にラブレターを書いたときは、恋や愛などという感情は押し隠して、ちょうど夏だったので蝉のことばかり書いた。蝉について知ってるかぎりのことを熱をこめて書いた。ラブレターのつもりだった。
けれども、何気ない手紙には何気ない返信しか貰えなくて、その恋は進展しなかった。

そののち少しばかりは大人になって、ラブレターを書く機会は再びやってきた。
書き方もだいぶ上達していたと思う。長い長い手紙を書いた。何通か出した。けれども1通も返事は来なかった。
彼女は字も下手で、文章を書くのが苦手なのだと言った。だから手紙を書いたことがないらしかった。
皮肉なことに、この恋は成就した。

いつのまにか、文章を書くことがぼくの習性になった。
もしかしたら、ぼくは今でもラブレターを書き続けているのかもしれない。
詩を書くときも散文を書くときも、自分のハートの熱いところを探りながら、それを誰かに届けたいと思って書いている。
その結果、いくらかの快い手ごたえをもらうこともあるし、冷たくそっぽを向かれては落胆することもある。
心がおどる思いを、しっかり届けるのは難しいものだ。

 



鳥取砂丘にて






何もないけど全てがある

2020年11月17日 | 「新エッセイ集2020」

 

きょう、いつもと違う道を歩いていたら、珍しい大きな葉っぱを拾った。
今までも通ったことのある道だけど、こんな葉っぱを付ける樹があったことには気づかなかった。
持ち帰ってネットで調べてみると、ユリノキという木の葉っぱだった。
街路樹としてはかなりポピュラーな木で、5月頃に咲く花が、ユリの花に似ているところから、このような名が付いたらしい。今までそんなところに、そんな花が咲いていたことすら知らなかった。

大きな葉っぱというのは、それだけでも存在感がある。
なんだか拾って得した気分でもあったが、結局は何かに使えるというものでもない。
ここ数日、開高健の『オーパ!』を読んでいて、黄濁した大アマゾンの危険水域を漂っていたせいか、やたら大きなものが気になるのだった。
ちなみに「オーパ!」とは、ブラジルで驚いたり感嘆したりするときに発する言葉らしい。
ついでに、インディオ語では大きいことをアスーと言うらしいが、アマゾン河での釣り紀行である『オーパ!』の中には、やたら大きな魚ばかりが登場してくる。アマゾンの話は、万事が太くて大きくなるようだ。

大きいといえば、同書の中で動物のバクの話が出てくるが、ブラジルのバクは大そうな物持ちらしい。
物持ちといっても、例の伸び縮みする一物のことなんだが、ぐいぐいと1メートルにもなるので、後ろ足で蹴飛ばしながら歩くという。
これを見てキモをつぶした日本移民のひとりが、メスの方はどうなってるんだろうと調べたところ、腕がずぶずぶと肩まで入ってしまったとか。
夢を食うといわれるバクのこと、まるで夢のような話をつい夢想してしまう。ついでに、バクのことをブラジル語では「アンタ」というそうだが、関係ないか。

ユリノキの葉っぱは、その形からの連想で、「ヤッコダコノキ」(奴凧)だとか、「グンバイノキ」(相撲の軍配)、さらには「ハンテンノキ」(半纏(はんてん))などとも呼ばれているという。
言われてみれば、なかなか愛嬌のある葉っぱでもある。いろんなものに似ているともいえる。だがよく見ると、やっぱり、ただの葉っぱ。まさにオーパ(大葉)!

「蛇足」とタイトルされた『オーパ!』の後記で、次のように書かれた著者の一文がある。
「釣竿を手にした旅だと、ただの旅では見えないもの、見られないものが、じつにしばしば、見えてくるものである」と。
普段は見えていないものが、ある時とつぜん見えてきたりすることがある。
「ナーダ! トーダ!」というアマゾンのラブソングがあるという。
ナーダ!とは何もないこと、そしてトーダ!とは全てがあること。何もないけど全てがある、ああ、オーパ!



 

 


井戸の底には光る水があった

2020年11月12日 | 「新エッセイ集2020」

 

日が暮れるのがすっかり早くなったが、まだまだ秋の名残りか、夕空が一瞬だけ赤く染まるのが美しい。
秋の日はつるべ落とし、という古い言葉もある。
つるべとは釣瓶のことであり、井戸から水を汲み上げるものだったが、井戸そのものが見かけられなくなった現代では、釣瓶という言葉も死語になりつつあるかもしれない。

大阪の祖父の、古い家の庭にも井戸があった。
暗い井戸の底をのぞくと、深いところで水が銀色に光って見えた。そこへ釣瓶の桶を下ろしていく。光の水をかき回すように桶をあやつって水中に沈める。重くなった桶を手繰るように持ち上げると、闇の底で光っていた水は、ただの澄みきった水に変わっているのだった。
ときには水桶の中に落葉が浮いていることもあり、葉っぱは水の光を吸ったように色づいて光っていた。

祖父は無口な人だったから、あまり細かい話をしたことはない。祖父と孫と無口な者どうしでは、なおさら話は進まないのだった。
それでも、たまに祖父の家を訪ねることがあると、祖父はまるでぼくの影のように、ぼくの側につきまとっていることが多かった。
なにか話をしようと思うのだが、どんな話も話す前にすでに伝わっているようで、言葉にならないものがいっぱいあった。それを整理して言葉にすることが、若かったぼくにはできないのだった。

秋の夕焼け鎌をとげ
そんな言葉も、祖父が発した数少ない言葉のひとつだったかもしれない。
祖父は百姓だったから、夕空が赤く染まるのを見て翌日の稲刈りの準備をしたのだろう。
井戸もなくなり田んぼもなくなって、いまでは祖父の家ともすっかり疎遠になってしまった。けれども離れているからこそ、夕やけのように遠くで美しく輝いてみえるものがある。

 

 

 

 


風立ちぬ、いざ生きめやも

2020年11月06日 | 「新エッセイ集2020」

 

ひんやりとして空っぽ
風を食べてしまったかもしれない
枯れた草の渋みと花の苦みと
とつぜんに木のオルガン
木造校舎の長い廊下をはしる

つうつうれろれろ つうれいろ
つうれいられ つれられしゃん
つれられとれ しゃんらんらん

いつどこで
誰に教わったんだか
ときどきぬっと出てくるけれど
エンドレス
ただそれだけの

シャッテン シャッテン
シャシャ コロリン
シャッテン コロリンシャン

琴爪が弦をはじく
対話する指を教えてもらった
行ってきんしゃい
アルデベルチ風の無人駅

あらぬ方へ
背中から吹かれて
風立ちぬ いざ生きめやも
もういちど再起動



風の窓